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無料塾が人をつくる|第2章-7|皐月秀起

海外駐在への憧れ

住友林業に入社してから3年半経ったときに、部署異動がありました。それまでは全くの国内営業でしたが、今度の部署は国内製造品だけでなく輸入品を取り扱っている部署で、隣の部署ではありましたが仕事の景色ががらりと変わりました。入社前は「チャンスがあれば海外で働きたい」と思っていましたが、入社してからしばらくはそれを強く思わず、目の前の仕事に集中していました。プライベートのサッカーコーチが充実していたからかもしれませんが(笑)。

しかし、新しい部署に異動してからは、徐々に「自分にもチャンスがあればなあ...」と思うようになっていました。同じ商社部門に配属された同期が10人いましたが、気がつくと約半分が既に海外駐在に出ており、自身の出遅れを感じていました。新しい部署になってから1年くらいで、得意先と一緒にインドネシアに出張に行き、そこで初めてインドネシアという国と海外駐在員の仕事に触れ、ますます「自分も海外に行きたい」と思うようになりました。

そして、入社してから6年経った2001年4月に、インドネシアのジャカルタ出張所(当時)に異動になりました。年明けからいろいろと異動の噂が聞こえてきました。昔も今も、やはり人事異動は「3月内示・4月着任」が多いと思います。私も、部署異動があったとはいえ大阪勤務は6年になりましたから、「そろそろかな...」と心の準備はしていました。そんなある日、得意先との会食の後たまたま帰りのタクシーで一緒になった上司から「海外(駐在)になったら、受けるか?」みたいなことを言われ、「ついにきた!」と思いました(笑)。国内の異動だとこんな「打診」はないでしょう。でも、ちょうど私は結婚して長女が生まれたばかりだったので、上司も気にしてくれていたのかもしれません。

伸びゆく新興国と一緒に成長したい

よくよく考えたら、私はそれなりに旅行や出張などで海外には行っていましたが、今回が生まれて初めての「引っ越し」でした。初めての引っ越しが海外なんて、今から考えると危なっかしいなと思います。ジャカルタに渡航する日に、家族だけでなく、中学時代の友人が見送りに来てくれ、関空から盛大に送り出してもらいました。本当にうれしくて、期待と希望しか見えていませんでした。

赤道直下に位置するインドネシアは、人口が約2億5000万人で、国民の約9割がイスラーム教を信仰するムスリムな一方、キリスト教や仏教・ヒンドゥー教とも共存していく「寛容なイスラーム国家」として知られています。21世紀はアジアの時代と言われていますが、ASEAN(東南アジア諸国連合)の本部がここジャカルタにあるくらい、東南アジアの中心地として近年の経済成長には目を見張るものがあります。

さらには、第二次世界大戦前は日本の統治下にあったにもかかわらず、有難いことに世界有数の親日国です。日本からの駐在員も1万人以上と数多く、日本食スーパーやレストランもたくさんあります。車の移動がメインなのに渋滞が多く、治安面で気をつけないといけない部分はあるものの、かなり暮らしやすい国でした。

仕事としては、インドネシアから日本に輸出をする製品のアレンジ(価格決め・納期確認・品質チェック)がメインで、週の内半分は地方に飛行機で出張に行っていました。日本から来る出張者(得意先・社内など)のアテンドも重要な仕事で、「他社ではなく、住友林業に任せていたら安心だ」と思ってもらえるよう、気を使っていました。

最初は単身で行き、少し慣れた7月に家族(妻と1歳の長女)を呼び寄せました。妻と私の両親もインドネシアに遊びに来てくれ、ボロブドゥール遺跡などの世界遺産を訪れたり、世界有数のリゾート地のバリ島にも行ったりと、プライベートも楽しむことができました。

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