マカンマラン2

居場所があるということ

「足りなければ、満たせばいい。空っぽなら、埋めればいいのよ」

あたり前のこと言っているけど、物語のなかで語られれば、そのあたり前のセリフも途端に説得力と信ぴょう性を持ってくる。

このセリフは、「マカン・マラン」という小説に出てくる、シャールという登場人物の言葉だ。


この本の簡単なあらすじとしては、

商店街の片隅、路地裏を抜けると、隠れ家のようなお店がひっそりとある。その名も「マカン・マラン」。「マカン・マラン」とは、インドネシア語で「夜食」という意味。このお店は、昼はドレスや装飾品を扱う服飾店だが、夜は夜食カフェに変貌する。そこのオーナーであるシャールは、ピンクのボブウィッグを被ったドラァグクイーン。傷ついている人や、おなかの空いている人がいれば、あたたかくおいしいごはんでもてなし、前を向く力を与えてくれる。

ざっとこんな内容。

この店に来るのは、近くに住んでいる品のいいおばあちゃんだったり、シャールの同級生だったり、たまたまシャールに介抱されてその店の存在を知った会社員だったり、取材に訪れたライターだったり、実にさまざまなきっかけでこの店との縁ができる。

ぼくは、寝る前にこの本を読んでいたのだけど、その時間がちょうど「マカン・マラン」が開く時間帯(23時以降)と同じだった。そのせいか、余計に世界に入り込めた気がする。そして、出てくる料理があまりにおいしそうでお腹が空いた。読む時間には注意である。

人の痛みを知っているということ

人の痛みを知っている人はたくましい。この本を読んで、ぼくはそんなことを思った。それぞれいろいろな感想を抱くと思うが。

シャールがドラァグクイーンになったのは、人生の半分と言われる年齢になってから。そのカミングアウトで、社会での地位や家族、友人・・・たくさんのものを失った。

彼女がした決断に伴う痛みは、想像に難くない。それでも、自分に正直に生きるために自分でその道を選んだ。

すべてを捨て、正直に生きた彼女は、人の痛みを知っている。だからこそ他人にもやさしい。

彼女が醸し出すあたたかな雰囲気、どんなことを話しても、すべてをやさしく包み込んでくれそうな安心感はそこから来るのだろう。

居場所をつくる

「マカン・マラン」をシャールが始めたのは、昼のお店に務めるお針子さんたちのために作った賄いがあまりに好評だったからだ。それで、夜食カフェを開くことになった。

彼女の料理を求めて来る人たちは、大抵おひとりさま。彼らはそれぞれの事情を抱えながらゆるゆると夜の時間を過ごす。

そこは間違いなく彼らの大事な居場所だ。

シャールには人を惹きつける魅力があり、相手の緊張を緩め、心の奥底をついつい話したくなってしまう包容力もある。プラス健康的で、おいしい料理の提供。

そんな場所があったら、めちゃめちゃ行きたい。

シャールは、自分の居場所をつくり、それはだれかの居場所にもなった。

お店は不定期で開くし、常連客もかならず毎日いるわけではない。でも、「マカン・マラン」があるというだけで、彼らは安心して日々を過ごせる。

ぼくは、この本を読むまで、居場所って、ずっといるところだと思っていたのだけど、「いっとき羽を休める場所」そういうふうにも解釈できるのだなと思った。

ずっといる場所ではなくて、ずっとある場所が居場所なのだ。

赤ちゃんは成長していくと、お母さんのそばを離れ、いろんなものに触れ、世界をすこしずつ知っていく。それはお母さんという安全基地があるからできることだ。自分を受けて入れてくれる、戻れる場所があるから、安心して冒険ができる。

「マカン・マラン」もそういう場所だ。

傷ついたり、壊れそうになったり、わけがわからなくなったときに、帰ってこれる場所。そして、ゆっくり休ましてくれて、また飛び立つ力を与えてくれる。

人は傷つく生き物だ。けど、あたたかい居場所があれば、なんとか前を向ける。そんなわりとあたり前のことを思った。けど、あたり前のことはなぜか忘れてしまうのだ。


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