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辛い過去も、解釈をリサイクルすれば壁を越える道具になる 第5話【エッセイ】

1、社会人生活と音楽

社会人となって、自分でお金を稼げるようになったのは良かったですし、周りの人間も進学より就職がほとんどだったので、周囲と比べて……というのは、当時はあまり感じていませんでした。

しかし、このまま漠然と仕事を続けて歳を取っていくのだろうか、本当にこれでいいんだろうかという気持ちはずっと感じていて、私が就職してホッとしている親や兄の反応ともギャップがありました。

ここで問題なのは、そんな本当の気持ちを話せる友達が、当時の私にはいなかったことです。

決断のすべてを他人に委ねてしまうのは、それはそれで問題ですが、自分はこう思っているということに対して、建設的な意見をくれて、応援してくれるような友達。そういう人がそばにいるかどうかは、人生の満足度や幸福度は大きく左右します。

当時私が思っていたのは、音楽をやりたいという気持ち。歌うだけではなく、オリジナルの曲を作り、音楽をやって生きていきたい。若い頃なら、誰でも一度は考えそうなことの一つです。

でもそんな気持ちを話せる友達はおらず、親や兄に話したところで、頭ごなしの否定以外の反応は返ってきません。つまり、話す意味がない相手だったということです。

仕事をしながら一人で考え続け、歌詞を書くためにパソコンを買い、やがて私は、ある芸能関係の会社のオーディションを受けます。どうやってその会社を見つけてきたのか、ハッキリとは覚えていませんが、確か何かの雑誌に載っていたオーディション受付みたいなものだったと思います。

自信があったわけではありません。だた、今の状態を続けていくことに強い葛藤があり、動かなければと感じていました。中学3年で自殺を考えたとき、このまま終わりたくないと感じたのと似た想いです。

そしてオーディション当日。
歌手志望でしたが、歌ではなく、役者志望の人がやるような演技を審査員の前でやり、練習していた歌を歌うことなくオーディションは終了。手応えもよく分からず、自分がなんのオーディションを受けたのかも「???」のまま帰宅。

オーディションの結果次第でどうするとか、そんなことも考えておらず、ただ結果だけを待って一週間が過ぎたころ、家に一通の手紙が届きました。
開けてみると、オーディションに通ったという通知。このときは、素直に嬉しかったものです。

ただ、受けたときはよく分かっていませんでしたが、その会社に所属していれば、確かに映画やドラマに出られる可能性はあったものの、ほとんどはエキストラで、授業料のようなものを払ってレッスンを受けて機会を待つ、というようなものでした。確か、初回に30万円、その後毎月15000円ぐらいだったと思います。

仕事をしながらなら払える額でしたが、当時の私の仕事は時間が不規則で、土日休みでもなかったので、レッスンを受けづらいということもあり、会社を辞めて、本格的に音楽をやることに専念しようと考え、会社には退職願い提出。

自分がすごく仕事ができていると思っていなかったので、引き止められたときは少し驚きましたが、このままここにいても……という想いと、オーディションに受かったという結果が背中を押し、そのまま退職手続きを進めました。

しかしここまでくると、さすがに家族に言わないわけにもいきません。相談ではなく、こうなったという話を、まずは母親にしました。そのとき、自分から話すから、兄には言わないでほしいとお願いもしました。

しかし後日、私が伝える前に、私が退職することを兄は知っており、なぜ俺に一言相談しないのか、そんなもんうまくいくと思ってるのか、みたいなことを言われました。

相談しなかったのは、前述したとおり、頭ごなしの否定が返ってくることが分かっていたからです。母親としては、心配になって兄に相談、兄も私のことを思ってのことだったのでしょう。

しかしそれは、相手の思いや考えを聞かず、たんに自分の価値観を押しつけているだけ。私からすれば、過去にも何度も自分が楽しいと思ったことを否定されているので、なんであなたたちに相談すると思ったの? という思いでした。

仕事を辞め、バイトをしながらレッスンを受ける。
そんな日々が続きました。

しかし、レッスンは演技力を鍛えるようなものばかりで、音楽のレッスンはなく、私にも、音楽のレッスンを受けたいと事務所側に言うとか、これはこれで表現力を磨くことにはなるかもと考え、レッスンを受けつつ、音楽は自分で続ける、ということを考えることもできないまま、なんか違う……という思いだけが積もっていきました。

そして半年ほどして事務所を辞め、音楽をやりながらバイトをするという日々を送りました。心機一転、頑張ればいい、と思うところですが、そもそも私は、子供の頃から積み重ねられた自己否定が改善されていませんでした。自己否定が強いということは、何をするにも支障が出ます。

意識の上で頑張ろうとしても、深い部分で、おまえは何をやってもうまくいかない、ダメ人間だという否定が入ります。どれだけがんばったとしても、こんなものじゃ足りない、おまえはダメ人間なんだから、もっと頑張らないと……というふうに、努力を評価せず、足りない足りないと、常に欠乏感があるような状態です。

自己否定はメンタルを蝕み、活力を奪い、やがて鬱状態になります。自分で決めたことだから頑張らないと……そう思っても自分で自分を否定してしまう。

アクセルとブレーキを同時に踏んで、前に進みたいけど進めず、タイヤだけがすり減っていくような感じです。

タイヤが心だとするなら、すり減り続ければいつか壊れてしまうのは当然のこと。しかしそんなことは分からない私は、兄の"指示"に振り回されながら、進みたいけど進めない状態を続けます。

