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追憶のリストカット

はじまり

感覚にしてみると「生酸っぱい」みたいな、鉄の匂いがした。

幼い頃、逆上がりが好きだった僕が、錆びかけた鉄棒を握りしめた後の手の匂い。

まだ覚醒しきれてない意識で、僕は手を払う。

ここは、そう。

彼女の部屋だ。

大学生で、一人暮らしをしている彼女の部屋。

なぜか消されてない蛍光灯の光が、影になり、また光に戻る。

目の前にあるのが「腕」だと理解するのに時間はかからなかった。

「ちょっと、どけてくれる?」

そう言って「腕」を払いのけた。

明日も仕事だ。

彼女の悪ふざけには付き合っていられない。

そう思うとほぼ同時に、僕は再びまどろみの中に吸い込まれていった。


出会い

出会いは数ヶ月前。

とあるアプリで向こうから声をかけてきた。

その日のうちに会うことになり、車で50分かけた場所まで迎えに行った。

とてつもなく可愛かった。

メンヘラ感は否めないものの、かなりタイプだ。

声も可愛い。

すぐに告白したし、その日のうちにセックスもした。

おとなしいし、自己主張も激しくない。

はっきり言って、こんな子に出会えることを「幸せ」だと思った。

最初の二週間くらいは、特に何事もなかった。

彼女の家から仕事場に行き、終わったら彼女の家に帰る。

料理ができない、と言う彼女のために、いろんな食材を買っていったりした。

彼女の部屋にあるフライパンの形が、まるで「三日月」みたいな形になっていて

「これ、何かにぶつけたの?」と聞いたが、彼女は苦笑いをするだけで答えてくれなかった。

下手な話のそらしかたには少しイライラしたが、

フライパンを落とした時に落とし所が悪かっただけだろう、と解釈した。

でも、それでもよかった。

毎日一緒にいるのは、それなりに楽しかった。


隠し事

僕は彼女に隠し事をしていた。

彼女以外にも、彼女が複数人いたことだ。

その時の数は覚えていないが、5人くらいはいたと思う。

ある時、なぜかそれがバレた。

基本的に絶対的に隠すことには自信があったのに。

「なぜ?」を考えるより、落ち込んだように見える彼女に胸が痛んだ。

しかし、その痛みを消されるような事実を告げられる。

『疑わしい人には「死ねブス」って送ってから、ブロックしといたからもう大丈夫だよ。』

落ち込んだように見えただけで、どちらかというと悪魔のような微笑みを浮かべていたように見えた。

悪いのは僕だけど、実際に顔を見るとニヤニヤしている彼女にゾッとした。

それより何より、バレたのは携帯を勝手に見ていた、ということだからだと気づいた。

パスワードを変更した。

指紋認証はその当時の携帯には付いてなかったから、寝ている時に指を使われることはないはずだ。

少し難解なパスワードに変更し、眠りにつく。

もちろん彼女がいない隙に、彼女に消された女の子たちの番号やアドレスをメールや前の携帯からコピーしたので、大体は復活できた。

それから3日くらいしてからだった。

また、女の子たちのLINEが消されていた。

誰の仕業かなんてすぐにわかる…。

俺が少し震えていると、目の前に彼女はいた。

最初からいたのだろう。

俺のショックな顔を見るまで黙っていたところが恐ろしい。

『わかった?パスワード変えても無駄だよ。言わなかったっけ?私ハッキングが趣味だから、パスワードくらいすぐ解けるよ』

ニヤつきながら言ってきたところが、もう最強に怖かった。

『だから、もうバカなこと考えないで、私とずっと一緒にいればいいの。』

『こんなバカな浮気性のあなたをここまで許してあげれるのは私だけだよ。』

こういうことを言われたと思う。

何となく、僕は自分で逃げられないと感じたのか、その言葉に従うことにした。


浮気性

そうは言ったものの、もともと浮気性の僕がそんな生活に満足するわけもなく、結局また消された彼女たちと連絡をとっていた。

しかし、やはり彼女にも悪いと思ったのか、個人的に遊んだりとかはしてなった。

心の空白を埋めるためだけに、他の女性と連絡をとりたいだけだったのだろう。

彼女もしばらくおとなしかった僕に油断していたのか、携帯を見られた形跡はなかった。

パスワードももっと複雑なものにしたし、大丈夫だと思った。

そもそもハッキングが趣味だなんて嘘だと思っていた。(これは今でも嘘だと思っている)

