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カインがアベルを殺したのはなぜか

アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
 日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。
 アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。
 しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。
  そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。
  正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
  カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。
(創世記第4章)

これを読んでみると、単純に二つ解らないことがあります。
一つには「神はなぜカインの供え物を顧みないという」
不公平なことをしたのか。
そして、なにゆえその「感情」を試すような、
言ってみればそそのかしに近いことを言ったのか。

 なにより、カインのアベルに対しての
「殺人動機」がはっきりしません。
解釈によっては神がカインにアベルを殺すように
仕向けたともとられる文面です。

 まぁ、これは多分に「象徴的な示唆」ですから、
額面通りだと理解に苦しみます。
ですから、これには象徴となる「意味」もあるでしょうし、
それをどう解釈するかが肝心だと言うことです。

「知恵」の正体

 そもそもの話に戻してみましょう。これからの話は、
「あくまでもあたしの私見」ですのでとりあえずそう言っておきます。
むろん「正解」ではないという事を前提に申します。

 エヴァとアダムが食べた禁断の実、
「知恵の実」の知恵とはなんなのか。ということなのです。
主は「人間」がこれを持つことに対して、
その事実を望みませんでしたが、
二人に衣服を与え祝福もしているのです。

 そして、彼らの子、カインとアベルに
「知恵」がある故の試練を与えたのかも知れません・
すなわちカインに「罪」、アベルには「死」です。

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 そしてそのきっかけは「知恵」を持つがゆえの
「神の理不尽を嘆く心」であるのかも知れません。

人間の「知恵」など、大自然の営みの前には、全く無力です。
 それに対し、自然(神)のなす仕業に
「正しいなら顔を伏せるな」という事を求めるのです。
しかし、カインはアベルを殺すという行為に走った。

 考えようによっては、「どうしようもない流れや運命」を、
その責任を他にすり替え、
自らの安定を願う心があるのではないのか?という、
「大きな意志=自然」からのメッセージに対し、

「思うとおりに行かないいらだち」=憤り
「見ないふり」=顔を伏せる。
そして他人のせいにして恨みを晴らす。

すなわちこれは「知恵=感情=欲」を
手に入れてしまった人間という存在の宿命である。
そんな事をやってるんじゃないのか?
そのようなメッセージであるともとれるわけです。

だから、人間はそもそも「知恵」を神の忠告も聞かず、
手に入れてしまったがゆえに、
苦しみも手に入れたというわけです。
しかし、同時に「希望」という救済の種も撒いたのだ。
ということです。

「神」とはどうしようもない自然や運命の象徴

 思うとおりには行かない自然と運命。
それに対して、「知恵」を持った人間は
「苦しみ」を知り「怒り」「恨み」「貪り」を持つようになるわけです。

 そこから逃れるには、戒めを守るか、
自らの行いを制するしかありません。
つまり、これらの「救い」の道筋が「宗教」であり、
哲学というものになるのかも知れません。

となれば、人はつねに「これでいい」というものはなく、
ずうっとあらゆるものに対して
「自分とはなんなのだ」ということを、
「考え続けていくこと」が本当なのかも知れません。

自分が「カインの末裔」であったなら、
考え続ける限り「神の加護」はあるからです。
これは「知恵と罪」を背負った人間の宿命なのかも知れません。

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