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【就職活動】ひたすら自分と向き合った6か月。

最近、人生の次のステップに関する大きな出来事がありました。それは、ー好きな言葉ではないので、敢えて「」で括ろうと思いますがー「就職活動」に区切りがつき、就職が決まったことです。

結果的には「仕事を探す」ということを通して考えたことではあるのですが、今までの人生を振り返り、これからの人生を考えるという意味で単なる「就職活動」の域を超えて思考を張り巡らせる時間になりました。

そのため、「就職活動」という言葉をあてるのは違うと思っており、後で述べるように日本の就職活動に対する嫌気もあって使いたくはないのですが、便宜を図るためにその言葉とともに6か月を振り返ろうと思います。

なお、選考を受けた企業名は伏せています(直接聞いていただければお答えします)。内定先の企業には名前を出していいとの許可を得て執筆しています。

※10000字を超える大ボリュームになったので、公開当初は前後編にしていましたが、統合して1つの記事にすることにしました(2020.10.11)

「『就職活動』を始めるまで」

以前noteで書いたように、自分は宇宙に関わる仕事、特に(無人)宇宙探査に携わっていきたいと思っており、それは就職先を決めた今でも変わっていません。

この記事の中では「日本の宇宙業界、特に今の宇宙業界に入らねばとはならない、と最近強く思うようになりました。」と書きましたが、こういう考えに至ったのは就職活動を始めてしばらくしてからのことです。

当初、自分は某研究開発機構A(A機構)に行くことが全てであると考えていました。何も最初からそこに絞っていたわけではありません。いろいろな経験や交流、知見を通して、結果的にA機構こそ自分の取るべき選択、進路であると考えるようになったのです。

ただ、絶対にA機構に行かなければいけない、A機構に行けば自分のやりたいことが絶対できる、とは考えていませんでした。これこそが後々になって自分の考えに大きく影響するポイントだったのですが、当時は「自分のやりたいことに一番近いのはA機構、しかも日本に代替手段/企業はない」と考える程度でした。

ではなぜ、A機構が一番近い、他ではできないと考えていたか。それは無人宇宙探査に携わることができ、システムズエンジニアリングで言うところの要求定義ができるのは日本ではA機構しかないと認識していたからです。自分には海外の研究機関に直接進めるほどの能力がなく、まずはA機構だと思っていました。

国内では資源探査に取り組むベンチャーがありますが、CEOの方とも直接話して新卒では雇ってもらえないことが分かっていました。宇宙探査に携われればなんでもよいのなら、日本には宇宙機を開発するメーカーもあります。

しかし、メーカーを悪く言うつもりは全くありませんが、宇宙探査の計画を決めるのはA機構(引いては国)であり、メーカーが担当するのはあくまで何をするかが決まった後の仕事であるため行きたいと思えませんでした。

自分で言うことではないかもしれませんが、これまで宇宙開発のコミュニティには多く参加し、いろいろな人と交流してきました。その過程では宇宙開発フォーラム実行委員会(SDF)という学生団体に所属し、代表というトップのポジションも務めました。それらの経験を通しても、やはり自分はA機構に行くべきだという考えは変わりませんでした、というよりそこに着地しました。

↑SDFでは2017年に代表を務めました。その成果を報告書としてまとめてあります。

だから、A機構にしか行くことが考えられなかった、というのが就職活動を始めるまでの自分です。大学院の同期で早々に就職を決める人を見ても、先輩や周囲の人に他の企業を考えた方がいいと言われても何も思いつかなかったのです。唯一通信大手のB社だけ、新規事業の領域で宇宙探査というワードが出てきていたので、もしかしたら近いかもと思うぐらいでした。

「新卒一括採用の波に乗って」

それでも、いわゆる21年卒として就職活動を始める時期がやってきました。新卒一括採用という日本独特の制度では、3月1日が情報解禁の日です。21年卒からそれも変化するのではと言われていましたが、結果的には前年度までと同じスケジュールで進むことになりました。