きっと、ありえないと思える程の数字を入力していたんだと思う。

その数日後のことだ。

僕は何も知らずに目を覚ます。

感覚にしてみると「生酸っぱい」みたいな、鉄の匂いがした。

幼い頃、逆上がりが好きだった僕が、錆びかけた鉄棒を握りしめた後の手の匂い。

何か、水のような液体状のものを顔に落とされている。

手を何度払いのけても、やはり顔に液体状のものをかけられている。

「マジでやめて。」

少し不機嫌になりながら、目を覚ます。

目に飛び込んできたのは、とんでもない光景だった。

彼女の手首らへんが、擦り切れた布のようになって垂れ下がっている。

もう片方の手には、安全刃ではないカミソリ。

同時に自分の顔や腹、皮膚という皮膚がパリパリという音を立てて、何かに引っ張られている感触がする。

それは茶色く、というか黒く濁っていて、匂いからも「血液」だとわかった。

目の前の彼女は、僕が起きてからは、僕の腹部くらいに血を塗りたくり始めていたのだが(既に黒く変色してるのに)

その動きをビタッと止めると、目を見つめてきた。

…いや、何か焦点が合ってない…?

『ウフフフフフフ…ねェ?もう裏切らないって約束したよね…?あの約束はなんだったの?ねぇ?何で嘘つくの?何で約束破るの?私のこと嫌いなの?ロックくらいすぐに解除できるって言ったよね?なんでなんでなんでなんで』

後半の方は発狂してて、なんて言ってるか全くわからなかったが、こんな感じだったと思う。

正直、生きてきた中で圧倒的にホラーだった。


リストカット

リストカットするクセがあるのも知っていた。

でも実際に、目の前で切られたのは初めてだ。

さっきの言葉を言い終わったあと、皮膚が皮膚がだるんだるんになった手首をまたカミソリで切ろうとする。

カミソリを取り上げて、部屋の隅に投げる。

「何やってんの。」

『何って…悪いのはそっちでしょ。あたしは悪くない。裏切らないって言ったよね…?』

「うん、俺が悪かった。ごめん。」

『でも、どうせまた裏切るから、もう信用できないの…。』

「…」

彼女は一人立ち上がり、部屋を出ていった。

少し項垂れて、これから先何を話そうか、ぼんやりと考えていた。

ギシッ。

今僕がいる畳の部屋に入る直前の、フローリングの軋んだ音が聞こえた。

彼女が戻ってきたのだろう。

彼女に目を向けると、到底ドラマなんかでしか見れないような光景があった。

彼女の右手に握られていたのは、包丁だった。

「…おい。マジかよ。」

『もういいの。殺して私も死ぬ。』

「よくないって。考え直せ。」

『いやだ。私は悪くない』

話が通用しない。

まるで居合いの達人同士の間合い詰めのよう…とは言えない醜い距離感だった。

彼女がこっちに向かって走ってきた瞬間、手元にあった掛け布団を彼女に向かって投げつけて、くるんだ。

この時の判断が違っていたら怪我をしていたかもしれない。

作戦は大成功だった。

彼女を簀巻きにする要領で、手だけを出し、包丁を奪い取った。

そして観念したのか、布団の中で叫ぶこと以外、何もしなくなった彼女を見て、見られないように包丁を冷蔵庫の裏に隠した。

掛け布団にも、敷布団にも、畳にも少ししか血はついていなかったが、僕の上半身は、ほとんど全面が真っ黒だった。

しかし、彼女のメンタルはどうにかして宥めないといけない。

このままだと、彼女も死ぬかも知れないし、僕も殺されるかもしれない。

掛け布団を剥ぎ取ると、彼女を僕を睨みつけてきた。

「…ごめん。本当にもうしないから、許してほしい。」

『…』

何も喋らない彼女に向かって、自分の罪の懺悔を繰り返した。

彼女が、やっと許してくれた頃には、もう朝方だった。

1時間しか寝ていなかったせいだろうが、安心したまま寝てしまった。

しかも職場に向かうために、彼女の家を出なければいけない時間の少し前に。


発想の転換

起きたら、もう仕事が始まっている時間だった。

特に朝から会議とかはなかったので、大変なことにはならなそうだが、目を覚ますと彼女は普通に起きてた。

「どうして起こしてくれなかったの?」

『え?わざと。』

そんなことをニコニコしながら言うところに、少し苛立ちを感じた。

しかし、自業自得なのもある。

返事もそこそこに、すぐに身体の血を洗い落とそうとするが、固まった血は思いのほか落ちない。

とりあえず上司に連絡を入れて「ダッシュで行きます」なんて言ったので、顔の血だけ落として職場に向かった。

二時間くらいの遅刻だった。

普段そんな遅刻をする人はいないし、するなら連絡は早めにするらしく、少し問題になっていたようだ。

直属の上司が、僕を呼び出し、課長や部長の前で、叱咤する。

なぜ、こんなに遅刻したのか?

