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「短編小説」心花

……これは、ちょっとした御伽噺。

刑事としてがんばる智樹。そして、不思議な少女、心花。
2人は遠い過去から結ばれていた……。

文字数:約9500字 推定読書時間:約15分


 ……これは、ちょっとしたお伽話。

1 再会

 三上智樹は重くなった体を引きずるようにして、帰路についていた。

 疲れた……。

 刑事の仕事は激務だ。横浜の繁華街を含む管轄ともなると事件も多い。

 警察官になりたての頃は、刑事に憧れたんだけどなぁ。

 何とか30才までに所轄署の刑事となったものの、夢に描いていた颯爽とした姿とはほど遠く、疲れた姿を鏡に映してため息をつく日々が多くなっていた。

 いかん、いかん、俺は、まだ警察官として半人前だ。もっとしっかりして、多くの人を守り、救っていけるようにならないと。

 そう、あの人のように……。

 脳裏に、幼い頃自分を助けてくれた警察官の姿がうかぶ。

 あなたに一歩でも近づけるように、頑張ります。

 そう気持ちを立て直したところで、一人暮らしのマンションにたどり着いた。

 鍵を開け中に入り、灯りをつけ……いや、すでについていた。

 ん? あれ、朝、出るとき消し忘れたかな?

 首をかしげた途端に、奥からドタドタと足音が聞こえてくる。

 「おかえりっ! 智樹っ」

 突然現れた女の子が、元気な声をあげた。和装でおかっぱ。歳は5才くらいか? 艶やかな黒髪と白い顔。どこか人間離れしていて、日本人形を思わせる。

 「のっ! のわぁぁぁっ!」

 慌てて外へ飛び出そうとする智樹。

 そのスーツの裾を女の子がつかみ、思いきり引っ張る。

 「なんで出てくのよぅ? 待ってたのにぃ」

 小さいのに力が強い。智樹は引っ張られるままその場に尻餅をついた。

 「え? 俺を待ってた? 」

 「あたりまえじゃん。ここ、智樹のお部屋でしょ?」

 そ、それはそうだけど……。

 「さ、入って入って」

 いや、俺の部屋だし……。

 「き、君は、誰? どこの子だい?」

 立ち上がりながら、ようやく智樹が訊いた。




 女の子は「えっ!?」っと言って目と口を大きく開けたまま止まった。

 「なんでここにいるの? お父さんかお母さんと一緒じゃないのかい?」

 冷静さを取り戻しながら、智樹が更に訊く。硬直してしまったかのような女の子を、もう一度よく見た。

 人形のように見えたが、顔が白いのはおしろいでも塗っているのだろうか? 和装なのは、何か催しでもあったのか?

 「ひ、ひどい……。私のこと、忘れちゃったの?」

 わなわなと全身を震わせながら、泣き始める女の子。

 「え? いや、その……」

 あまりにも悲しそうな女の子の様子に、智樹の胸が痛む。しかし、そうは言われても、こんな小さな子に知り合いはいない。

 困惑しているうちに、脳がめまぐるしく過去の記憶を呼び起こしては消していく。そしてついに、あることを思い出しハッとなった。

 しかし、でも、それは、だって……。

 「うう……。うわぁん。ひどいよぅ……」

 泣き声が徐々に大きくなっていく。

 「まさか、もしかして、ちび花?」

 恐る恐る訊く智樹。

 ピタリ、と女の子が泣きやみ、動きも止まった。そしてまた、満面の笑みを浮かべる。

 「思い出した? でも、ちびは余計だなぁ。心花はなだよっ! 久しぶり」

 「そ、そんなバカな……!」

 自分で言い当てておきながら、智樹は驚きでまたしてもその場に腰を落とした。

 だって、心花は、人形だったじゃないか……。




2 人形婚

 本州の最北端、津軽半島の一部地域には「人形婚」という風習が残るところがある。

 智樹は以前、そこで暮らしていた。

 「人形婚」は、未婚で亡くなった若者や幼児に死後の結婚をさせる、東北地方の「冥婚」の風習の一つだ。似たものでは絵馬に結婚の様子を描く山形県の「ムカサリ絵馬」が有名だが、津軽では人形と結婚させる形をとる。

 このような風習の背後には、未婚で死んだ者は正常な生を全うしていない霊=祟りなす怨霊である、という宗教感覚が根付いている。だが同時に「不憫だからせめて形だけでも結婚させてやりたい」という、遺族の純粋な感情があるのは間違いない。




3 夢?


