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先生との思い出

ある日、隣のクラスの担任のY先生は私の書く詩が好きだと言った。

何故、隣のクラスの先生が私の書いた詩を読んだのかはわからないが、そう言ってくれた。

雪が降った日、なんとなく休みたくて仮病を装い体育を見学した。

そしたら、何故か居合わせたY先生が「こんな日に外で見学は寒いだろう」と言った。

そして、連れてってくれたのは校庭が見渡せる校長室。

「ここで、詩でも書くといいよ。」

とY先生は笑って言った。

「ファンだからたくさん読みたいんだ。」

作文用紙もたくさんくれた。

わたしはこんな部屋にいてよいのかと、戸惑いながらも、雪の中で体育をするクラスメートを眺めながら、詩を書いた。

ふかふかの校長先生の椅子に座って。

みんなが雪合戦を始めたものだから、「あ、やっぱり休まなければ良かったかな」とちょっと後悔しつつ。

暖かな部屋で詩を書いた。

図工のD先生は変わった先生だった。

「僕はアンドロメダ星雲第三王子デリーちゃんだ。」

大真面目にそうのたまう。子供みたいなおじいちゃん先生。

「デリーちゃん。デリーちゃん。」

みんなそのことを普通に受け入れて、先生にまとわりつく。

工作準備室はアトリエのように先生や子供達の作品が展示され、常に珈琲の香りが漂う。

その部屋に入るのも好きだった。

大好きな図工の授業。

わたしは一度環境ポスターを作って、佳作に入選した。

「ゴミから生まれたゴミラ」

新聞紙をちぎったり、ゴミを貼ってゴジラを作って、「たいへん地球が食べられる」と添えたもの。

それ以来、先生は私に期待をしていた、と思う。

私の自由な発想に。

ある日「教科書に掲載する工作を作ってみないか?」と声をかけられた。

私は困った。とても困った。

トイレットペーパーの箱とプリンの容器と色紙で作ったのはカニ。

先生の顔に少し落胆の色が浮かんだ。

さぞ、自由な発想の工作が出来てくると思っていたのに、無難なクオリティのカニだったからだ。

そう、実はポスターのアイディアは父の手助けによるものだった。

わたしには自由な発想などないのです。

自由な発想を持ってたのは父なのです。

あの時は騙してごめんなさい。先生。

でも大好きなあなたの授業で、大人になってもずっと自由を心から楽しむことを学びました。

「お前クロール泳げないのか?」

クラスの水泳リレーで25mをバタ足のみで泳いだ私を見て担任のK先生は言った。

幼少期習っていたスイミングで不幸なことにトラウマがあった。

コーチに足で沈められて苦しかった。

プールを浅くする台にぶつかって、上の歯茎をえぐった。

あとは夏に火傷やスネをえぐるなどの大怪我をして、夏休みのプールに何年か参加出来なかった。

そのため、バタ足以外の泳ぎ方を知らなかった。

既に小5なのに。

K先生は言った、「夏のプール教室に来い。」

そして、2学年も下の3年生のクラスに入れてくれた。

恥ずかしかったけど、そのおかげで泳げるようになった。クロールだけでなく、平泳も。

そして、プールの後、「ちょっと来い」と給食室に連れて行かれた。

スイカをくれた。

甘かった。

そんな夏休みの思い出。

これは、全て私の小学生の頃の実話だ。

本当に校長室だったのかどうか(教頭室だったかも?)とか、夏休みに給食室に何故スイカ?とか細かい部分は自信はないけれど、まぎれもなくわたしが出会った先生たちとの思い出。

まだまだ沢山あるけれど、特に心に残っている大切な思い出。

学校がどうあるべきかとかではなく、こんな先生たちに出会えたから、学校が楽しかった。

学校が好きだった。

こんな温かな交流があったことが私の糧になっている。

最近は色々制約が多くなっているけれど。

学校というのは色んな友達との出会い。認めてくれる、受け入れてくれる大人との出会い。

そんな場であって欲しい。

私はそう願っている。

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