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「短編小説」巌流島異聞

デッドボールを受けて気を失ったプロ野球選手元村。 彼が目を覚ますと、そこにはなぜか侍が……。

文字数:約6600。読書時間目安:11分。


 蒸し暑さに目が覚めると、草木が生い茂る場所に倒れていた。おそらく山中だ。

 「な、なんだ、ここは?」

 元村もとむら たかしは、まわりの異様さに目を見張り、跳ね起きる。

 夜だった。しかし、月明かりが照らしてくれるので暗さはそれほど感じない。星々が、これまで見たことがないほど輝いていた。

 夏の夜――こんなに美しい星空なんて、生まれて初めてだ。

 しばし見とれてしまった。だが、そんな場合ではないと思い直す。

 俺は、どうしたんだっけ?

 自らの体を確かめる。ユニホームを着ていた。

 そうだ、試合中だったはずだ。

 元村はプロ野球チーム、ツイスターズの選手だ。今日はセリーグ首位を走るタイタンズとの試合で……。

 気を失う直前の場面がフラッシュバックする。

 相手チームの投手がなぜか乱調だった。元村の打席もボールが先行し、その4球目……。

 デットボール。頭部に直撃。目から火花が散ったかと思うと、すぐに気を失ったのだ。

 なのに、なんで病院じゃなくてこんな所にいるんだ?

 キョロキョロとする元村。ズキン、と頭が痛む。手をやると、メットをかぶったままなのに気づき奇妙に感じる。足下にはバットも転がっていた。それを手に取る。

 元村はリーグでも指折りの強打者だった。トレードマークとなっているのは、通称「物干し竿」と呼ばれる長いバットだ。伝説の強打者、初代ミスタータイガースの藤村富美男にあやかっていた。

 突然、がさっ、と草木を踏みしめる音が耳に飛び込んでくる。

 目をやると、変わった服装、まるで侍みたいな男達が三人立っていた。




 「妙な出で立ちの者がおるぞ」

 一人が言った。

 いや、妙なのはそっちだろう、と思ったが口にはしなかった。何か、まずいことになりそうだと感じたのだ。

 「もしや、武蔵か?」

 はぁ? 武蔵って?

 「うむ、身の丈も6尺はある。そんな大男、滅多におらん。間違いあるまい」

 元村の身長は182センチ。プロ野球選手としては普通だろう。大男と言われたのは初めてだ。

 「このあたりにいるという噂は本当だったようだ。ここで会ったが百年目。新免武蔵、覚悟めされいっ!」

 3人が一斉に刀を抜いた。

 「ちょ、ちょっと待てっ!」慌てる元村。「何の冗談だよっ! ドッキリか? デットボールの後に仕掛けるなんて、モラルおかしいだろっ!」

 「往生際がしきぞ、武蔵。吉岡一門を滅ぼしたというは戯れ言か?」

 「我々は吉岡伝七郎殿と縁のある者。それ故、おぬしを捜し求めていた。その首、伝七郎殿の墓前にさらしてくれよう」

 一人が刀を翻したのを合図に、次々に斬りかかってくる。

 「う、うわぁ~!」

 元村は逃げ惑う。

 「うぬ、足が速いな。体の力はさすがと言えよう」

 追いかけて来ながら、一人が言う。

 そ、そりゃあ、プロ野球選手だからな……。

 ぼやきながらも逃げ続けた。しかし、相手は戦闘に慣れているようで、一人が前にまわり込んだ。囲まれる。

 「どうした、武蔵。その手にある妙な得物えものは飾りか?」

 元村はバットを見つめた。確かに強力な武器になる。

 くそっ! なんだかわからないが、とにかく殺されるわけにはいかない。




 「うおおぉぉっ!」と叫び、物干し竿と呼ばれるバットを振りまわす。無意識だが、素振りの要領をとり入れていた。

 ぶおんっ! ぶおんっ!

 重く鋭い音を響かせバットが何度も空を切る。その勢いに、男達は後退あとじさった。

 「さすが武蔵。太刀筋のなんと速いことか!」

 しばし男達も踏み込んでこられない。

 その時……。

 「これは異な事なり」と言う声とともに、新たに一人の男が現れた。

 元村と同じくらいの背丈で、ガッチリとしている。

 「何奴なにやつ?」

 三人組が目をやる。

 「さすが武蔵と言われて振り返ってみれば、我に似た体躯の者が大きな木刀のような物を振りまわしておった。しかもその振り方、只者ではあるまい。おぬし、我が名をたばかり何か企んでおるか?」

 その男はまっすぐに元村を見ながら言った。

 「なっ! なに言ってんだか、ぜんっぜんわかんねぇよ!」やけくそになり叫ぶ元村。「勝手にそいつらが襲いかかってきたんじゃねぇかっ! 俺は武蔵でも何でもない。元村隆だ!」

 「なんと。では、こやつが本物の武蔵かっ!」

 三人組が、新たに現れた男に向き直る。

 「いかにも、新免宮本武蔵なり」

 宮本武蔵だと?