 
 「はい。どうぞ」

 目の前のテーブルに、湯飲みが置かれた。熱い緑茶が注がれている。見ると、茶柱が立っていた。それを見て心花が「わぁ、いいことあるよ」とはしゃいだ。

 智樹の部屋だ。キッチンと六畳間、風呂とトイレだけという狭さだが、一人暮らしなのでそれでも全く不便はない。

 フウフウと冷ましながら、一口お茶を飲む智樹。目は心花に向けたままだ。

 「いや~ん、夫婦だからって、そんなに見られたら照れちゃう」

 心花が体をよじりながら言った。

 途端にぶふぅ~とお茶を吐き出してしまう。

 ちょ、ちょっと待てよ。落ち着こう。これは夢だ。きっと夢に違いない……。

 頭を振り、深呼吸をしながら考える智樹。

 「それにしても、久しぶりね。智樹、昔のままで良かった」

 「い、いや、そんなはずはないよ。何年経っていると……」

 まじめに応えようとして、智樹は止まる。そう、夢だ。夢なんだ。

 「ええ? でも……」心花が目を細めながら見つめてきた。「ああ、ほんとだ。こうやって見るとおじさんになってる」

 「おじさんじゃないっ! まだ30になったばかりだよ」

 思わず言い返してから、ああ、夢なんだからいいか、と思い直す。

 「うん、でも違う気持ちで見れば、前の智樹だ。だって、見ようと思えば何歳の智樹でも見られるし。だから、今も5才の智樹のままだよ。なんなら、もっと年上の智樹にだってできるよ。90才の智樹、見てみようか?」

 「いや、いい。そんなに生きないかもしれないし……」

 こちらが言い終わらぬうちに心花が「ぎゃぁぁぁっ!」と叫ぶ。

 「どうした?」

 「智樹が白骨になった」

 「死んでるじゃん……」

 「なーんて、嘘だよ~ん」

 戯けて笑う心花。がっくりと項垂れる智樹。




 「智樹もやろうと思えばできるよ。私のこと、ちっちゃい子供に見えるんでしょう? でも、それは人形に合わせたから。本当はもっと年上にだってなれるんだから。心花の世界に年齢なんて関係ないの。見たい歳で見ればいい。やってみなよ。ほら、二十歳くらいの心花を見て……」

 そんなことを言われても……と思いながらも、新たに心花を見つめ直す。すると……。

 「おっ! おおっ!」

 思わず声をあげてしまった。

 そこには、若い女性の姿が……。しかも、アイドルか若手女優と言ってもいいほどの美貌だ。

 「どう? どんなふうに見えるのかなぁ?」

 心花が立ち上がる。いつの間にかTシャツにホットパンツという軽装になっていた。スラリと伸びた足がまず目を惹く。そして、出る所は出てくびれるべき所は適度にくびれて……。

 サッ、サッ、といろいろなポーズをとる心花に、見とれてしまう智樹。

 「ちょっと目がいやらしいですよ?」

 心花が言う。智樹は慌てて視線をそらす。

 それにしても、リアルな夢だなぁ。よっぽど疲れてるんだな、俺……。

 「うふふ……」とささやくように笑いながら、心花がピッタリと身体を寄り添わせてきた。そう、二十歳の身体で……。

 「あ、いや、そのう……」

 拒むのも悪いし、どうせ夢だからと智樹はそのまま彼女の肩を抱いた。

 「嬉しい。やっと一緒にいられる……」

 嬉しそうな心花の声。




 「本当に夢なのかなぁ……」

 首をかしげながら、部屋の片隅を見る。するとそこに、開かれた段ボール箱があった。人形の心花が入るくらいの大きさだ。

 まさか、もしかして!

 ハッとなり箱を引き寄せた。中に手紙。実家の母親からだ。

 『前略

 元気でやってますか?

