【小説】 こいコーヒー(前編)

高層ビルで聞いた、『このLサイズあります?』の声が耳から離れない。

彼女と初めて出会ったのは半年前のことだった。
冬の寒さが鳴りを潜め、春の陽気を感じられるようになっていた。
コーヒーショップで直前に並んでいた女性は、店員さんを困惑させていた。

「この商品はワンサイズのみの提供となっています」
「あ、そうなんですね。ではSで大丈夫です」

女性は少し納得がいかないような素振りだったが、
店員さんの言葉に反論をすることはなく代金を支払い商品を受け取った。

商品を受け取った女性はそわそわと周りを見渡しながら客席の中へ溶け込んでいった。

私も注文したドリンクを受け取り、自身が確保していた席へと向かった。


私が確保していた席に着くと、そこには予想外の先客の姿があった。
二人掛けの小さめのテーブル席で、私の荷物が置いてある椅子の向かい側に、一人の女性が腰掛けていたのだ。

「あの、そこは私が確保していた席なのですが」
目の前の女性に声を掛けた時に気付いたのだが、そこにいたのは先程の女性だった。

「申し訳ありません。ここは既に確保されていた席なのですね。すぐに移動します」
目の前の女性はそう言って席を立とうとしていた。

「もし問題なければ、そのまま相席でも構いませんか?私の荷物の置き方も分かりにくかったと思いますし、混みあっているようですから」
周囲を見ると他に空席は見当たらないし、これも何かの縁だろう。

「良いのですか!?ありがとうございます!!!」
嫌がられる可能性すらあるかと思ったが、すんなりと受け入れられた。
傍から見たら私がこの女性をナンパしているようにも見えているかもしれない。

「こういったお店にはあまり来たことがなく、礼儀作法も分からずにご迷惑をおかけしました」
目の前の女性は私に向けて謝罪の言葉を紡いでいく。

「いえいえ、お気になさらず。初めてくるお店だと注文の仕方や座席の確保等で戸惑うことも有りますよね」
目の前の彼女は言葉遣いも丁寧で、どこかお嬢様のような雰囲気を感じさせる佇まいだった。
一つ一つの所作に品があるのだが、さりとてそれをひけらかしたり嫌味に感じられる部分はない。
どこか浮世離れしたような雰囲気を持ちつつも、陽だまりのような穏やかさも感じられる。

「ありがとうございます。不慣れなもので何を頼んでよいかも分からず店員さんも困らせてしまいました」
確かにレジでのやり取りは違和感があった。

「確かに注文の時も少し困っているような感じでしたね」
「そうなんです。頼み方や何を頼むべきかも分かっておらず、パッと見て目についた商品を頼んでしまいました。後ろも並んでいましたし、あまり悩むのも気が引けてしまいまして」
そういって彼女はエスプレッソのグラスを指さした。

「なるほど、それで困っていたんですね。ちなみにエスプレッソのエスはサイズを表すS・M・Lのエスではないんですよ」
「そうだったのですね。それで店員さんも困っていたのですね」
彼女はしょんぼりと落ち込んでしまった。

「しかもこれ、とても苦いんです」
「そういうタイプの濃いコーヒーなんです。出された状態は無糖なので、必要であればあそこのカウンターにある砂糖を入れると良いですね」
「なるほど、ありがとうございます」
そういって彼女は砂糖を取りにカウンターへ向かった。

「おかげさまで飲みきれそうです」
彼女はそう言ってニコニコとほほ笑んでいる。柔らかな物腰に相応しい柔和な表情で、とても可愛らしい。
綺麗というよりは可愛いという言葉が相応しい容貌で、見ていると気持ちが穏やかになるような笑顔だった。

「もし良かったらこれ、どうぞ」
私は自身が頼んだはずのコーヒーを差し出していた。

「え、いいんですか」
彼女は少し驚いて遠慮がちにこちらを見つめている。

「こっちの方が甘くてお口に合うと思うので、良かったら飲んでください。まだ口をつけていませんし、自分の分はまた頼むので大丈夫です」
「ありがとうございます。では、せっかくなので遠慮なくいただきます」
彼女は先程を上回る弾けるような笑顔で私のコーヒーを受け取った。口をつける前で本当に良かった。

「これ、甘くて美味しいです。ありがとうございました。美味しいコーヒーを飲んでみたいと思っていたので、本当に助かりました。」
彼女は私の差し出したコーヒーを片手に笑顔を振りまいている。その様はあまりにも可愛く、いつの間にか目を離せなくなっていた。

「もし差し支えなければ、今後もお力添えいただけないでしょうか。これからやりたいと思っていることが沢山ありまして」
彼女はそう言って、一冊のノートを提示してきた。そこには“やりたいことリスト”というタイトルがつけられいる。

「中身を見ても良いですか?」
「もちろんです」
遠慮がちに問いかける私に対して、彼女はにこやかに答える。

ノートを開くとそこにはたくさんの“やりたいこと”が箇条書きでリストアップされていた。
多種多様な項目が雑多に書き並べられており、いくつか消込されているものもあるようだ。

「私一人では難しい実行困難なものもありますし、一人で大丈夫そうだった項目ですら上手くこなせないもので……ご協力をお願いできればと……」
彼女は先程とは打って変わって、しおらしい態度を見せている。
そんな表情すらも魅力的で、どんな機会でも構わないのでまた会いたいと思っていた。

「喜んで協力させていただきます。しかし、出会ったばかりの私で良いのでしょうか?」
断る理由はないし、こちらとしては願ったりかなったりなのだが、何故私なのだろうかという疑問は尽きなかった。

「私を助けてくれた人ですから、悪い人ではないと思っています。ここで出会ったのも何かの縁なので、私は貴方を信じたいのです」
彼女のまっすぐな瞳で見つめられ、心を撃ち抜かれてしまった。

私と彼女は連絡先を交換し、本日はそのまま解散となった。

唐突に現れた美女との接点ができてしまい、今後も彼女と会う機会ができた。
私にとってあまりにも都合が良すぎる展開をどう考えるべきだろうか。

悩んでも答えは出ず、考えれば考えるほど彼女のことで頭がいっぱいになってしまった。

彼女が何者でも良いし、仮にこれが詐欺でも何でも構わない。
私は彼女の願いを叶えたくなってしまっているのだから。


続く

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