見出し画像

宗教2世の私から見た現代ヨーロッパの宗教観

以前、クリスチャンの両親のもとで育った話を記事にさせていただきました。お読みくださった皆さん、本当にありがとうございます。

今は無宗教の私ですが、現在住んでいるオランダを含む、ヨーロッパ諸国の殆どはキリスト教国です。田舎の方でも必ず教会は見かけるし、お隣のドイツには教会税があったりと、キリスト教が文化、日常として染み付いているもの。宗教と距離を置きたい、子供時代の教会生活がトラウマだと言っている私がここにいるのは、矛盾しているように思われるかもしれません。

でも、私はその点で苦痛を感じたことは特にないのです。自分の経験したことは嫌でしたが、誰かの持つ信念、信仰、価値観についてとやかく言うつもりはありません。その人が幸せな方法で生きるに越したことはないと思います。

私があまり幅広く人付き合いをしないことも大きいのですが、今のところ誰からも信仰や祈りを強制されたことはないですし、たとえクリスチャンでも、毎週日曜日に教会に通っている人、ましてや一日中奉仕やらに時間を費やす人はごく少数の印象です。学生時代にアメリカでホームステイをしていた時のマザーもクリスチャンでしたが、たまに教会には行くけど礼拝だけで帰るし、少なくとも私の両親ほど厳格にきっちりと教会に週何回も通い、奉仕までして、日常生活も聖書や祈りに溢れている人には海外で会ったことがありません。

もちろん、出会っていないだけで私の両親と同じくらい、それ以上に熱心な人もいることは分かっているのですが(特にオランダには保守的なキリスト教徒が住む地域もあります)、クリスチャン人口の母数を考えるとかなり少ないのは事実だと思います。一方、日本人の中でクリスチャンの割合は少なくても、信じる人は真面目で誠実な気質のおかげで熱心になりやすいのかもしれません。

私はニュートラルな立場なのでどちらが良い悪いとは言わないのですが、もし、私が子供の頃から置かれていた環境が、たとえクリスチャンホームであっても「教会には気が向いた時に行けばいい」「日曜日の礼拝にだけ出ればいい」そんなゆるい感じだったら、歳を重ねるうちに面倒でフェードアウトしてしまう気はしますが、教会に対して悪印象を持つことはなかったと思います。

しかし、ヨーロッパにいるからこそ難しいと感じる部分もあります。キリスト教が当たり前に身近にある世界だからこそ、私の子供時代の経験はなかなか話しづらいのです。

どこにいても話しやすいことではないのですが、日本には「キリスト教」「クリスチャン」という存在を何か特別で珍しいものとして認識している人が多く、そもそも何かの宗教を熱心に信仰している人も少ないので、「厳しかった、大変だった」という内容に同情を得られやすい傾向があります。

一方、ヨーロッパで同じことを話しても、親がクリスチャンだったり、子供の頃に教会に行っていた(けどそれが生活に支障をきたしたり、トラウマになったりはしていない)という人はたくさんいるので、「え?私も似たようなもんだったけど?」というような受け取り方をされることが多く、事の深刻さはあまり理解してもらえない気がします。

また、(一概には言えませんが)家族を大切にしている人が多いので、親についてネガティブなことを言うことでむしろ私自身に対する印象が悪くなってしまう恐れもあります。一方、良いことではないのですが、日本は結構、自分の親の愚痴をこぼす人もいるイメージです。

移住してきた身なので、私もヨーロッパで生まれていた方が幸せだったんだろうか、と考えることは正直、多々あります。でも、人種差別や学歴格差、犯罪率など、マイナスな面もたくさんありますし、私が私である限り、どこで何をしていても結局悩んでばかりで、精神状態としては似たようなものにしかならなかったでしょう。

お恥ずかしながらうまくまとめられないのですが、私はこれからも、宗教とは直接的に関わらずに生きていきます。どんなに辛いことがあっても、宗教にだけは引っかからないことを心に留めています。私の子供時代の経験も、人生で限られた人たちにしか話すことはないでしょう。でも、宗教観への理解の深さはあるので、戦争、右翼、変わっていく世界の中で自分と周りを冷静に見つめ続けていきたいと思います。


フリーランスですがまだまだ駆け出しなので、少額でもサポートいただけると本当に助かります。これからも楽しくて役に立つコンテンツの作成を頑張っていきますので、そのエネルギーにするためにサポートいただけると嬉しいですm(_ _)m