 実は、この間の地震で裏の物置が崩れてしまったの。そうしたら、なんとあなたが5歳の時に人形婚をしたお相手、心花が出てきたのよ。ずっと奥にしまわれていたのね。こちらに置いておいても仕方ないし、智樹の物だから送ります。どうするかは智樹が決めてね』

 完結にまとめられた手紙。しかし、と言うことは……。

 智樹は空になった箱と隣にちょこんと座る心花を順番に見た。

 「ま、まさか、君、本当に、本物の、心花?」

 「なに言ってるの? あたりまえじゃん」

 にこっと笑う心花の顔が、一瞬人形に戻った。

 智樹は呆然とするしかなかった。




4 過去

 今から25年前、5歳の時、智樹は一回死んだ。

 小さいが観光に訪れる人は多く、活気はそれなりにある街に住んでいた頃だ。

 あれは夏の日だった。行楽に良い季候で、多くの客が訪れた。

 しかしその中に、逃亡中の殺人犯が紛れ込んでいた――。

 暴力団の抗争の最中のことらしい。対抗組織の幹部を殺害した男が逃げ延びてきていた。追っ手も現れて、河原で銃撃戦になった。地元の警察署から警官も駆けつけ、青森県警の機動隊も出動した。

 夕方ので、子供達やその親も遊びに来ていた中での騒動だった。人々は必死に逃げ惑った。

 逃亡犯はやけくそになり、意識は常軌を逸してしまった。目に映る者すべて、敵だろうが警官だろうが何だろうが――そう、女子供であっても、所持していた散弾銃を向けた。

 逃げ遅れた智樹が、男の標的になった。そのとき、一人の警官が駆けより、智樹を抱きかかえて逃げようとした。

 激しい銃声が響き、何発もの弾丸が警官の身体を貫いた。そのうち数発が智樹の身体にも撃ち込まれた。

 何とか逃亡犯も追っ手の暴力団員達も制圧されたが、多くのけが人が出た。

 そして、死者2名――。

 一人は智樹。もう一人は彼を救おうとしてくれた警察官だった。

 病院に担ぎ込まれた智樹は、その時すでに心肺停止状態。嘆き悲しんだ両親や兄弟姉妹達にかわり、親戚のおばさんが人形を用意してくれた。

 人形婚の相手、それが、心花だ。

 臨死体験、とでも言うのだろうか。智樹は死の間際に夢を見ていた。




 「君は誰?」

 「心花はな

 「僕よりちっちゃいね。ちび花だね」

 「失礼ね。あなたのお嫁さんなのに」

 「え? お嫁さん? まだ子供だよ、僕たち」

 「ここでは、細かいことは気にしないの。さあ、一緒に遊ぼう」

 「うーん、なんだかわからないけど、まあいいや」

 夢の中では時間は無限のように感じられた。智樹と心花は、たくさん遊んだ。雲の上の上の上の、更に上の世界で……。

 それはそれは、楽しい時だった。

 しかし、突然目の前に、制服を着た警察官のおじさんが立ちふさがってこう言った。

 「君はまだ、死んじゃいけない。帰りなさい」

 えっ? と驚く智樹。

 しかし、心花はおじさんの言うことを理解したようだで「それができるなら、その方がいいね」と寂しそうに言った。

 その瞬間、世界がぐらりと揺れた。そして目の前が真っ暗になった。ぐるぐるぐるぐる回って、智樹は大きな波に呑まれた。

 時と空間の波に――。

 途中、遠くから心花の声が聞こえてきた。

 「またね。私、会いに行くからね……」




 病院のベッドで目を覚ました智樹を、まわりの人たちは驚きの目で見つめた。

 叫ぶ人もいた。

 今ならそれも当然だろうと思う。死んだ人間が蘇ったのだから。

 でも、結局みんな喜んでくれた。医者も、希にこういうケースもある、とか何とか言っていた。

 銃で撃たれた時、警察官のおじさんに抱きかかえられた。おじさんの体が、弾丸の威力を弱めてくれた。だから、銃弾は智樹の命の火を最後まで消しきることはできなかったのだ。

 智樹が寝ているベッドの脇には棚があり、そこに人形が飾られていた。心花だ。

 ああ、この子だったんだ……。

 智樹が見つめていると、母がその心花を抱き上げた。

 「この子も、無駄になっちゃったわね。どこかで供養してあげた方が良いのかしら?」

 即座に首を振る智樹。

 「家に置いて飾っておこうよ」

 「そう? まあ、そうね。本当のお嫁さんが来るまで、相手をしてもらえばいいね」

 母もそう言って頷いた。

 とはいえ、快復して元気になると、智樹はその人形の存在を徐々に忘れていき、いつの間にかどこかに紛れてしまっていたのだが……。

 退院してしばらく後、両親に連れられて、助けてくれた警察官、藤岡茂さんの家へ挨拶に行った。

 遺影を見て驚いた。あの、臨死体験中に見た夢に出てきた警察官とそっくりだったからだ。

 いろんな人に話を聞いた。藤岡さんは、立派な警察官だったという。市井の人たちのために親身になってくれる、警察官の鑑だ、と……。

 いつしか智樹は、自分も警察官になると決意していた。命を救ってくれた藤岡さんのようになるんだ、と思ったのだ。

 ずっと忘れてた、心花人形のこと。でも、まさか、本当に……?

