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猫が我が家にやってきた4

ノルちゃんの"ちまき"が我が家にやってきて半年がたちました。生まれてから8ヶ月。体重も順調に増えて2900グラム。お気に入りの場所も確保したようで好きな時に寝て好きな時に食べて(ながら食い)好きな時にウンチョスしています。
好きな時に寄ってきて喉をゴロゴロ鳴らし好きな時にカミカミし好きな時に走り回り(そう、突然狂ったように走る)好きな時に水を飲んでいます。
でまた、好きな場所で眠る。

奥さんが、部屋の中で走り回る"ちまき"を見てどうにも不憫に思うらしく、外で思い切り走り走りたいだろうなあ、かわいそうだなあとか言っています。娘ちゃんはこの子を外に出したらもっとかわいそうなことになる!やめとけ!と冷静に答えています。

生まれてからこの部屋の世界しか知らない"ちまき"は外に出したらもうノラちゃん達にどんな仕打ちをうけるかわかりません

おいおい、なんだよこの子、新顔だねえ、ちょっと可愛い顔してるからってイキがってんじゃニャイわよ!野郎どもやっちまいな!!顔はダメだよ、ボデーボデー!!!!

"ちまき"にとって今の状態(一生家にいる)が幸せなのかどうかわからニャイですが、精一杯愛情を注いでいこうと思います。まあ、"ちまき"は他のニャン生(人生)を知りませんから比べようがありませんね。でも僕は"ちまき"がいなかった人生を知っていますのでもう、幸せなわけです。

先日、特別養護老人ホームにいる親戚のおばさんに会ってきました。車椅子生活ですがとても元気そうでした。前回の面会はコロナ禍ということもあり、我々は外、親戚のおばさんは建物の中、会話はスマホを通して行うと言うものでした。建物内で感染のクラスタを起こさないように細心の注意を払っていて、職員の方には頭がさがりました。
今回は建物内に入りましたが、マスク・ついたてがありました。無菌状態で健康。

帰り道、僕はこのおばさんのような生活になってしまったら耐えられるだろうか?と少々不謹慎ながら考えていました。居酒屋にも本屋にもダイソーにも散歩にもいけない。アメフト観戦もコンサートも行けない。パソコンはできるだろうけどネットは欲望の嵐が吹きまくっているので見ない方がいいかもしれません。耐えられん。
ピンピンころりがいいなあなんて、かなりリアルに考えてしまいます。

さて"ちまき"は人間ならば11歳。小学5年生か6年生あたりかな。まだ都会でに行きたいとは思わないな。けど、自転車で街を出て冒険はしたいだろうなあ。中学生になったら僕のように深夜ラジオを聴き始め、お年玉でフォークギターを買い揚水や拓郎を歌い始め東京の生活を想像し身悶える。わけはない。

「幸せ」というのは極めて個人的なもので他人がどうこういうものではないですね。猫だろうが人間だろうがその人(その猫)が「幸せだ」と思えばそれが幸せなわけです。親戚のおばさんも"ちまき"も本人(本猫)が幸せならそれでいいというわけです。

"ちまき"は幸せだろうか?と考えてもしょうがない。他人(他猫)はわからない。奥さんが幸せかどうかもわからない。長女が幸せかどうかもわからない。

僕は幸せか?これは僕に「幸せ決心能力」があるか、です。
幸せだなあ、と、決めたら、しあわせです。

では幸せとはどういう状態か?
上機嫌かな。

では上機嫌になるにはどうしたらよいか?
私は上機嫌だ、と思い込むしかないと思うのです。

"ちまき"ちゃん!!!上機嫌で行こうね!!!

寝てるか・・・。パソコンの上を歩き回り寝た。



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