見出し画像

【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 10 養蚕神社  皇后のルーツ  養蚕と機織と縦目の王-蚕叢     土方水月           

養蚕と機織と縦目の王-蚕叢       ひじかたすいげつ


 養蚕は三星堆遺跡にあった華陽国で行われていた。初代の王は縦目の王である。「蚕叢」と呼ばれた。「蚕を集める」という意味である。「縦目の王」と書かれたのは「目が縦である」という意味で、目玉が縦つまり立体的に出っ張っていた。その出っ張っている目玉は縦になっていて、まさに “目” の形であった。つまり、これは「蚕の幼虫」であり、蚕蛾の芋虫の形であった。

 ここで行われていた養蚕により、シルクができた。蚕の繭から機織られ幡織物となった。それが西洋に渡った。その道がシルクロードであった。そしてそれを引き継いだ太秦の皇后から日本の皇后に受け継がれたのである。日本では秦氏が織った織物を幡織物(秦織物)と呼び、朝廷では幡織部となった。その幡織られた布地は服となり、服部(機織部)つまり服を作る部所である “はっとり” となったのである。

 太秦はローマ帝国でもあり秦国でもある。太秦は秦韓となり、弓月君となり、日本に渡ってきた。そしてその日本への渡航は安曇の美良布(びらふ)であった。

 七夕には織姫と彦星が女男(めおと)となる。織姫はシルクを織る姫であり、織女星であった。その幡織部の長が皇后であった。そして今でも日本の皇室の女性は皇后とともに蚕を飼うのである。


 つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?