そう聞かれた。

僕は「すいません、とりあえずこれだけ見てください」と、Tシャツの首元を捲り、今では泥のように見えるようになった血を見せた。

上司は一瞬で分かったようだった。

事情を聞いてくれて、大変だったね…と逆に同情されることになったが、僕だって遅刻したくてしたわけじゃない。

故意なサボりでもない。

それだけは分かってほしかったのだ。

…その日の帰り道、ケータイショップに寄った。

格安で新しい携帯を契約するためだ。

そう。

彼女にバレてしまった他の女の子たちをこっちの携帯に移すためだ。

携帯のロックを解除されてもバレないようにするにはこれしかない。

彼女の前で新しい携帯を出さなければいい、それだけの話なのだ。

その日からしばらくは、平穏な日々が続いた。

彼女はたまに携帯を盗み見ているようだったが、全く他の女の子とも連絡をとらなくなったことに満足したのか、上機嫌な日々が多かった。

ちなみに彼女に「死ねブス」と送られ、消された女の子の中には、当時親友と呼べるほど仲の良かった女の子がいた。

そいつは性同一性障害とまではいかないながらも、僕は普通に男として接していたし、何の関係もない。

LINEの内容がどうとかじゃなく、”女”という性別の人と連絡をとっているのが気に入らなかったようだ。

付き合った日に、その親友のことは説明していたのだが、そういうのもダメだったらしかった。

結局親友には事情を話し、新しい携帯に移行して、たまに連絡を取っていた。

「彼女も悪いだろうけど、そもそも浮気するならバレるなよw」

そう笑い飛ばしてくれる友達がいるのは素直に嬉しかった。


真実

ここで唐突だが、一つ書いてなかったことがある。

答えを言うと、彼女は最初から浮気をしていた。

結局、浮気が心配になるのは、それをしているから、ということが分かった。

むしろ、最初から何となく気づいていた。

だから俺は彼女の携帯は見なかった。

見てもいいことはないと思っていたから。

付き合って最初に『女の子の連絡先全部消して、連絡取らないで』と言われた。

だからその時僕は消したフリをした。

そして、彼女に言ったのだ。

「俺のは消すから、そっちの男友達とか消して。」

ただで転ぶわけにはいかなかったから、その最大限の譲歩だった。

『…わかった』

…彼女はもともと、いわゆる”ビッチ”に当てはまる女の子だ。

そんな子がたった一人の男との出会いで変わるわけがない。

女友達がいないのだ。

携帯には、ひっきりなしに男からの連絡が来てたのも知ってた。

毎晩僕が寝てるのを確認して布団を抜け出し、毎晩違う声の男と電話していることも知っていた。

僕は寝ているフリをしていた。

僕の目の前で全消去した彼女のアドレス帳は、男からかかってくる電話をとる度にまた登録されていってたようだ。

彼女が好きで我慢してたとか、そういう美談ではない。

そういうのがなかったといえば嘘にはなるが。

だけど、何となく滑稽だと思った。

あんなに浮気を責めてきている人間が、こんなに浮気をしてるのを知られているのを、知らないままでいるなんて。

…きっと、僕は狂っていたんだと思う。

だけど、この時はこういう判断しかできなかった。

彼女とはいろんなところで喧嘩したし、彼女に過去の浮気のことを責められた。

でも僕は言わなかった。

いつしか、彼女に対する気持ちは、恋とか、愛とかそんな上等なものじゃなくて

情だとか、憎悪だとか、あんまり褒められたものじゃないものになっていたんだと思う。

きっとそれを愛だと勘違いしていたんだ、僕は。


リストカット2

2人の関係というか、生活も、メンタルも落ち着いていた。

それくらいの時間は経ったと思う。

彼女は相変わらず夜な夜な男と電話したり、たまに実家に帰っている僕が突然彼女に電話をかけると、電話をとらないとか、今友達といるからと言葉を濁していた。

そんなある日、僕の友人を含めて彼女の部屋で3人で飲み会をした。

県外からわざわざ遊びに来てくれた友人に、紹介したかったのだ。

彼女も楽しんでいたし、友人も楽しそうだった。

楽しそうな2人を見て、余計に楽しくなったし、たくさんお酒を飲んだ。

そのせいか、いつの間にか寝ていた僕は、友人に顔を引っぱたかれた。

「…?え?」

素っ頓狂な声をあげる僕。

友人は、早くここを出るぞ!と険しい表情のまま言った。

何が起こってるかわからないし、ついさっきまで楽しんでいたのに、何が起こったのか…。

動けずにいる僕に、友人は自分の顔見てみろと言いながら、鏡を見せてきた。

…血まみれだった。

不幸にも、またやられたわけだ。

しかも県外から来てくれた友人の前で。

友人に肩を貸してもらいながら、顔面蒼白で部屋を出る。

が、おかしい。