A機構とB社以外にも保険として、かつ経験として受けておく必要があると考えたため、宇宙業界ではないところで企業を探し始めました。探す軸として1つあったのは、SDMで学んだことを直接使いたい、それができるかどうか、ということでした。

その結果、卒業生の先輩でも一定数いたことも含め、コンサルティングという仕事が自分の中ではヒットしました。特に外資コンサルは選考が他の業界よりも早いため、A機構とB社以外に受けるのはコンサル数社と決めました。

加えて、A機構の保険という観点で大手電機メーカーC社のR&Dも受ける企業に入れました。それは、自分の研究と専門性の特殊性のためです。SDMで学ぶシステムズエンジニアリングは、日本の企業や他の大学からすれば理解し難い分野だと言えます。

複数の分野にまたがり、大規模かつ複雑な目標を成功させるための学問であるシステムズエンジニアリングは、他の一般的な工学とは毛色が全く異なり、それを専門とする人からすれば「得体の知れないもの」として捉えられることすらあります。

自分では意外だったことに、A機構も例外ではなく、システムズエンジニアリングはまだ導入し始めた程度だと聞いていたため、説明を練習する必要性の高さを感じてC社を受けることにしました。

今にして思えば、もともとA機構しかないはずが新卒一括採用の制度に飲み込まれ、「他にも受けなければ」となっていたのが自分には合っていませんでした。

コンサルはそれなりに選考を通過することができ、職位の高い人と面接する機会もありましたが、結果的には全て落ちてしまいました。C社も、自分の説明では理解してもらえず不採用となりました。

宇宙業界を飛び出してみたものの、基本的に「宇宙」という言葉が通じない企業が多く、宇宙ビジネスに関心があるといっても理解してくれないことがほとんどでした。コンサルのようにさまざまな領域を扱う仕事だったとしても、新しい挑戦として宇宙を舞台にするということは受け入れられないなと感じました。

何より、そこまで宇宙に興味があって、特に宇宙探査をキーワードにしていると「あなたは当然A機構でしょ?」「A機構が第一志望なんでしょ?」「A機構じゃなくても宇宙業界でしょ?」と言われてしまい、異業種で宇宙をテーマに働くということが全く理解されない雰囲気が強くありました。

結局、A機構とB社しか持ち駒としては残らず、自分はやっぱり宇宙業界に進むべきか、と思うようになりました。

「持ち駒がゼロに」

しかし、6月上旬に2社とも不採用の通知を受けてしまいます。まずA機構が二次面接、次にB社が最終面接で落とされてしまいました。

A機構に関しては、C社と同じく研究内容と専門性が伝わらなかったのが大きかったと思います。二次面接まで進みましたが、現場の方々と話してみても有用性があると感じてもらうことができず、よく分からない分野を専攻している人という感じで終わってしまいました。

落ちてみれば呆気ないもので、今まで何のために頑張ってきたんだろうと少しは思ったものの、不思議とそこまで落ち込みませんでした。これは自分のことを知っている人からすれば意外かもしれません。あれだけA機構と言ってきた人が落ちても凹んでないというのは。しかし、前述の通り、自分のやりたいことに一番近い、というだけだったので、落ち込むことがなかったんだと思います。

ともあれ、いよいよB社しか残ってない、という状況で最終面接に臨みました。1つ前のプロセスと最終面接ではプレゼンが課されており、前者が「B社で実現したいこと」、後者が「B社に対する熱い思い」を述べよ、というものでした。実現したいことにこそ熱い思いが乗っていると考えていたため、両者とも内容は同じようなものになりましたが、テーマとしてあったのは「宇宙探査」でした。

B社は最近新規事業にも注力しており、そのなかにこれまで培ってきた通信技術を生かして宇宙探査における通信インフラを整備するという計画がありました。自分はそこに関心を持っていたので、それを拡大発展させていくというストーリーでプレゼンを作成しました。

