立憲民主党がボトムアップって本当なのか(5)-党の方針と公認問題・正統性-

立憲民主党がトップダウン幹部政党・選挙プロフェッショナル政党であることをここまでで明らかにしてきました。元の問題に戻ります。党の方針と異なる主張をしたとされる候補について、公認の取り消しを主張する正統性は、パートナーズにあるでしょうか。(主権者としての統治の根拠という意味で「正統性」という言葉を今回利用します)

立憲民主党の正統性

立憲民主党は、一切の意思決定からパートナーズ排除しています。政策であれ候補者公認であれです。代表の枝野氏ら党の執行部と各候補者間での委任関係しかそこには存在しない。それにとやかく言う権利は、党に所属しない外野の一般市民と同程度にしかないことに気づかされます。

どういうことを言おうとしているかというと、他の政党であるならば、自分の所属する地方組織を代表する代議員を通して行った決定というのは、自分が間接的に関与している決定であり、それを履行しない他の党員については異議申し立てをする正統性はあるだろう、ということです。パートナーズにはその正当性がない、と。逆に、石垣氏であれおしどり氏であれ、支部長であるので、代議員として党の決定に参画する権利を持っていることになります。実際、内部に議論の場があるのか、疑問ではありますが。

政党というものは、構成員の数によって正統性を誇示します。何万人の構成員が決めたことだから正しい、と。しかし、立憲民主党の決定については、ほとんどの構成員が参画していないので、数による正統性はありません。極論するとスマイル党やNHKから国民を守る党と同じです。ただ、選挙時の有権者の投票のみに担保されていることになります。

有権者と政治家の委任関係

幹部政党というのは、普通選挙権が確立する以前からある古い政党システムです。その当時から国民主権という考え方はありました。「ナシオン主権」と言います。具体的な人間一人一人ではなく、集合体としての国民に主権があるという考えです。集合体としての国民というのはざっくり言って輿論みたいなものです。全国民を代表するためには特定の利益を代表してはならないという前提があります(命令委任の禁止)。立憲民主党もまた特定の有権者グループにコントロールされない、議場の議員の集まりであるという風に考えるならば、議場での党議拘束はできないし、まして、選挙時の主張の拘束などできないでしょう。

実際の国民一人一人に主権があるという考えを「プープル主権」と言います。「プープル主権」の考え方のもと普通選挙権が確立していきます。議員は個別具体の人間に送り出された代表であると捉えることもできるでしょう。しかしながら、政党制度が確固たる今の西欧諸国においても、命令委任は禁止され続けているのです。議場での自由闊達な議論を行うためには、有権者の個別の命令が足かせにはなってはならないということが理由です。

そもそも、パートナー達は党内の公式な議論に参加していないので候補者を内部者としてコントロールできません。それを抜きに考えたとしても、政治家に個別の命令をしてコントロールすることは難しいと考えざるを得ないでしょう。

であるならば、政党内で議論してものを決めていく文化をゼロから作っていかなければなりません。つねに議員と党員が議論をし方向性を見定めていくことでしか、足並みをそろえることができないでしょう。立憲民主党があなた達から私達になるときだと思います。

ジェラルド・カーティスが、日本のマニフェスト政治について書いた文章が印象深かったので紹介します。

「民主党にしろ共和党にしろ、全米党大会で大統領候補を指名する際には、党の政治課題を策定する綱領委員会も召集される。綱領はつねに妥協の産物である。党の急進派は極端な要求を綱領に盛り込もうとする。大統領候補者の側近は、無党派層にアピールすべく、より中道的な文言を使おうとする。もしくは、政策として採択される可能性が皆無に等しくとも、有権者に受ける抜本的改革の要求を強調してみせる。大統領候補者が党の綱領をどうするか決め、連邦議会に選出された党員はそれを実行するだけでよい、そういう考え方は現実の政治では根拠をもたない。」

ジェラルド・カーティス「日本の政治改革論者、団結せよ!」独立行政法人経済産業研究所 2003.8.7


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