 唖然として男を見る元村。




 「ええい、まぎらわしい」

 三人組が忌々しそうに元村を見た。

 「あんた達が勝手に間違えたんじゃないかっ!」

 思わず怒鳴りつけた。

 「仕切り直しだ。武蔵、覚悟っ!」

 「抜け、武蔵」

 元村のことなど眼中になくなったかのように、三人が武蔵を取り囲む。

 「よいのか?」と武蔵が言った。何気ない一言だが、ゾッとするほどの迫力があった。

 三人組が目を見張って息を呑む。

 元村も背筋が凍る思いがした。

 「抜く前に消えるならば、見逃してもやろう。しかし、いったん抜いたならば、武蔵の刀は血を見ずには納まらんぞ」

 ギロリ、と順番に男達を睨む武蔵。

 一瞬怯んだものの、三人は意を決したかのように再度刀を構え直す。

 「愚弄するな! おのれの血を眺めながら朽ちるがよいっ!」

 一人が叫ぶ。それと同時に一斉に斬りかかる。

 武蔵は動じず、ギリギリまで引きつけてからその剛剣をふるった。

 あっという間だった。一人の男の首が宙を舞い、もう一人の胴から血飛沫が噴き出す。残った一人は脅えて後退るが、即座に袈裟がけに斬り裂かれ倒れた。

 えっ? えっ?! ええっ!!

 突然の惨劇に、元村は言葉を失う。

 刀をいったん振り、納めてから武蔵が歩み寄ってきた。

 「災難であったな、元村殿」

 声をかけてくる武蔵。その向こうには、むくろとなった三人の姿が……。

 「ひっ、ひぃぃっ!」

 叫びながら、元村は腰を抜かした。





 「なんと、そこもとは時代を超えてまいった、と申すか?」

 パチパチと音をたてながら燃える囲炉裏の火の向こうから、武蔵が言った。

 「そうとしか思えないんですよ」

 しょぼくれながら応える元村。

 あの場所からしばし歩き、すでに誰もいなくなったらしい民家を見つけた。そこで一夜を明かすことにしたのだ。

 行く当てなどないという元村を、とりあえず一晩だけということで武蔵は同行させてくれた。そして、この家を見つけると、手際よく火をおこして灯りをつけた。

 「妖術使いとでも争うたか?」

 「いや、そんなものいねぇし……」

 「面白い。夏の夜話にはちょうどよいではござらぬか。詳しく話してたもれ」

 興味深そうに促す武蔵。表情はまるで子供のようだった。

 その後、元村は武蔵に数百年後の世界をできる範囲で話して聞かせた。

 特に詳しく説明したのは、宮本武蔵が後年どのように語られているか、だった。

 最強の剣豪と呼ばれ、人気も高い、と言うと目を見開いて驚いている。

 そしてなんと……。

 「な、なんで泣いてるんですか、武蔵さん?」

 驚いたことに、元村を前にしてあの宮本武蔵が号泣し始めたのである。

 「我は、無法者、乱暴者、狂乱者、鬼畜生、などと口々に言われておる。確かに真剣勝負で何人も殺生をした。武芸者としていたしかのないことなのだ、と諦めておったのであるが、そうか、後世にはそのように評されて……」

 オイオイと声をあげて泣き崩れる剣豪武蔵を見て、同情の念が湧く元村。彼もプロ野球選手で有名人だ。陰である事ない事言われている。誹謗中傷、身に覚えのない作り話、それらを気にして心を病む人もいる。自殺さえする者がいるのだ。