今思うと、このプレゼンが選考を通過できるかの判断材料としてマイナスでした。自分は宇宙探査をやりたい、B社は新規事業で宇宙探査を取り上げている、なら自分は新規事業をやらせてくれ、と述べました。自分の専門性を生かすことを考えても、プロデューサー的な立場で事業開発に取り組みたい、そのために必要とあらば通信や他の技術を学ぶこともする、というのが自分の主張でした。

ある程度大きな企業に新卒として入るならまずはさまざまな仕事に慣れ、その後新規事業にも関与するというのが常識とされており、そういった意味でどんな仕事でもできる、やれるという人を採用するのが現在の主流です。自分のプレゼンはその真逆のことを主張していました。

ただ、役員からはプレゼンの内容を評価してもらうことができたと思っています。リップサービスも当然あると思いますが、「君みたいな人が働ける環境を用意しないとね」とも言ってもらいました。純粋に入社していずれかの部署に配属され働いていきたいという人たちとは全く異なり、最初から新規事業をやらせてくれという主張でも受け入れてくれるのかも、と思いました。

しかし、結果は不採用。このときばかりは頭が真っ白になりました。それまでもいわゆるお祈りメールはいくつも受け取ってきましたが、B社からの「慎重に検討いたしました結果、 誠に残念ながらご期待に沿いかねる結果となりました。」という文面を見たとき、本当にどうすればいいんだろうと分からなくなってしまいました。

「これからどうするべきなんだ」

持ち駒がゼロになり、これまでやってきたことは一体なんだったのか自分は何のために生きてきたのか、社会不適合者なのか。いろんなことが頭を駆け巡りました。親とすら顔を合わせたくない、そんな風にすら考えたりもしました。

でも、1〜2時間ぐらいでそう考えるのをやめました。それはなぜか。自分が落とされた企業のために落ち込んでいるのが馬鹿馬鹿しく思えたからです。そんなことのために生きてきたのではない、そんなことのために努力してきたのではない、自分のゴールは企業や組織に就職することではない。もっと先にあるはずだ。そう思ってからは次のステップをどうすべきか考え始めました。

ただ、そうは言っても感情はぐちゃぐちゃです。今までのロジックでは通用しないことが分かったので、一旦全てをリセットする必要がありました。しかし時はすでに6月中旬。新卒一括採用の企業ではもうほとんど募集が締め切られているし、就活があるからという理由で研究もトーンダウンさせていたので、これ以上のんびりやっている時間もない。

そこからは自宅の壁に貼り付けたホワイトボードに書き殴りました。書き殴りまくりました。直近で次にどこを受けるのかもそうですが、そもそも自分は何がやりたかったのか、そのためにどんな経験を積んでいくべきなのか、考えに考えました。コロナ禍ということで自宅にいる時間やその周辺を散歩する時間が増えたため、持ち駒が残っているときも常に深く考えるクセがついていました。

B社の人事から「あなたはとても深く思考する人で、それが非常に印象的だった」と言われましたが、もともと深く考えるタイプだったのがさらに強化されていたように思います。

そこで出た結論は、自分が将来やりたいことは「宇宙探査」で変わらない、しかも、誰かが立ち上げたプロジェクトに乗るのではなく自分で立ち上げられるようになりたい、そこは曲げることができないということでした。では、そのために何が必要なのか、何をすべきなのか、逆算的に仕事を選ぶのが自分に合った考え方であると思うようになりました。

そのとき同時に思うようになったのは、「新卒一括採用なんてどうでもいい」ということでした。自分がやりたいことをやるために仕事をする、選択するのなら、新卒一括採用の波から外れてしまったことに焦る必要などなく、じっくり確実に自分が納得できる企業を選ぶべきだと考えるようになったのです。

そもそも、なぜ企業の都合に合わせなければいけないのか、人生の選択をするのはこちらであって、それに合う企業があるのかを探すのが本来やるべきことだと気づきました。当然と言えば当然ですが、この状況に至ってようやく気づくことができました。

就職活動を始める前から、学生を100人、200人、多ければ1000人規模で採用するというシステムには疑問を感じていました。1人辞めたところで何も影響ないじゃないかと。誰かが辞めたとしても問題ないように、補充できるように大量採用していると。企業の歯車でしかない、名前のない手駒、極端に言えば「記号」でしかなくなるということに納得がいきませんでした(自分がそう感じているということで、企業側はそうではないのは承知です)。

