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神様の家系図と日本人の家系図  その1  アダムよりも古いのはなぜか  その3  「エヌマエリシュ」 土方水月


 宇宙の成り立ちの知識は出雲族によってインドからもたらされたといわれる。インドの有名なマハーバーラタやラーマーヤナやメソポタミアのギルガメッシュ叙事詩などにも同様の宇宙創成のことが書かれているが、0代の「ス」の神はメソポタミアの神よりもはるかに古い。

 それはなぜか?

 日本の明らかな文明の起源は出雲族の渡来によってであった。5,000年以上前、今の青森県の三内丸山遺跡にも住んでいたといわれる彼らは、インドからシベリアを通り北から津軽半島にやって来たといわれる。その時代は縄文とも呼ばれるが、明らかな文明を持っていたのは出雲族であった。彼らは弥生の遺跡よりもはるかに巨大な建造物を造っていた。三内丸山遺跡の栗の大木で出来た建造物もそうであったが、出雲の杵築大社(出雲大社)ははるかに大きかった。創建当時の高さは約19mあったといわる。「雲太和二京三」ともいわれ、京の大極殿よりも、大和の東大寺よりも高かった。

 なぜ彼らはそんな技術をもっていたのか?

 古代の出雲大社の構造とギザのピラミッドの内部構造が全く同じであることはよく知られている。これらを建設した者の名は、“ミケイリノノミコト”と“ミケイリヌス”といわれる。これらは役職名であるといわれる。いずれにしてもすべてが似すぎである。

 
 古代、約12,000年前にあった文明は、その頃に起こった大津波によって消えたといわれる。科学的には、最終氷期が終わり、北極の氷が解け、海面が上昇したためといわれる。日本列島もそれによりユーラシア大陸から海で隔たれ、徒歩での行き来ができなくなったといわれる。厳密には対馬海峡はもともと開いていたらしいが北は氷によって地続きになっていたといわれる。

 これらのことは、よく知られている「聖書」の記述にあるノアの箱舟の話となっている。聖書にある神の名は “ I am ” “初めであり終わりである”とよくいわれるが、もとはヘブライ語であり、ラテン語で “ΑでありΩである”と訳されたからである。

 元の言葉は “エロヒム”。日本語では “天にいましますわれらの父”とやくされるが、天気予報でよく使用される “エル ニーニョ” の “エル” である。日本語聖書にもイエスが十字架にかけられたときに神に問いかける言葉が書かれている。”エリ エリ”と。

 メソポタミアでは “エヌマ エリシュ”であった。日本語訳は “高きに今しますときに”である。日本神道的に言えば “高木神”のようでもある。

 元の ”エロヒム” はギリシャでは “テス” または ”デウス” と訳された。光の意味らしい。天から降り注ぐ太陽のような光線を意味したといわれる。「未知との遭遇」という映画では、UFOから放たれる強烈な光線として描かれた。

 それよりもはるかに新しい時代に、まだ文字を持たなかったゲルマン民族の中のゴート族の中に、ギリシャ人の母を持つウルフィラという人物が生まれた。彼は5世紀の人である。当時文字のなかった時代にゲルマン文字ゴート文字を造った人である。彼は母の持っていたギリシャ語で書かれた聖書をゴート語に翻訳した。ギリシャ文字からゴート文字を造った。そのときウルフィラは ”エロヒム” を “GUTH” と訳した。“GUTH” とは “相談する相手” という意味である。イエスが “エルエル” と問いかけた神の名を “問いを投げかける相手” と訳した。それによってゲルマン語は “GUTH” となり、ドイツ語や英語では “GOD” となったといわれる。


 古代、日本にやって来た出雲族は、数万年前にホモサピエンスがやって来たルートと同様に、インドから陸路によってやって来た。しかしそれよりも後の時代には、船によって、エジプトから、メソポタミアから、インドから、さらには揚子江沿岸から日本列島にやってきた人々がいたのである。

 彼らの中で最も新しい人々がいま日本では “弥生人” と呼ばれる。


 つづく

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