そうやって自分を追いつめすぎで、再び「死」という言葉が頭に浮かんだとき、一冊の本に出会うことになります。

2、最初の変化

自己否定は、積極的な行動の妨げにもなります。
音楽をやっていきたいと思いながら、私はアクティブに活動できず、小さなレコード会社のオーディションを受け、インディーズでDCを一枚作ったり、曲作りを学んで曲を作ったり、歌詞を書き続けたり(書いた歌詞の数は300ぐらいです。歌詞を書き続けていたことは、物語を書くようになった今、様々な世界、キャラクターの感情を描く上で役立ったと思います)、していたものの、ほとんどは表に出すことなく、すべてが中途半端でした。

そんなある日、友人に一冊の本を紹介されます。ページ数は480ページ、それまで本などほとんど読んだことがなかった私が読むには、少々読みづらい本です。本のタイトルは『成功の9ステップ』、ジェームス・スキナー著(リンクは文庫本ですが、私が読んだのはハードカバーのやつでした)。

今見ると、ここはどうなんだろうかという部分もありますが(だいぶ前の本だから当然そういうのはある)、当時の私にとっては、目が覚めるようなものでした。このままでは終わりたくない……ずっと根底にある思いに対して、じゃあどうすればいいかを教えてくれるものだったからです。

私は連日本を読み、本の中のワークをこなし、書き込み、少しずつ実践していきました。今も続く読書の習慣ができたのは、ここからです。その後、本を紹介してくれた友人の紹介で、それまで出会ったことがないようなタイプの人に出会ったり、成功の9ステップのセミナーに出たり、心理学を学んだり、私の内面だけでなく、環境も変わり始めました。

しかし、いわゆる自己啓発系の本を読むとありがちなことですが、読んでいるときと読んだ後にはモチベーションが急上昇し、自分の習慣を変えようと奮闘し、使う言葉も変わります。ですが、あなたもご存知のとおり、習慣を変えるのはそう簡単ではありませんし、考え方を変えるのも、一朝一夕ではできません。無理のない範囲での「継続」が必要です。

でも、無理な目標を立てて無理な頑張りを継続しようとするのが、当時の私の状態であり、自己啓発系の本を読み漁っているときと言うのは、そんなふうになりがちです。分かりやすくいうと、年始の目標を立てるときのテンションが継続している状態です。それって悪くないんじゃない? と思ったかもしれませんが、目標を立てたはいいものの、具体的な行動を継続できない経験、したことありませんか? そういうことです(笑)

この頃になると、私は親や兄の言うことはほとんど聞いておらず、本を紹介してくれた友人と、その友人経由で繋がりをもった新しい友人と行動する時間が多くなり、表面的には充実し始め、考え方も変わっていきました。

ですが、考え方の変化と現実の変化は必ずしも一致しておらず、ある間違いによって、私は自分で自分を追いつめていくことになります。

3、前向きに苦しむ

当時の私は、とにかく前向きに考えよう、ネガティブが浮かんでも、すべてポジティブに変換することが正しいと思っていました。ネガティブは悪……そう思っていました。

だから、友達の前でも、職場でも、前向きな言葉を使い、高い目標を立て、それが達成できないときは自分を責め、心の中にネガティブが浮かんでくるのはまだまだ考え方に問題がある。もっとポジティブに考えろと言い聞かせていきました。

できる人はネガティブなことなど考えないし、浮かびもしないぐらいに考えていたと思います。人間は誰でも、良いところもダメなところもあり、それが健全なのですが、白か黒か、黒は悪で白こそが善と考えていたのです。

決めたことは完璧にこなすのが正しく、こなせないのは意志が弱いから……そしてここでも、自己否定はその力を発揮します。できないのはおまえがダメだからだ……という言葉を、何度も出してくるのです。

本を読むようになってから、意識の上では自己否定を否定してきました(俺はできる的な。自己効力感ではなく無理やりな肯定)し、度々脳内で上映される『俺はダメ人間物語』のことは、見ないようにしていましたが、見ていなくても、それは流れています。様々な設定を追加し、終わることなく続いていたのです。

数年後には、もう音楽でという気持ちは薄れており、じゃあ次は? ということを考えていて、答えがでないまま、友達がWebサイトを作っていたので、その手伝いをしたりもしましたが、メンタルの深層は変わらずに自己否定なので、この一歩を越えればレベルアップできるというところまで進めず、壁にぶつかっては違うことを試し、時間は過ぎていきました。

音楽をやらなくなって、Webサイト構築のスキルを磨くために、再び就職をしようとしましたが、面接は落ちまくり、110社以上落ちて、ようやく決まったという状態でした。途中で何度も心が折れそうになりましたが、折れなかったのはそれまで読んできた本たちのおかげだと思っています。

しかし、ようやく決まった会社は、入ってみたらブラック企業で、心身とも追いつめられていき、やがて社長からの言いがかりと、それに伴う圧力によって退職。散々でしたが、気持ちとしては楽でした。

理由は、ようやくメンタルへの圧から逃れられるということと、退職する数ヶ月前に、ひらめきのように降りてきた、あることがあったからです。

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