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言葉を雑に扱う人々が世界を破壊する - ティール組織のブームに寄せて -

ティール組織、SDGs, スケール、イグジットから、身近なところだとピッチやミートアップ、コンサルなど。社会に出てまだ間もない人も含めて普通に使われている。ミッション、ビジョン、パーパスあたりも自分の周辺でよく耳にするようになった。

この辺りの言葉は、方法論にまつわるもので、定義がしっかりとなされない限りにおいてその解釈は人に委ねられ、人が置かれた環境はそれぞれ違っており、当然ながらその解釈も対話を構成するそれぞれで異なる。結果として、要約された単語を使ったコミュニケーションは、円滑になるどころか、コストの増大もしくは互いの距離の延長をもたらすことになる。

言葉はある事象の要約であるとするならば。

要約する際に、その前提条件と事象(結果もしくはその手段・方法)について定義が必要となる。定義が人それぞれである場合には、その言葉は“対話をする“という意味において、意味を成さない。そうであるからこそ、言葉を定義する人というのは、ある事象に関するプロであり、象徴であり、事象そのものである必要があった。

言葉の裏側にある本質が重要なのであり、言葉そのものはそれを要約したものに過ぎないということなのだが、その本質について突き詰めて考え、悩み、もがいている人がどれくらいいるのだろう。

2000年当時、新卒後に入社したコンサルティング会社でBalanced Score Card(BSC)という”フレームワーク“を大企業に向けて販売・導入していたことがある。米国で組織論についての専門家が提唱した”抜け漏れのない考え方と、その導入“がセットになったもので、日本の大企業に飛ぶように売れた。

この考え方、蓋を開けてみれば、「企業・事業が実現すべき結果指標を活動指標と結びつけ、定量化し、役割分担をはっきりさせ、きるだけ短期間で管理・是正していく」というものだった。

学生の夏休みの宿題で例えても当たり前の考え方だ。

BSCという最先端のツールを導入することで課題が解決されるということではなく、当たり前のことができない、というところに企業の問題の本質がある。BSCという言葉が踊るのは、その背後に日本企業が学生ができることができないという非常に情けないことを意味している。にも関わらず、言葉の解釈に向き合わずに、現実から逃げるから言葉が踊る。

言葉が踊る、流行るという事象は、その裏側に非常に情けない本質がある。ティール組織やSDGsが叫ばれるのは、誰もがそういった状況を望んでいるにも関わらず、組織が構造的にその意思決定ができない、もしくは一部の権力者が結果としての状況を望んでいない、という本質が裏側にある。すなわちそれは企業統治の問題そのものであり、企業の主体が誰のものであるか、という資本主義と哲学がぶつかる議論そのものであるはずにも関わらず。

インターネットを介して様々なメディアが今日も色々な言葉を届けてくる。それが何か新しい世界を創ってくれるかのように。それは僕らの悩みをすぐに解決してくれるかのように。

言葉をあやつるということは、その事象について純粋に向き合うことであり、対象を自分のものとするということであり、世界をかたちづくるということであり、結果として内なる宇宙を発見することでもあり、神が行うことの代理でもある、ということに自覚的な人がどれくらいいるだろうか。

さて、どこかでミートアップでもしようか。

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