 すべて思い出すと、もう一度心花のことをマジマジと見る。

 「いや~ん、そんなに見つめないで」

 恥じらうように両手で顔を隠す心花。しかし、指の間から嬉しそうな目でこちらを見ている。

 これから、どうすればいいんだ?

 困ったような、ちょっと嬉しいような、複雑な気持ちで智樹はため息をついた。




5 新生活

 「いってらっしゃ~い」

 手を振る心花。

 「行ってきます」

 戸惑いながらも手を振り返す智樹。

 そんな朝が続いた。

 「お帰りなさ~い」

 ドアを開けると、すぐに駆けより抱きついてくる心花。

 「ただいま」と抱きしめ返す智樹。

 そんな夜が続いた。

 そしていつしか、それが当たり前のようになっていった。

 心花は無邪気だが、とても優しく、いつも疲れた智樹を労ってくれる。

 そして、料理も上手だった。

 「ほら、今日は肉じゃがだよ」

 「はい、餃子つくったんだ」

 「ハンバーグ、上手にできたでしょ?」

 みんな、美味しい……。

 それだけではない。洗濯も掃除も、家事全般完璧だった。

 大きな事件が起こって智樹が捜査本部に加わり、家に帰る時間がほとんどなくなったとしても、心花は文句も言わず待ってくれていた。

 疲れ切ってぐったりとなってしまい寝るだけの日でも、心花はけっして休むことを邪魔せずに寄り添ってくれた。

 これで、いいのかな……?

 楽しくて心地よい生活の中で、智樹は時々疑問を浮かべる。

 心花は人間ではないのだ。このままで良いのだろうか?

 疑問が不安に変わろうとする頃、その人――いや、神様なのか?――はやって来た。




 珍しく智樹が非番の日、心花と一緒に夕食の準備をしていた。

 「今日はカレーだよ」

 「わあ、いいね。僕も手伝うよ」

 「じゃあ、玉ねぎ切って。心花、すぐ涙が出てきちゃうんだよ」

 「へえ、そうなんだ? どーれ……」

 「だめっ、切り口こっちに向けないでっ!」

 「アハハ、ほんとだ」

 「もう、智樹の意地悪っ!」

 「イチャイチャしているところ悪いが……」

 突然後ろから渋い声が聞こえてきて、慌てて振り返る2人。

 「う、うわぁぁっ!」

 「きゃあぁぁっ!」

 同時に叫び声をあげた。

 「そんなに怖がらなくても良いと思うんだが……」

 ポリポリと頭を搔くおじさんの姿がそこにあった。いや、よく見ると、それは智樹の恩人の警察官……。

 「藤岡さん? ええっ! 何でここに?」

 だって、僕を助けてくれたときに亡くなっているんじゃあ?

 目を見張る智樹。その腕に心花がしがみついている。

 「藤岡? そうか、君には私の姿がそう見えるのか?」

 「え? どういうこと?」

 怪訝な顔になる智樹の横で、心花が「神様……」と呟いた。

 「うむ。まあ、神の端くれだがね。実態がないから、君にとっては一番畏れ多い姿に見えるんだな。まあ、それはそれで良い」

 神様? 藤岡さん? どっちかわからないが、彼はそう言って頷いた。

 ぎゅっと智樹にしがみつく心花の手に力が込められた。

 「心花のこと、連れ戻しに来たんですか?」

 恐る恐る心花が訊いた。声が震えている。

 「え? 連れ戻すって、どういうこと?」

 心花と藤岡の神様の顔を交互に見比べる智樹。




 「うむ、わかっているようだね? 心花は人形婚の相手。その目的は、幼くして亡くなった魂を成仏させること。だが智樹君は生きている。しかも大人だ。このように一緒にすごすことは、ことわりに反している」

