見出し画像

はじめてのおつかい

――ごめん、お願いしたいことがあるんだけど。

彼からの電話に出ると、その声に焦りが滲んでいた。
今日は午後から取引先への挨拶に向かう予定だったが、予め買っておいた手土産を玄関に忘れてきてしまったと、つかえながら説明される。
こんなミスを防ぐために、わざわざ目に付く場所に置いておいたのだろうに……。彼らしい失敗だと思ったが、今は和んでいる場合ではない。

――それでさ、本当に申し訳ないけど、今から言う場所に持ってきてくれないか?

彼が最後まで言い切る前に、私は承諾した。
だって、彼がどんな気持ちでその手土産を選んでいたか知っていたから。


――女の人って、何を貰ったら嬉しいんだろうな?

休日の昼下がり呟かれた言葉に、ドキッとした。女の人って誰? 何故喜ばせたいの? どうして私に聞くの?
私の困惑には気づかないまま、彼は取引先への手土産を悩んでいると続けた。その会社は女性社員が多く、また担当者も女性であるため、自分のセンスに自信が持てないと言う。
思わせぶりなこと言っちゃってとため息をつきながらも、彼をデパ地下に連れていき、女性ウケ抜群のスイーツを一緒に選んだというわけだ。
お会計を済ませたときのほっとした笑顔が目に浮かぶ。

私は紙袋を持って駅まで向かった。走るとお菓子が崩れるかもしれないから、早歩きで。
だけど、本当は今すぐ彼の元に飛んでいきたい。早く彼を安心させてあげたい。そんな気持ちが、歩けば歩く程に膨らんでいった。

指定された場所に着くと、彼はすぐに私を見つけてくれた。パリッとしたスーツ姿で、駆け寄ってくる。
彼のスーツ姿は、朝晩の玄関で見慣れた姿だった。でも、こうして働く姿を見るのは初めてで、なんだか無性にドキドキしてしてしまうのだった。

この鼓動を悟られたら、ちょっと恥ずかしい。なるべく明るい声で“お仕事頑張ってね”と言って、紙袋を渡そう。

シナリオライターの花見田ひかるです。主に自作小説を綴ります。サポートしていただけると嬉しいです!