たまたま持ち駒がゼロになった2日後にSIerであるD社の締め切りが迫っていたため、それだけはエントリーすることを決めましたが、そこから先は新卒一括採用を気にせず腰を据えて探していこう、と考えるようになりました。

「自分のやりたいことを追求するために」

D社を受けると決めたのは、時間がない中で「自分が将来やりたい、人生をかけて実現していきたいこと」のために次のステップでは何をすべきかを考えた結果でした。ただ、D社に加えてもう1社(E社)受けることになりますが、この2社はまだ自分の中では納得できる答えではなかったなと今振り返って思います。

なぜなら、2社ともいわゆるSIerと呼べる企業だったからです。締め切りが近かったため精査が足りずD社にエントリーしてしまったのもありますが、持ち駒がゼロになってから最初に出した結論では、SEを仕事にするのがいいのかもしれないということが大きな理由でした。

将来宇宙探査に関するプロジェクトを自分で立ち上げられるようにするためには何が必要か。自分はどういった立場から宇宙探査に携わるのか、それによって取るべき選択は変わります。自分の場合、それはSDMに進学した理由でもありましたが、サイエンティストでもなければ純然たるエンジニアを目指しているわけでもありませんでした。

自分は、ビジネスをデザインできる人になりたい、立ち上げられるようになりたいという思いがありました。全体を俯瞰し最適化を図ることが実務レベルで可能な人材になって、宇宙探査及び宇宙開発に関わりたいと考えていました。そのためには、ビジネスの上流から下流まで俯瞰できる立場で仕事ができる環境に身を置き、そこで経験を積むことが必要であるとの考えに至りました。

SEとは、要求定義からシステムの運用・保守に至るまで、システム開発における上流から下流までをカバーするのが仕事だと認識しています。ただ、SEやSIerという言葉の定義は非常に曖昧で、会社ごとにかなり幅があります。そのため、必ずしも上流から下流までというわけではないこともあります。

加えて、D社のエントリー後もいろいろ調べていて分かったことは、「上流から下流まで」この言葉をどう捉えるかによって大きく変わるということでした。システムの開発に関して言えば確かに上流から下流までカバーしていても、もっと俯瞰してみるとビジネスの全体をカバーしていないこともあるということが分かりました。

当然と言えばそれまでですが、システム開発の前にはそもそもどんなビジネスをするのか考えるフェーズがあり、システム開発の後にもプロダクトやサービスの展開を図るフェーズなどがあります。一概には言えませんが、SIerはそういったところまでカバーしているわけではないことも多いのです。

結局、SIerもA機構と同じように、自分の中で近いとは思ってもここだ!と思えず、絶対に入りたいというモチベーションにつながりませんでした

やはり、自分のやりたいことを追求しようとすると会社が見つからない。そもそも会社に入れるようなタイプではないかもしれない、違う道を考える必要があるかも、と思う日もありました。

「めぐり合わせ」

ただ、持ち駒がゼロになってからD社とE社だけ受けていたのではなく、内定をいただいた株式会社Relicも同時並行で受けていました。エントリーしたときは、まだ最終的に入社することになるとは全く思っていませんでした(この時点では内定がないので当然ですが)。

Relicという会社に出会えたことが自分の中で非常に大きかった。こんな企業が日本にあるのかと。自分の考え方や価値観にここまで近い企業があったんだと思うほどの衝撃でした。

この会社を知ったきっかけは高校の友人に教えてもらったことです。教えてもらったときはまだA機構とB社の選考中で、そこまで興味を持って調べていたわけではありませんでした。しかし、いろいろなことに一緒に取り組んだ「戦友」とも呼ぶべき友人が「おもしろい」というのなら自分にとってもおもしろいはずだと思っていました。

