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ひとりの人間として尊重すること

ジョン・アーヴィングの「ホテル・ニューハンプシャー」を読んだ。

以下は多少ネタバレを含むが、本筋には触れないのでご安心を。

大まかに内容を説明すると、ホテル経営をしたい父親の夢に付き添っていくある家族の話だ。それぞれのキャラクターの個性が際立っていて、最後まで面白さが尽きない。

しかし、このお父さん、結構行き当たりばったりで、計画性というものがあまりない。やりたいと思えばすぐ実行に移す。その行動力は素晴らしいのだが、結果、家族は振り回される。

普通なら、「もういい加減にしてよ、お父さん!」とでも言いたくなるが、彼が家族内で孤立することはなく、「お父さんってそんな人だよねー」って感じで、受け入れられている。「今じゃなくて、常に未来に生きている人だよねー」という評判も得ている。

もちろん家族からの反発はまったくないというわけではないが、最終的にはお父さんをひとりの人間として尊重する。

人には合う、合わないというのがある。

たぶん、この父親にもっと計画的にやりなさいといったところで、馬の耳に念仏だろう。

そんなことができていたら、とっくにやっている。

計画的にやるのが向いている人ならそうすればいいし、思いつきで行動するのが向いている人ならそうすればいい。

なので、この家族の父親に対する評価は、とても好ましいことだ。それが共同体で生きるということだから。


この作品には、印象的な人物が登場する。スージーという熊の着ぐるみを被って、生きている少女だ。彼女は、過去のトラウマから自分を守るために熊の着ぐるみを着ている。

熊の着ぐるみは、彼女にとって、外の世界との緩衝材になっており、そうしないと、うまく社会と接点を持てないのだ。

一日のほとんどを、着ぐるみをまとって生きているのはなんともおかしな光景だが、なんだか他人事ではないなと思ってしまった。

ぼくが熊の着ぐるみを着ることはないと思うけど、誰しも、それに代わる何かをまとって、この社会を生きていると思うからだ。

生きていくために。なにかに負けないために。

スージーについて語る文章がとてもいいので、引用します。

「あのひとは人間であるのが怖いのよ。つまり人間としてほかの人間に対処しなければならないのがどうにも怖くてならないのよ。それをばかにするのは簡単だわ。でも、同じように感じていながら、それをなんとかしようとする想像力を持たない人がどんなにたくさんいると思う。熊として一生を送るのはばかげているかもしれないけど、そうするには想像力が必要だってことは認めてあげなくなちゃね」

スージーにとって、熊の着ぐるみを着ることは、そのときの最善の選択だった。傷つきやすく、もろい心を守るために、なんとかしようとした結果なのだ。

自分に合うスタイル、生活に人は落ち着いていく。

そのときそのときで、何が自分に合って、何が自分に合わないのかを確認すること。

想像力を駆使して、相手を思いやり、ひとりの人間として尊重すること。

大事なことは、小説のなかにあるのだ。



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