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自殺の方法としての”死刑”

東京で痛ましい事件が起きた。

報道では、犯人の中学3年生15歳の少女は”死刑になりたかった”から、通行人を刃物で襲ったそうだ。

このような身勝手極まりない動機の元、凶悪犯罪を起こす人が定期的に現れる気がする。彼ら彼女らのいう”死刑になりたかった”は、カテゴライズするなら、自殺願望に該当するのではないかなと思う。

そもそもの自殺の是非を問うのは、本noteでは控える。私の想像の及ばない厳しい環境に身を置いている、経験をしている、それこそ「生きてるだけで丸儲け」なんてとても口にできない、そんな人がいるだろうから。

生きているという事実が、苦しくて仕方がない。

そんな人たちには、頭の中に自殺、という選択肢があることが一種、救いとなっているのかもしれない。

ここからは、掲題の通り「自殺」の方法としての「死刑を選択する」のは現実的だろうか否かを記していきたい。

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死刑の量刑基準

日本の刑事裁判において死刑宣告をする際には、昭和58年に起きた連続射殺事件の判例の基準に従って判断を行う。この基準は、永山基準と呼び、犯罪の性質・犯行の動機など合計9項目で判断がなされる。

簡潔に「どこまで行けば死刑なのか」を話すなら

一般的には被害者数が1人なら無期懲役以下、3人なら死刑。

である。

前述した永山基準にある9項目で総合的判断を行うため、被害者の数が1人だったが死刑となった判例ももちろん存在する。wikipediaの「永山基準」に以下のような表があったので引用させていただく。

被害者数と死刑が宣告される比率_引用元はwikipedeia_永山基準

殺人より強盗殺人の方が量刑は重いが、あくまで「死刑になりたい」という目的のための殺人であり、逮捕され判決をもらうまでがセットと考え、犯す犯罪は殺人と仮定する。

3人以上の被害者がいて死刑になる割合は 72%

注目すべきは、100%ではない、ということだろう。

死にたい、といっても100%の方法ではないのだ。もちろん、自殺のための様々な方法それらも同じく100%願望を満たせるかどうかはわからない。

が、死にたいと思うほどの辛い人生を、塀の中で、殺人という重い罪を背負った上で生き続けなければいけないかもしれない。まず間違いなく多くの人に憎まれる余生になることだろう。

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死刑の執行までの期間

刑事訴訟法では「確定から6ヵ月以内に法務大臣が死刑の執行を命令し、当該命令から5日以内に執行する」と規定されているが

死刑と報道された人たちが、そんな短期間のうちに死刑執行されることはない。

記憶に新しいものでいうなら、秋葉原の17人殺傷事件の加藤智大死刑囚の死刑執行だが、実は事件が起きたのは2008年6月8日。刑が執行されたのは2022年7月26日と、14年以上もの月日が経過している。

2016年に発生した相模原障害者施設殺傷事件では、19人もの命が奪われたがこれを書いている2022年8月21日時点、まだ死刑は執行されていない。

2000-2020年の10年間での死刑確定から執行までの平均期間は約7年4カ月。

もちろん死刑が確定するまでにも時間を要する。

秋葉原の事件では、6年以上。
相模原障害者施設殺傷事件では、3年以上、逮捕から死刑確定まで時間を要している。

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本当に死にたいのであれば

総括すると

3人以上殺すことができたとしても、100%死刑が確定する訳ではない。

死刑が確定したとしても、執行までに平均7年以上要する。

自殺がしたい、死にたいと思って行動を起こして、その願望が成就するかどうかも曖昧で、かつ成就するとしてもかなりの時間待つ必要があることを知ってほしい。

そして、勘違いしないで欲しいのは本noteは、「死刑を狙って殺人事件を起こすぐらいなら、勝手に独りで死んでくれ」という話でもない。

死にたい、という願いで死刑に救いを求めるのは誤りであり、事実として非合理である

それだけだ。

#いのちSOS


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