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今ほど不思議なものはない。人間は今しか生きることができない。これから来る未来を生きることもできないし、過ぎ去った過去を生きることもできない。どんなに過去に戻りたいと願おうと、どんなに未来に夢を描こうと、せいの舞台は「今、ここ」しかない。

でも、今って一体どこにあるのだろう。今を今と認識した瞬間、それはもう過去になっている。どれだけ今の存在の尻尾・・・・・を捕まえて手繰り寄せてみても、呆気あっけなく過去に逃げ込まれてしまうだろう。

 今よ 影も形もないものよ
  かつて私はお前を未来と呼び
   これからは過去と呼ぶだろう

未来と過去の狭間はざまで、79億の今がこの星を覆い尽くしている。本当はどこにもないはずの今が、ひとりの人間に捕まることもなく、それどころか怪しまれることすらなく、実に堂々と存在しているかのように見せかけて、実は存在し得ないのだ。

人間は、未だかつて今に出会ったことすらないのではないか。未来は想像することができる。過去は記憶することができる。弱々しくはあるけれど、未来も過去も私の頭の中にそれぞれの居場所を持っている。今だけがどこにも落ち着くところがない。巷では「今を生きる」なんて言葉がもてはやされているようだが、今の存在可否そのものにはあまり目が向けられないようだ。

今なんて本当は存在しないのに、それでも人間はその存在しないはずの今しか生きることができない。何という矛盾。未来を生きることも、過去を生きることも許されず、存在しない今を生きることしか許されない悲しみ。生と死の束の間、幻の今の連続を生きている。あるいは、今とは本来「永遠の今」であるところを、人間が部分的に今を切り取ろうと試み、認識を誤っているだけなのかもしれない。そして人間だけ・・・・がその誤った今を生きていて、他のあらゆる生物は悠然と「永遠の今」を生きているのかもしれない。そう考えると、そもそも「生きる」とは果たして如何いかなる現象であろうか。

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