 ネットのないこの時代もまた変わらないものなんだなぁ、と改めて感じた。




 「……ということは、我は、あの巌流と立ち合い、勝つことができたのか?」

 しばし泣き続けてから、はたと顔を上げて武蔵が訊いてきた。

 「巌流? ああ、巌流島で戦った佐々木小次郎のことか……」

 呟くように言う元村。見ると、武蔵はすがるような目で続きを待っている。

 「いや、普通に勝ったでしょう……」

 「それはまことか? あれほどの男に、我が勝てたというのか?」

 自らのことなのにあまりにも意外そうに言う武蔵。元村は怪訝に感じた。

 「ずいぶん自信なさそうですね。さっきはあんなに強かったのに」

 「何を申す。小次郎は、あのような者達とは比べものにならん。仮にあの者達が十名おったとしても瞬き数回のうちに切り捨ててしまうだろう。奴が持つ刀は通常より長い。それを意のままに操るのだ。今の我では、勝てる気がしない」

 刀が長い? たしかそれも『物干し竿』と呼ばれていたんだっけな?

 思い出し、元村はそこに置いていたバットを手に取る。

 「これも『物干し竿』って呼んでいるんだけど……」

 「おお……」感嘆の声をあげる武蔵。「先ほどおぬし、それを見事に振っておったな。今一度見せてくれぬか?」

 バッティングスイングのことか……。まあ、何かの参考になるなら、と元村は立ち上がる。バットを構え、そしていつものように振る。

 「うぬっ! お見事。体の筋が一本通っており、肩腕の力も適度に抜けておる。その振り、我に御指南くださらんか?」

 武蔵も立ち上がった。剣術に活かせることなら何でも採り入れようとする姿勢が見てとれた。さすが後世に名を残す剣豪だ。

 「かまいませんけど……」と応え、武蔵にバットを渡す。やってみてください、と促した。

 それからしばらく、元村は貪欲にあらゆる技術を身につけようとする武蔵の熱意に負け、バッティングスイングを教え続けることになった。





 すっかり夜が更け、深夜といえる頃になると、武蔵のスイングは鋭さと力強さを増していた。

 一休みすることになり、二人してまた囲炉裏を挟んで座る。

 「……して、我はどのようにして巌流に勝つのか?」

 近くを流れる川から汲んできた水を飲みながら、武蔵が訊く。

 元村の頭の中にある武蔵関連の事柄は、ほとんど小説やマンガから得た物だった。どれほど史実と近いかわからないし、自分の記憶も曖昧だが、とりあえずそれらを元に説明する。

 「な、なるほど。巌流は刀を抜いてすぐ鞘を捨てるのだな? で、そこで我が、そんな見事なセリフを言うのか……」

 思案する武蔵。戦いを脳内で構築し、本番に備えるつもりなのだろう。それは勝負師として見習うべきだと元村は思った。

 とはいえ、セリフを必死に紙に筆で書き留めている武蔵の姿を見ると、滑稽に思えてしまって思わず笑みがもれる。

 その後、眠気を覚えて元村は休むことにした。長時間武蔵と語り合い、スイングを教えたので、かなり疲れを感じていた。見ると、武蔵も座ったまま目を閉じている。

 どのくらい時間が過ぎただろう。目を覚ますと、武蔵はいなかった。

 すでに空が白んでいる。

 まさか、行ってしまったのか?

 焦って起き上がる元村。だが、それは杞憂だった。外に出ると、武蔵が石を集めて何やら作っている。

 「何をしているんですか?」

 「目覚めたか。おぬしがやっている野球とやらを再現できぬかと思ってな」

 地面を見ると、石をボロ布や藁でくるんだ物がいくつか転がっていた。多少大きさの幅はあるが、野球ボールに近い。

 スイングだけじゃなくて、実際に球を打ってみたくなったんだな。

 いにしえの剣豪が野球というスポーツに興味を持つとは、不思議な感じだ。




 まずは元村が見本として、武蔵の投げる簡易球を打って見せた。

 ガキン、と硬めの音を響かせ、球は遙かに飛んでいく。

 「おお、さすが、見事であるな」

 そりゃあ、一応首位打者狙ってるし……。

 次は武蔵にバットを渡し、元村が球を投げる。

 はじめこそ空振りばかりしていた武蔵だが、元村がいくつかアドバイスをすると打ち返し始めた。呑み込みの早さはさすがだ。打撃だけで見ればすぐにもプロで通用するのでは、とさえ思えるほどだった。

 夜明けの夏空に、石でつくった簡易球が何度も飛んでいく。

 武蔵は得意になって、もっともっと、と投球(投石?)をせがんだ。

 本当に、子供みたいだな、と微笑ましく思う元村。

 楽しい時がすぎていく。しかし……。

 武蔵の打った簡易球が民家の横にそびえていた巨木にぶつかる。そして、勢いよく跳ね返った。

 「いかん、伏せよ、元村殿!」

 咄嗟に危険を感じた武蔵が叫ぶように言う。

 だが、元村の判断は遅れた。「えっ?」と振り向いた時には、簡易球が自分に向かって飛んでくる。

 うわぁっ!

