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泣いていたかもしれない。

ああ、これで生きていける。
深夜一時の冷えた布団の中で、私は安堵のため息をついた。

東京で暮らそうと思ったのは、ただ単に地元で暮らしていく人生が想像出来なかったからだった。
地元には当時の私が欲しいもの、選びたいものなんて、何もなかった。その例の一つが進学先だ。地元には美術・芸術系の大学なんて存在しない。
漠然と「文章を書きながら暮らしたい。出来れば物語を」などとまったりとした夢を見ていた私は、東京に出て行くしかなかったのだ。
「絵を描くことを学びたい」という双子の妹の声も、私の背中を押す要因の一つだった。「一人暮らしは無理でも、二人なら大丈夫」という安易な発想は、まだ見ぬ生活を少しだけ明るいものに感じさせた(実際、二人暮らしだからなんとかなった問題が多分にあったので、間違いではなかったと思う)

決意を確かなものにしてからは、芸術系の大学に合格し、上京することを目指して進み続けた。だから、その計画がとん挫したときは、目の前が真っ暗になった。
父親が私たちの学費を使い込み、高級車を購入したことが発覚したのだ。

それから紆余曲折があって――
なんとか上京した私たち姉妹は、東京都とはいっても23区外で生活の場所を得た。六畳間とキッチンとユニットバスの部屋。南向きだけど、窓の向こうは交通量の多い道路で、ちょっと埃っぽいマンションだった。小さめのクローゼットは、二人分の荷物を入れても隙間が埋まらなかった。実家から持ってきた錆びついたやかんで、お湯を沸かしてインスタントの味噌汁とのり弁を食べた。
まだ進学先もバイト先も決まらない中、勢いで家を飛び出したから不安もあった。だけど、もう誰にも自分の人生を左右されない。そのことだけが嬉しかった。

だから、私ははじめて借りた部屋の天井を眺めながら、布団を口元まで引き上げて、ため息をついたのだった。
少しだけ、泣いていたかもしれない。

シナリオライターの花見田ひかるです。主に自作小説を綴ります。サポートしていただけると嬉しいです!