わたしが畑をはじめた理由
先生になりたかった
中学3年生の時「体育の先生になる」と決めて進路を決めました。担任には中学校から受験者の実績もないし、浦和から吉祥寺まで片道90分以上通うことになるしで散々反対されました。
それくらい先生になりたかった。
体育大学へ進学し、体育の教育実習へ行った時に職員会議に参加しました。どれくらい熱心な会議が行われているんだろうって思ったら、真逆で。ショックだったよね。
さらに追い討ちをかけたのは、お世話になった先生に
お前は生徒には好かれるけど上からは叩かれるぞ〜
って言われたこと。
当時教員になる倍率は相当高くて浪人覚悟の友達もたくさんいた。臨時採用で頑張り続けることにした子もいたな。
わたしはそんな先生の言葉を聞いて、そんながんばれない、って思っちゃった。
それで新卒で教育関係の民間会社へ就職しました。
会社員をやりながら、職種は営業や人事コンサル、人事採用というネーミングで変わり続けてきたけどわたしの中でずっと続いてきたのは「その人が本当に選びたい道を選べることをサポートする」ことだった。
それが月日が経っていろんな経験したら
「そのいのちがそうなりたい方へ」「より自分を生きる」
なんて表現になりました。
いのちを生きるってことは自分を生きるってことだよね。
生命維持じゃない。最後の最後まで自分を生きるってことが「いのち」を生きているってことだとわたしは思っています。
それを伝えたくて、当時は「先生」って言ってたんだなって今ならわかります。
学校の先生や世間一般の型にはまった先生にはなれなかったけど、わたしがなりたかった先生みたいな仕事はしてるな、って感じています。
わたしは何のために畑をはじめたんだっけ?
先週末訪れた岐阜のみたから庵で自然栽培家でありねじねじ考案者の
三浦伸章さんや仲間と2泊3日を過ごし、三浦さんが直接くれる言葉も自然との寄り添い方も、そして仲間が発する言葉も、、、全て今のわたしの在り方に響いてね
帰ってきてから畑に寝転んで
「わたしは何をしたくて畑をはじめたんだっけ」って聞いてみたんです、畑に。
わたしはね
安全な野菜がつくりたいとか
種を守りたいとか
そんな高尚な動機はなかったんだよね
わたしがつくりたかったのは
安心して個性を表現できる場所。
自分を生きることにスイッチの入る場所。
だから固定種だった。
固定種は共鳴するから。
「そのいのちをいきること」に共鳴するから。
自然は寄り添うと教えてくれるから。
「本当」を教えてくれるんだよ。
寄り添うこと
個性を表現すること
そちらを大切にしたかったから固定種の畑をはじめたんだった。
だから心から尊敬できる、まっすぐ相談できる師匠が2人もわたしに現れたんだと思う。
なのにわたしったら
会員さんを喜ばせるために「ちゃんと野菜つくらなくちゃ」ってなっちゃってて。
ちゃんと、っていうのは
「こうやったら上手にできる」と言われていることを守る、とか
「こうするもの」と言われているもの忠実に動く、とか。
自然に寄り添ったり、個性を大切にするんじゃなくて
責任感に縛られセオリーに基づいて動いていた。
・・・本末転倒じゃんw
楽しむこと、枠をはずして自然のメッセージを受け取ること、ワクワクする感覚を置いてきぼりにしちゃってた。
畑ってね、持ち主と共鳴する。ご主人と共鳴するの。その先に野菜がある。野菜ありきの場所ではないんだよね。
だからわたしは野菜をつくって生計を立てないって決めたんだった。
もっともっともっと
自由でいいんだ!!!
もっともっと
みんなと一緒にやっていいんだ!
寝転んで
空を見上げたら湧いてきたよ。
自然と人
人と人
わたしと誰か
わたしの内と外
調和は
カタにはまることじゃない
調和は
寄り添い合えば
「してゆくもの」なんじゃないかな。
それの実験でもあるのがこのフィールド。
個性を発揮するってそういうことのはずなんだよ。
整列なんてしなくていい。
畑に寝転んだらそんな言葉が浮かんできました。
もっともっと自由で愛にあふれた世界を創造してゆこう
今を生きていこう
今のあなたのために。あなたの次世代のために。採種や栽培、堆肥づくりに必要な資材を買ったり、本当に心地よい環境にするために使わせて頂きます! 応援ありがとうございます♡感謝します☺︎