 慌てて伏せようとするが、間に合わなかった。簡易球が元村の頭部に直撃する。ちょうど、あのデットボールを受けたのと同じあたりだ。

 衝撃で倒れる元村。まわりの光景が全て、スローモーションのように感じられた。

 「元村殿、元村殿っ!」

 武蔵の声が、どこか遠くから聞こえてくる気がした。そして、元村はまたしても気を失った。





 「元村っ! しっかりしろ」

 聞き覚えのある声だった。うっすらと意識が戻ってくる。

 え? 監督?

 バッターボックスの横に倒れていた。そして、見上げたところに監督や両チーム選手達の顔がある。

 「おお、気がついた。今、担架が来るから」

 心配そうに声をかけてくるのは、チームドクターだった。

 試合中だ。デットボールの直後に戻っている。

 あれは、夢……?

 ゆっくりと上体を起こす元村。

 「おい、ジッとしていろよ」という声に、大丈夫と手を上げて応えた。そして、視線を巡らせる。

 客席にはファンの人達。

 あっ!

 思わず目を見開いた。

 球場のバックスクリーンに、CMが流れている。その映像が、近日放送される特別ドラマ「宮本武蔵」だった。

 あれを観たからあんな夢を……?

 「ところで、バットはどこだ?」

 一人が怪訝そうな声をあげた。

 「うん、見当たらないんだよな。どこにいったんだろう?」

 もう一人が応え、他の者達もキョロキョロと探す。しかし、どこにもない。

 まさか……。

 元村は、嬉しそうにバットを振る武蔵の姿を思い出した。

 もう一度スクリーンを観る。

 武蔵を演じる俳優が映っていた。

 本物はもっと逞しかったぞ……。

 そう思うと、元村はフッと笑った。





 
 慶長十七年四月十三日――。

 舟島――のちの巌流島――に向かう小舟で、武蔵は手にしたバットを見つめていた。

 「本当に、我は小次郎に勝てるのだな、元村殿?」

 昨年の夏の一夜に出会った不思議な男を思い出す。頭に球を受け倒れたと思ったら、その姿がスーッと空気に溶けるように消えていった。それ以来二度と会えていない。

 「なれば、本日はこれにて勝負を決しようぞ」

 あの男が残していったバットをしっかりと握り直す。

 「もう着きますぜ」

 船頭が言った。

 「うむ」と頷くと、武蔵は立ち上がる。

 浜辺に宿敵、佐々木小次郎が駆けよってきた。

 「待ちかねたぞ、武蔵!」

 「おう、小次郎かっ!」

 船が着岸するのを待たず、武蔵は飛び降りた。バットを清めるように海の水に浸けながら、島へと上陸する。




 内心では脅えもあった。

 本当に、勝てるのか?

 その時、小次郎がその長い刀を抜き、鞘を投げ捨てた。

 おおっ! 捨てた、捨てたっ! よし、ここで言うのだな、元村殿!

 胸が高鳴る。そして――。

 「小次郎破れたりっ!」

 大声で言い放つ武蔵。

 「なに?」

 キッと鋭い視線を突きつけてくる小次郎。

 「勝つ身であればなにゆえ鞘を捨てる? 惜しや小次郎、死を急ぐかっ!」

 「黙れぃっ!」

 怒りを込めた小次郎の一の太刀。それを武蔵は、見事なバッティングスイングではじき返した。

 あの後も鍛錬に採り入れ、しっかり身につけていたのだ。

 見たことのない太刀筋に、小次郎の表情が驚きに染まる。

 即座に飛んだ武蔵は、バットを振りおろした。小次郎の太刀と交錯し、鉢巻が切れる。

 次の瞬間、倒れたのは小次郎だった。

 決着がつくと、武蔵は急ぎ小舟に飛び乗り、舟島を離れていく。

 佐々木小次郎、我が生涯一の強敵であった……。

 まだ戦いの興奮に震える体を落ち着かせるよう、深く息をついた。

 そっと、バットを水面みなもにつけて手を放す。

 かたじけない、元村殿……。

 流れていくバットを眺めていると、波間にあの不思議な男の顔が映ったような気がした。

                Fin

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眠れない夜に

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