持ち駒がゼロになってからRelicのことを思い出し、SIerを受けるのと同じくビジネスをデザインするスキルが身につけられるから、という理由でエントリーすることを決めました。

しかし、調べていくと、どうやらSIerとは一線を画す企業であり、それどころか日本には同業他社がほぼ存在しない企業だということが分かってきました。新規事業にこだわって今まで実績を残されてきた方々が、日本から世界に誇れる事業やサービス/プロダクトがどんどん生まれてくるようにしたいという想いで創業した企業です。

事業ドメインは『新規事業』」とされ、事業会社とコンサルファームの両方の側面を持ち、従来の企業では持ちにくい視点のもと、市場や事業開発フェーズの制限なく、さまざまなビジネスに挑戦できる環境があるということでした。

この会社ならSDMで学んだことをフルに発揮できる、そう思いました。そこから、ここに対する志望度が上がっていく一方で、同時に受けていた他社に対する興味が薄れていきました(受かってないやつが何を言ってるんだってことではありますが)。

「『就職活動』終了」


結局、D社は二次面接まで進みましたが、もはや志望動機が考えられなくなってしまいました(E社は初めてESで落とされました)。ネガティブキャンペーンでは決してありませんが、D社でなければならない理由が自分の中で見出せなくなってしまったのです。

これは1つの企業に限ったことではないですが、自分の感覚として企業の独自性を見つけることは非常に困難です。抽象度のコントロール次第で違いは見つけられますし、企業側も独自性があると言います。面接において採用担当は自社の独自性をどこまで理解しているかを見極めようとしていることが多くあります。

しかし、本当に違いなんてあるんでしょうか。どの企業も多少の差異はあれど、同業他社と呼べる企業が存在しているなら自分の中では大きな違いはないとすら思ってしまいます。その結果、Relicの選考が進むのに合わせて、コンサルどころかSIerにも興味はなくなっていったのです。

まして、就職活動を始めるまで一般企業に対する興味を持てていなかったのに、無理やり目を向けるのも違うなと。ファーストキャリアは大手に行くべき、大企業でなければ得られない経験がある、と言われたこともあり、ベンチャーに行くとしてもまずは大企業で経験を積んでから、と考えていた時期もありました。

でもそれは自分には合っていないな、もっと仕事の全体像を掴みやすく、他の人には代替できない仕事がいいなと思うようになりました。不思議な感覚ではありますが、昔の自分に戻ったような感覚になりました。そして、自分はまずRelicに進むべきだと考えるようになっていきました。

この頃、思うようになっていたのは、学問と実務の両面からシステムズエンジニアリングを武器に戦える人材になりたいということでした。SDMでも先生から「新卒学生の専門はシステムズエンジニアリングである」と言われたように、それを自分の専門として磨いていきたいという思いがありました。

ただ実際のところ、システムズエンジニアリングには体系的に学ぶだけは理解できない領域があると感じており、それが他の学問と比較したときの特殊性の1つでもあると考えていました。そのため、自分の専門性を磨く上で実務経験を積む必要があり、それを目的として社会に出るべきであるというのが自分の中で構築されたロジックでした。

そのうえで、システムズエンジニアリングについての理解を深めるということを企業で働くことに求めるとなると、なおのこと他の企業では足りない部分がありました。本質的に上流から下流までカバーしている企業はそうないと思います。

そして、自分が将来宇宙の領域で自らプロジェクトを立ち上げることを考えると、既存事業の一翼を担うのではなく、新たに事業を起こすことを経験する必要がありました。

しかし、SDMという特殊性ーこれについてはまた別の記事で書こうと思いますがー、修士研究を全うしようと考える以上、そして来年からは自分で稼ぎ自立する必要がある以上、時間的にもこれから卒業までに起業をすることは難しい状況にありました。

Relicはそんな自分の思いに合致する(自分が見つけた中で)ただ一つの企業でした。だからどうしても入りたい。ここなら自分のやりたいことに近づける。そう思って選考に臨みました。結果として、持ち駒がゼロになってから約2か月かかりましたが、幸いなことに内定をいただくことができました。

