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緊急事態で映画館に行きたくないので「蜂蜜と遠雷」をアマゾンで見た(修正あり)

日曜の朝方イタリアの知人と近日中のプレゼンについてメッセージをやり取りしていたら「日曜の朝なのにこれから仕事するのか?もっとイタリア人みたいに人生を楽しめ(^o^)」と言われてしまった。


でも緊急事態で出歩けないし映画館へも行きたくないので、仕方なくアマゾンプライムで「蜂蜜と遠雷」という、ピアノコンクールを題材にした日本映画を見たのだけど、思うところあって感想を書いておく。2019年公開の映画なので、もうネタバレ有りということで。


松岡茉優(映画「ちはやふる」で演じた孤高のクイーンが印象深い)が影のあるコンペティターを演じていて、他のコンペティターの影響で浮き沈みしながらも、最後はプロコフィエフの3番協奏曲を見事に弾く!という(ひどくざっくりとまとめれば)映画。

最後はプロコのおかげで盛り上がるんだけど、冒頭のクラリネットのモノローグカットしちゃうわ、1楽章終わったら拍手来てそこで演奏終わりとか、(これは誤りだった。斉藤由貴が元夫の審査員に語りかけている最中に3楽章の演奏に切り替わっていた。なので3楽章のラストまでちゃんと演奏してから拍手されていたということで上記撤回しますm(_ _)m)ソレハナイダロウ!とクラシックオタクとしては憤慨するのだけど、まあでも良い映画だった。

クラシックオタクからすると、別に主人公の過去や陰影がなくても、プロコの3番を弾ききったらもうそれで盛り上がってOK!って感じなんだけど、映画や小説にはなんか背景のドラマが必要なのかねぇ、とひねくれてみる。


映画での演奏(東京フィルとピアニストの指は河村尚子ら世界的ピアニストたちが演奏している)もよかったけど、冒頭カットありの一楽章だけでは物足りなくてYoutubeで探してみた。

いやあ、今の日本人ってピアニストもオケもこんなに上手いの!?
若い頃、散々聞いたアルゲリッチとアバド&ベルリン・フィルでプロコとラベルのト長調のアルバムがあって、こういう天才同士でないとできない曲なんだなあって思ってたけど、いやすごいじゃん!


でも、たしかに映画のラストで全3楽章とも演奏したら一般のお客さんは緊張が途切れちゃうかもね?そう言う意味では、映画でのカットは仕方がないのか、、、。

映画全般を通して、審査委員長役の斉藤由貴がなかなか貫禄があって良い。
主人公と化粧室ですれ違うときに、かつての天才少女からの個人的なアドバイスと言いつつ「あなたの必死に演奏している音が若い頃の自分に似ていて、正直ちょっと苦手」「自分は覚悟がないまま辞め時を見失ってここまで来てしまった」という演技が、個人的にはこの映画の一番のピンポイント。若手の俳優陣とはちょっと違うレベル(まあ、求められているものが違うけれど)の、ちょっと屈折した重鎮ピアニストの演技が女優の意地を見せてくれて真に迫ってくる。

結局、役者の演技も観る者の感情にピースを一個一個置いていって、最終的にどこへ到着させたいのか。クラシック音楽ファンはそれを音楽から直接感じ取り、この映画では主人公役の松岡茉優の演奏の表情から読み取る人もいるだろう、そしてもう一つの補助線が斉藤由貴の演技なのだろう。


イヤミな指揮者役の鹿賀丈史が、バトンはありきたりだけどコンペティターにちっとも合わせようとしない老獪な指揮者ぶりを演じていたのもよかった。しかし協奏曲でソリストに合わせない怖い指揮者ほんとにいるの?
本選ではきっちりとオケとピアニストが合っていて、やればちゃんとできるんじゃないですかマエストロ(笑)


3人のコンペティターの本選での協奏曲が、プロコ2番、バルトーク3番、プロコ3番なのも、今どきのコンクールってこんなにもレベル高いの?ってくらい選曲も最高だったな。


バルトークを演奏する風間塵(鈴鹿央士)の演奏が、人々には雷鳴のように轟く、ということからタイトルが来ているのか?。


主人公(松岡茉優)はプロコ2番(優勝者)の演奏を聞いて「彼は世界に祝福されている」と感極まり、自分の演奏を放棄して帰ろうとするところを、バルトーク3番(3位)の雷鳴に心を動かされ、戻ってきてプロコ3番を弾ききる(2位)。このピアノ演奏中の松岡茉優の表情と演技が素晴らしい。実際にはピアノから音を出さない役者の演技として、ここまで曲に合わせて一体となってみせるのは、単に誰かピアニストの演奏のフリをコピーしたなんてレベルを超えている。まるで自分が弾いているかのように見せてくれるのは最高!

映画は女優を美しく撮れればそれでOK」の原則から言えば、この映画はこのシーンへ観客を導いてくるために構築されている。お見事。


本選の審査をしている斉藤由貴の演技が、絶妙に心を動かされていくさまをよく捉えていて、それまで不機嫌そうに審査していたのが、主人公(松岡美優)のプロコ3番の演奏中にはっと表情がかたまり、やがてかすかな笑みを浮かべる。


オケとのリハーサル後に嫌味とも自己憐憫ともつかない本音を投げかけてしまった主人公が、吹っ切れたように化けた演奏するのを見て、風間塵を見出した伝説のピアノ教師が「『彼を本物のギフトと捉えるか厄災と捉えるかは我々にかかっている』と推薦状に書いた(殆どの審査員はその手紙がなかったら賛否両論で分かれていた)意味がわかったわ、彼はすでにたくさんのギフトを人々に与えているのね」、と英語で腐れ縁の審査員(元夫)と話すところも良い味を出している。英語も素晴らしく上手(^^)


観る者は音楽から、松岡茉優の表情から、斉藤由貴の演技から、映画を通して何が起こっていたのか想像できる。これは親切な作りだと思う。しかし肝心の雷鳴が風間塵の音楽の何なのか、映画では具体的には描かれてはいないように思う。コントラバスの配置をソリストが変えさせるのはさすがに珍しいけど、配置そのものは珍しくない。そのくらい、オケの響きを強化しても負けないくらいの音量を出すピアニスト、だけじゃないんでしょう?

あまりにも現場の事実や音楽に忠実に作ればドキュメンタリーになってしまうし、「完璧を超えた何か」なるものが本当に存在するのかどうか、というテーマに挑んだ、うまく構築された群像劇だと評価したい。

ところで原作小説では主人公が演奏するのはプロコ2番なのね、そして優勝者がプロコ3番。どういう意図で監督かプロデューサーが選曲を変えたのか、やっぱプロコ3番のほうが盛り上がるから?ちょっと気になる(*^^*)

(このあと原作を読んでみた感想はこちら


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