 藤岡の神様が渋い顔をしながら言った。

 「そ、そんな……」

 思わず息を呑む智樹。

 「私、智樹と一緒にいたい……」

 目を伏せながら呟く心花。

 「もし、このまま一緒に居続けるなら、近いうちに智樹君は命を失うことになる。人形婚が続くというのは、そういうことだ。それで良いのか、心花? 智樹君には立派な目標があるんだろう? まだまだ生き続けたいだろう?」

 心花と智樹を順番に見ながら、藤岡の神様が諭すように言った。

 俯きながら、視線を交わす二人……。

 「ごめんなさい……」心花がそう言って頭を下げた。「智樹が死んじゃうのはイヤ。この世界で、立派なお巡りさんになるのが夢だったんでしょう? がんばってね」

 うむ、と頷いて藤岡の神様が手を上げた。何かするつもりなのか?

 「ま、待って!」慌てて叫ぶ智樹。「今すぐ連れて行くのは待ってください。せめて一週間、いや、三日でいいから、一緒にいさせてください」

 「智樹……」

 潤んだ瞳で見上げてくる心花。智樹は彼女を引き寄せて抱きしめた。

 「ふむ」とまた渋い顔をする藤岡の神様。「三日か。その間、危険なところには行かないことだ。刑事の仕事も休んだ方いい。もうすでに、智樹君は死に向かっている。気をつけてな」

 そう言うと、藤岡の神様の姿はスーッと消えた。

 心花の頬をつたう涙は、玉ねぎのせいではなくなっていた……。




6 最後の日

 それから3日間、智樹は休みをとり、心花と一緒にすごした。

 買い物をして、食事をして、テレビを観て、ゲームをして……。

 楽しかった。しかし、寂しさも徐々に押し寄せてくる。もう、こんな時はなくなってしまうのか……。

 最後の日、夕食は豪華にしようということで、近くのショッピングモールの高級食材店へ買い物に出かけた。

 「ねえ、智樹、何食べたい?」

 「う、うん、そうだなぁ。すき焼きなんていいかな?」

 「よしっ、じゃあ、特上の牛肉買わなきゃ。智樹、お財布大丈夫?」

 「平気さ。今日は特別。たっぷり食べよう」

 「わーいっ!」

 2人とも明るく楽しそうに買い物を続ける。胸の奥にしまい込んだ寂しさ、悲しさに蓋をして……。

 そんな時……。

 パーンッ!

 乾いた音がショッピングモールのフロア中に響き渡った。

 遊びに来ていた人達、買い物客達などが、一瞬凍りつく。

 あれは……!

 智樹は目を見張った。見覚えのある男が、銃を手に走っていた。数日前に市内で強盗を働き、指名手配になり逃げていた男だ。

 男を追うのは制服の警察官2人。この近くを警邏中に発見したのだろうか? とにかく追いつめてはいるが、それは逆に相手の凶暴性を刺激している。

 男はショッピングモール内を行き交う客達に銃口を向けた。

 「追ってくるんじゃねえ。これ以上近づくと誰か殺すぞっ! 消えろ!」

 男は強盗時に2人を殺害している。捕まれば極刑は免れない。もはや、自暴自棄になっていた。

 警官達が怯む。戸惑いが見てとれた。その姿が、更に男をいらだたせた。

 「消えろって言ってんだろっ!」

 男が銃口を向けた先には、おもちゃ屋の入り口に立つ男の子がいた。まだ5歳くらいだろうか。




 危ないっ!

 智樹はとっさに動いた。男の子に駆けより、自らの体で銃口から隠す。

 「智樹っ!」

 心花の叫び声。

 次の瞬間、銃声が響いた。そして、智樹は背中に衝撃を受ける。被弾したのだ。自分でもわかった。

 目の前に男の子。脅えている。智樹は彼に向かって笑いかけた。

 「大丈夫だからね。ジッとしていて……」

 ヨロヨロと立ち上がった智樹は、振り返り、強盗犯を睨みつけた。

 「撃つなら、俺を撃てっ!」

 両手を大きく広げ、強盗犯に迫っていく智樹。

 強盗犯が目を見開いた。智樹のことを恐れている。後退りながら、震える手でまた銃爪ひきがねを引く。

 パンッ! パンッ! と銃声が響き、智樹の肩と腹部に衝撃が来た。

 激しく熱い痛みが体を駆け巡る。気を抜いたらその場に倒れ込んでしまうだろう。しかし智樹は歯を食いしばり、強盗犯に迫っていく。

 「う、うわぁぁっ!」

 恐れを成した強盗犯は銃を捨て、走って逃げ始めた。しかしすぐに、警官2名に取り抑えられた。

 振り向く智樹。男の子は無事だった。

 良かった……。あっ! 心花は?

