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自分で考え、自分で行動する

幡野広志さんの著書『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』の中に、幡野さんがとある撮影現場で一緒になった男の子の話が出てくる。

彼は23歳だけれど、奨学金と生活費としてキャッシングをしていた金額合わせて1,000万の借金があるのだそう。

学生時代は1年休学して、1日12時間、時給900円で残業代の出ないラーメン屋で働いていたという、借金を抱える身としては、効率の悪すぎるバイトだ。

とても能力が高い子だったから、自分の師匠のように叩き直してくれる人に出会ったら、相当伸びるのにとも思ったけれど、彼自身がものすごく嫌なやつになっていたから、それは難しいのではないかと、思ったそう。

その人柄は写真にも現れていたそうで、社会に対して不満と恨みを持っていた彼は、いい人にはなれないだろうけど、彼が100%落ち度のない被害者かといえば、そうではないと幡野さんは言う。


私は彼の話が全然笑えないのだ。

私も長らく「親のせいで」と思ってきた過去がある。

今もその思いが100%なくなっているとは、言えないと思う。

でも、幡野さんのこの文章を読んで、大いに反省をした。

知識をもつこと。
自分で考えること。
情報がたやすく手に入るようになった今、どんな家庭環境であっても、日本にいたら知識を得るのは可能だ。知らないことは、罪だとさえ思う。

私も、自分で生の情報に触れ、考え、囚われていたものを努力して払拭できるチャンスは数え切れないくらいあったはずだ。

それを自らの判断で逃してきたことを、真摯に受け止めない限り、100%心が晴れる日は来ないのだと思う。

今こう理解しながらも、本当の意味で納得できるにはもう少し時間がかかりそうだ。

解ることと納得できることはやっぱり違って、理解に自分の心が追いついていないんだなあと思う。まだまだ成長しなくてはと思う。


私は、べつに頑張って他人と同じようにできなくていいことはたくさんあると思うけれど、そのものごとによっては、頑張って克服する努力は、したほうがいいこともあると思う。

例えば、多数の人と同じような形態で働けなくても問題はないけれど、不用意に人を傷つけてしまうとか、自分にそういう部分があったりしたら、なぜそうなってしまうのか考えてもいいと思う。

私も、折に触れてこの本を読み、少しずつ自分の心の折れ曲がった部分を治していきたいと思う。

#幡野広志 #ぼくが子どものころほしかった親になる #日記 #エッセイ #生き方 #家庭

いろいろな方にインタビューをして、それをフリーマガジンにまとめて自費で発行しています。サポートをいただけたら、次回の取材とマガジン作成の費用に使わせていただきます。