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今は踏ん張りどき。

気づけばもう2024年。
12月に引っ越しをしてから、まだ家の中も心の中も落ち着いてない日々を過ごしている。


年末年始、家族で過ごす日が多かったので、主人が仕事のため出社してから、味わった久々の“ワンオペ感”。
加えて、慣れない土地での生活。
お昼寝・朝寝までもが短くなった我が子の生活リズム。(最近では寝ても30分で起きてしまう。前は1時間でも物足りないと嘆いていたけど、今じゃ1時間『も』寝てくれた・・と思うくらいだ。)
山坂の多い地形ゆえに、外出するのが億劫になったり、なんとなく、住民(区民)に気さくさが足りないなーと見えたり。


孤独を感じてます。疲れてます。


転入届を出しに行った際に行政からたくさん子育て関連の情報をいただき、その中でも“親子の集いの広場”には期待していた。欲していた。なぜなら前の街に住んでいた時に、精神的にとても支えられていたからだ。

『集いの広場に行けば、誰かいる。大人がいる、話せる』

とてもアットホームな雰囲気で、常駐している保育士さんたちもママさんたちも気さくな方が多かった。初めから、初対面のママさんたち4人でざっくばらんに話して、話しやすくて。一度で気にいった。


横浜に引っ越してきてから、わたしの住む街の近辺では集いの広場はなかったけども、それに代わる施設はあったので、さっそく年末に行ってみた。しかし、保育士さんはテキパキしているが、それは仕事然してるように見えて距離を感じてしまったし、0歳児で連れてきてるママが少なくて、わたしが欲していた話し相手・仲間には出会えなかった。あまりにも寂しくて1時間しかいれなかった。

まあ、タイミングが悪かったんだろう、そう思うようにしている。
年末って会社も終わりモードだし、イベントは目白押しで忙しかったり皆していたんだろう。実際、その日(週)は利用者少ないですねーと言っていたし。


冒頭に戻るけど、今は毎日次の日が来るのがちょっとだけ怖い。とくに主人が出社してしまう日の前日は。

『我が子ちゃんにちゃんと向き合わねば。コミュニケーション取らねば。』
『ぐずってる・・あやさねば。』
『家事(掃除洗濯、料理)もしたい。』
『買い物も行きたい。でも、我が子ちゃんぐずらないかしら。』
『今日はベビーカーで出かけたいけど、坂がきついな〜・・やだな・・・』


我が子ちゃんと二人きりで過ごす日は、大体胸中こんな思いが繰り返されていて、自分の時間なんてあったもんじゃない。
そんなの母親みんな経験してるよーってことばかりだろう。しかも、隣には義両親が住んでいるのだ。それにとってもいい人!つまり、わたしは世間から見たら決してハードモードな育児を強いられてる訳ではない。

でも、義両親はやっぱり気を遣う。自分の母親父親なら何も考えずにきっと、我が子ちゃんの面倒見てーと一時的にお願いするのは億劫にならないだろう。実の家族と義理の家族の違いは、「他人と感じる境界線」の太さ?距離だと思う。
この境界線のおかげで程よい距離感を保てている反面、遠慮が過ぎてしまうこともある。


『精神的にきついから義母に頼りたい、一緒にいてほしい』
『自分の時間が欲しいから、我が子ちゃんをちょっとみてほしい』

こんなこと思いで、子守をお願いしたら甘えてるって思われるだろうか?
もしくは、疲れさせてしまうだろうか?専業主婦の彼女の出来上がった生活リズムを崩してしまわないだろうか・・・と心配が尽きない。

一方でわたしの精神状況は今、イエロー、一時的にレッドラインに達している。それはつまり、わたしだけでなく我が子ちゃんにも悪影響になりかねない。悪影響どころか、実はぐずられた時に、一瞬虐待してしまう母親の気持ちに思いを馳せてしまったのだから、我が子ちゃんが危険にさらされてしまう。

そうおもうと、わたしが今している遠慮はしなくていい遠慮だ。
わたしの母親としての評価なんてどうでもいい。
大事なのは我が子ちゃんの命。そしてわたしの健康。

主人曰く(そしてわたしが観察する限りでも)、義母はどんな相手でも無理な時は無理と断れる人だから、“大丈夫”と言ってくれてる時は大丈夫だから、全然頼って、と。
だから、遠慮ではなく、配慮をしたうえで義両親、とくに義母にもう少し甘えさせてもらいたいなと考え始めている。
わたしが心配していたことの半分は、甘えて“できない嫁、母親”と思われることで、これは本当に無価値な心配だ。そう思うような人ではきっとないし、仮にそう思われたっていいじゃない。関係ないじゃないか。そう心に強く言い聞かせたい。


今わたしが求めているのは人とのつながり。
恥ずかしいけど、前住んでた自治体でお世話になったファミサポの人や、集いの広場で出会った人たちが恋しくて、号泣した。一緒に子育てを頑張る仲間、という心理的な連帯感を勝手に抱いていて、でもそれにどれだけ支えられていたかということを今になって感じる。あの時、引っ越すから、と連絡先も交換せずに別れてしまったことが本当に悲しい。きっと引っ越す予定がなかったら、わたしのことだからガツガツコミュニケーションとって、LINEくらい交換していただろうに。
だから、“この出会いに感謝”と思える楽しいひとときを過ごせたなら、ためらわずに繋がろうと自分から声をかけてみる。そして、年末がっかりしたけども、めげずにこれからも広場に通う。外へ歩いて行かなければ出会えない。


隣に住む義母を頼る
広場に通う、そのほか親子イベントに参加する。
そうして新たにもう一度仲間を見つける。

仲間を見つける、自分で自分の居場所をつくる。
誰かが何かで言っていた、生きるということは自分の椅子を自分でつくって、そこに座るということ。


正直、思い悩んで朝4時半に目が覚めてしまってから、このnoteを書いてるので、精神状態も肉体的にもきつい。きっと今日もしんどいかもしれない。しんどくないかもしれない。
今、辛いな、と感じるけれど、こっちでママ友ができたらこんな風に思い悩んでいたことを過去のことと笑い飛ばせるだろう。
それにこういう辛い経験が、自分にとっての真理をまたひとつ気づかせてくれる。


一人の時間が必要、と言うけれど、それは物理的な一人の環境という意味もあるし、もう一方で、さまざまな役割から自由になって、“自分という一人の人間”としてありのままいれる時間のことなんだと思う。


子育てをしていて、感じたことや気づいたことはたくさんあるのだけど、書かずにいると忘れて消えてしまいそう。本当はもっと気持ちの整理のためにnoteかけたらいいなー。


わたしは十分よく頑張ってる!
今日は昨日よりも自分を甘やかせるように。それが今日の目標です。

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