内定をいただけたことが分かったときの気持ちがメモに書いてありました。
・良かった!でも、やったー!でもない、言葉にできない感情
・メールの文面以外見つめることができないような、一瞬にして他の情報が全て削ぎ落とされる感覚
・パンを食べていたのに、急に食べる気が失せた
・思ったより感情の浮き沈みがない(ぜんぶ修論のせいだ)
今まで試験に合格したときも似たような感覚だったように思います。

就職活動の一般的な評価としては内定1社は少ないとか、もっと多く内定を持っている方がすごいとか、そんな論調を散見しますが、自分としては全く気にしていません。そもそも企業に入るのはなぜか、何のために社会に出るのか、自分の価値観と照らし合わせたら1社でも内定をいただけたのは奇跡だとすら思うからです。

「6か月を振り返って」

本選考で最初にエントリーしたのが2月中旬のため、「就職活動」を始めてから実に丸6か月が経過していました。コロナ禍での活動ということもありさまざまな変化がありましたが、そのおかげで自分を深く見つめ直すことができたと考えています。

近しい人からは「考え方が変わったね」と言われることもあります。確かに変わったように思えますが、実際のところは自分にとっての「本質」は何だったかを振り返り、原点に立ち戻ったようにも感じています。

最初はベンチャーに進むとは全く予想していませんでした。でも、自分のやりたいこと、そのために身につけたいことを突き詰めていけば必然だったのかもしれないと思います。

最近言われて嬉しかった言葉がありました。「ベンチャーに行くことを選んだってことは相当悩んだ結果だと思う。ベンチャーに行くって聞いただけでも分かる。」と。自分のことを知ってくれている人にはそう見てもらえているのかなと思い、努力の甲斐があった気がしました。

考えてみれば、大学進学、大学院進学、就職と人とは違うルートを選び続けてきました。宇宙探査や宇宙開発をやりたい人の多くが航空宇宙工学を選択するなかで、自分は宇宙物理学を選びました。大学院では、航空宇宙工学出身の人とは違うアプローチで宇宙に関わるんだとSDMを選びました。就職に関しても、宇宙業界ではない企業に進むことになりました。

中学は親のすすめで小石川に進みましたが、それも大多数の人とは違うルートです。当時は中等教育学校自体まだメジャーではなく、小石川も中等教育学校化して4年目でした。そんな学校に入ったからこそ、その先のルートも人とは違うルートを選ぶことになったのかもしれません。

大学受験の年に、担任の先生からいただいた年賀状には「自分を信じて突き進め!考えすぎず、やるしかないでしょ!」と書かれていました。考えすぎず〜の部分は受験生の時と今では意味が違いますが、今の自分にとっては周りなんて気にせず自分の信じた道を進んでいけばいいというメッセージだと思っています。

だから、時間がかかっても、王道でなくとも全然気にしていません。自分がやりたいことをやるためにこれからも自分の意思で選択していくだけだと思っています。

最後に、ホリエモンのコメントで非常に心に刺さったものがあったので、それを引用します。「大企業志向が困難にするベンチャー企業の人材確保」という文脈でISTの稲川さんのことを語っているコメントです。

「JAXAみたいな組織っていうのは、そういうやつは3年に1回ぐらいしか取らないんですよ。ベンチャーの社長をやれるような人って、ああいう組織にいると逆にハレーションを起こしたりするんでマジョリティーをとっちゃダメなんですよ。ああいう会社っていうのは、たまにそうやって異分子を入れながら組織を活性化させていく」(ホリエモン)

自分を稲川さんと同列に考えるつもりは全くありませんし、これを見つけたのは就職活動を終えてからですが、自分の考えを後押ししてくれているようにも思えました。まだスタートラインに立っただけですし、結果を何も出していない状態で語れることはありませんが、今の選択を信じて進んでいこうと思います。

(就職に関する活動を実施するにあたって、話を聞いていただいた皆様、アドバイスをいただいた皆様、記事中で触れてはいませんが、皆様のおかげで今があります。この場を借りて感謝いたします。)

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