あるテーマで「ディベート」演習を行うことがあります。
この演習は、いわゆる討論するプロセスを習得することが目的なので、最終的な結論を導き出すことはありません。
コンテストとか大会などもありますが、基本的には勝負を目的とはしてないのです。
さてディベートでは、あるテーマについて、あえて「立場」
を分けて討論します。しかも「対極」で。
ですから、その場では必ず互いの「正義」がぶつかることになります。
すなわち、人為的に「対立」の場を設定するわけです。
そうして「対戦」するのは、武道の試合と同様です。
さて、ディベートでよく設定されるのは、そのテーマに対して「目的論」の立場に立つか、「義務論」の立場に立つかというやり方がよく採られます。
目的論とは、ぶっちゃけいうと、
「犯罪を犯したら、処罰されるから行わない」
というように、結果に対して行動を決めるという論です。
ここでは、犯罪そのものより、「処罰されない」
という目的が優先されるわけです。
義務論とは、これもぶっちゃけますが、
「犯罪そのものを犯してはならない」
というように、原因そのものが行動になるという論です。
すなわち、犯罪そのものが良くないという
内的な道徳規範が優先されるわけです。
ですが、結果そのものは「犯罪を犯さない」
という事になるわけですね。
冒頭にも述べましたが、結論は一つです
ですが、人はそのプロセスにおいて、対立を作り出します。
ですから、どちらも「正義」という旗印を立てるのです。
でもね、どちらもおなじ結果を求めてるんですがね。
それなのに、対立が生まれる構図って、何なのでしょうね
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