 その姿を探そうとしたところで、意識はフッと途絶え、真っ黒になった。そして智樹は、フロアに倒れ込んだ。

 「智樹っ! 智樹ぃっ!」

 心花の叫び声が、遠くで聞こえた。




7 別れ

 智樹が病室のベッドに横になっていた。様々な機器につなげられ、命をかろうじて保っている。

 その横で、心花は泣き続けていた。

 智樹、智樹……。うわぁ~んっ!

 藤岡の神様が現れた。そっと、心花の肩に手をかける。

 「私のせいです」泣きながら心花が叫ぶ。「私が智樹の所に来ちゃったから、こんな事に……。うわあぁん」

 「まだ間に合う」

 藤岡の神様が言った。

 「え?」泣くのをやめ藤岡の神様を見上げる心花。「智樹は、助かるの?」

 「今すぐに、心花が雲の上の上の、更に上の世界に戻れば、何とか助けられるだろう」

 「戻ります。心花、戻りますから。だから、智樹を助けてください。お願いします」

 心花はそう言って、藤岡の神様にしがみついた。彼は頷くと、心花の頭に手を乗せた。

 その手から光が心花に降りそそぐ。彼女が、光と一体化していく……。

 藤岡の神様も同じように光に包まれていった。

 病室に残されたのは、智樹だけだった……。




 数日後、瀕死の重傷を負った智樹は奇跡的に快復し、意識を取り戻した。

 目を覚まし、ベッドの横の棚を見る。

 そこには、心花の人形が置かれていた。そう、小さな人形。もう動かない。

 心花……。

 さよなら。良いお巡りさんになってね――。

 そんな声が、どこかから聞こえてきたような気がした。




8 時は流れて……

 50年後――。

 とある老人ホームで、葬儀が行われていた。

 なぜか、警察関係者が多く駆けつけてきている。

 「三上智樹さん、元は警察官だったんだね」

 ホームの職員達が話していた。

 「うん、刑事にもなってバリバリ働いていたらしいよ」

 「へえ、信じられない。ホームでは、人の良い優しいお爺ちゃんだったのにね」

 「神奈川県警では名刑事だって言われていたらしいよ。ほら、見てごらん」

 1人が手で示す先に、立派な礼服に身を包んだ男性が見えた。葬儀場に足を踏み入れると、三上智樹の遺影に向かって直立不動となり、しっかりと敬礼をする。

 「あの人は?」

 「今の神奈川県警察本部の本部長だよ」

 「ええっ! 県警のトップ?」

 「うん、あの本部長、子供の頃三上さんに命を救ってもらったんだって。凶悪犯に銃を向けられたとき、三上さんが守ってくれたらしいよ。それがあったから警察官を目指したんだって。三上さんのように立派な警察官になりたいと思って。本部長に就任した時に新聞の記事に載ってた」

 「そうかぁ、すごい人だったんだね、三上さん。でも、それなのにずっと独り身だったのは何でだろうね?」

 「うーん。どうしてかねぇ? 仕事が命だったのか、それとも、良い人がいたけど何か事情があって一緒になれなかったのか……」

 明るい日差しを受け、葬儀は粛々と進められた。

 空には、白く大きな雲がいくつも折り重なって見えた。




9 再会

 心花は穏やかな風を受けながら、視線を下界に向けた。

 ここは雲の上の上の上の、更に上……。

 とある気まぐれな神様が造った世界。

 何か良いこと、ないかなぁ……。

 「心花~っ」

 どこかから、呼ぶ声が聞こえてきた。

 「えっ? 誰?」

 キョロキョロと視線を巡らせる。

 遠くから誰かが走って来る。男性だ。

 え? こんな所に、誰が?

 目を凝らして見ると、懐かしい姿が徐々にはっきりとしてくる。

 5歳の時、30歳の時、それぞれの姿が交錯していた。

 「智樹っ!」

 「心花。待たせてごめんね」

 「ううん。大丈夫。だって、ここは歳とか関係ない世界だから」

 「これからは、ずっと一緒だよ」

 「うんっ!」

 しっかりと抱き合う2人を、穏やかな風がつつみこんだ。


                        Fin

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