友人に引っぱたかれて、友人が俺を引っ張って玄関に行くまでに、彼女に会わなかった。

「彼女は…?」と聞くと、ベランダに出てったから、その隙に僕を連れ出したのだと教えてくれた。


友人の話をまとめるとこういうこと。

僕が寝て少しした後に、友人も寝ようと横になったらしい。

目を閉じてしばらくすると、何かブツブツと小さな声が聞こえてきた。

最初はなんて言ってるか分からなかったけど「嘘つき」とか「また裏切った」とかそんな感じの言葉で、

だんだんと「裏切らないって言ったよね」とか語りかけるような感じになっていったらしい。

それを薄目で、寝たふりをして見ていた友人は、カミソリで手首を切り始めた彼女を見て、コイツは完全にヤバイと思っていたところ、

さらにその手首から流れてくる血を、僕の顔に塗りたくりながら『ウフフ…」とか言って笑い始めた、と。

このまま殺されるんじゃないか、と思って眺めていたが、なぜか急に笑いながらベランダに出ていったらしい。

その隙に救出した、と。

友人がいなかったら、どうなってたんだろう…。

この件については、彼女から謝罪があった。

というのも、彼女が今回こんなことをしたのは、相変わらず僕の携帯を盗み見たからなのだが、

この時は女の子との連絡は、常に車の中に置きっぱなしの携帯でとっているわけで、そんなはずがない。

数ヶ月前に浮気がバレた時に、一時連絡をとっていたEメールの受信箱を見て、それで勘違いしたということだった。

結局、自分のことしか考えれない恋愛なんて、そんなの恋愛じゃなくてただのエゴの押し付け合いなんだ、と強く思った。


終焉

この彼女は、いろんなことがあった。

本当にメンタルがやられていたんだと思う。

最後まで罵り合いというか、綺麗なまま終われなかった。

真実、という項で書いたが、知っていたことは最後に全部伝えた。

この時も普通に放心状態というか、目がまた焦点が合わない感じになっていたのが面白かった。

最後は本当にバタバタと彼女の部屋を出ていったわけだけど、そのせいで部屋の鍵を返し忘れた。

鍵を返しに行く時も、約束の時間を6時間引き伸ばされた。

大学の講義が長引くから、と言われて近くのショッピングモールに行ったら、男とデートしてるっぽいそいつを見かけた。

その時は何も言わず、引き伸ばされた時間を待って、鍵を返したときに

「大学の講義大変だった?」と聞いた。

『うん、めっちゃ長引いちゃった。』と平然な顔をして返された。

「そっか。大変だったね。俺は知らないけど、大学の講義ってショッピングモールで男とやるもんなんだね。」

『…え…?』

「いや、別に怒ってもないけど、時間無駄にしたことだけは償ってほしいわ。まあその価値もないけど。」

身体が震えながら、顔がひきつる彼女の顔を見た。

『ご、ごめn…

そう言い終わる前にドアを閉めた。

追ってくることもなく、謝罪ももう聞こえなかった。

こんなひどい女がいることを知らなかった。

まあ僕も同罪だ。

でも人間同士なんて、そんなもん。

深く勉強になるものだと思った。

そんな恋ももう終わった。

少し懐かしいけど、嘘のような本当の話。


あとがき

さて、いかがだったでしょうか。

長くなってしまい、大変申し訳ないです。

上でも書きましたが、95%本当のことです。

思い出しながら書いてるので、少し脚色が入ってる感じもしますが、本当に本当の話でした。

この女の子との出会い、付き合い、別れは僕にとってとても大きなものになりました。

人はなんだかんだ裏切ってるし、弱い生き物です。

それを悪いと決めることもできないのだな、と。

僕はこの女の子との思い出を「人生一の汚点」と言っています。

ネタの意味もありますが、こういう子には巡り合わない方がいいに決まってます。

自分がネガティブになりますからね。

僕は血がめちゃくちゃ苦手なので、辛くて仕方なかったです。

今になればこんな記事にはできるんで、ある意味得したとは思いますが…。笑

あ、そういえば記事内に書こうとして、書けてなかったんですが、前半にフライパンの形が「三日月」みたいになってた、と書いてたんですが

これ、何でフライパンがそんな形になったのか、分かった人いますかね…?

答えは「元カレが浮気してて、帰ってきた瞬間、全力でフライパンを振り下ろした」ということらしいです。

いくらなんでも怖すぎる…。

本当にサイコパスっているんですね。

何もかも、命あってのものだな、と実感してます。

これからも、自分の命は大事にしていきたいと思います。

皆様もこういう女性との付き合いは気をつけてくださいね。

それでは、またお会いしましょう。

クルスでした。


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