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「公共」の意味を問う-映画『パブリック 図書館の奇跡』

今、図書館関係者の間で話題の映画、『パブリック 図書館の奇跡』を、仕事帰りに新宿の「新宿武蔵野館」で観てきました。

アメリカ・オハイオ州のシンシナティにある公共図書館を舞台に、大寒波の夜に緊急避難のシェルターとして図書館に立てこもったホームレス達と、それに巻き込まれた図書館員達の物語です。

監督・主演を努めるエミリオ・エステベスが、ある公共図書館の元副理事がロサンゼルス・タイムズに寄稿したエッセイにインスピレーションを得て、11年もの年月をかけて作り上げたこの映画、図書館が舞台なので、アメリカに限らず日本も含めて、公共図書館が抱える極めて現代的な課題が描かれます。

しかし、この映画の真の主題は「図書館」ではなくて、タイトルにある「パブリック」の部分にあります。
「パブリック(public)」とは、「公衆」「大衆」といった人々の集合体を指すと共に、「公の」「公共の」「公的な」といった意味があります。
たくさんの人々が集まる場では、必ず、それぞれの個人が持つ価値観の対立があり、それらの価値観のどれを優先させるのかという選択を迫られることが少なくありません。
その選択の連続の末に、「社会」という枠組みを作り上げていく営みが政治であったり、行政であったりする訳です。

こっちの価値観を取り、こっちの価値観を捨てるという選択の場面では、どちらかが正しく、どちらかが正しくない(間違っている)という単純な二者択一ではなく、どちらも間違ってはいないが、この場面では最大多数の最大幸福という功利主義的な観点から、こちらの道を取らざるを得ないみたいなことが少なくありません。
その時、一方の価値観を単純に否定して切り捨てるのではなく、その価値観に対して違う機会になったとしても別の救済策を示せるのかどうか、いったんは切り捨てられることになる少数派や弱者に寄り添えるのかどうかが課題となるでしょう。

コメディタッチで気楽に観られる映画ですが、爽快なエンディングの後に、そういうことを考えさせる深みと広がりを持っています。
それ故に、最初は限られた上映館が次第に広がって行っているのだろうなと思います。

図書館関係者に限らず、多くの方に、特に公務員など「公共」の仕事に携わっている方に観ていただきたい映画です。

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