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作業所へ通うことすら辛くなった私は、何処へ向かえば良いのか?

どうも。発達障害持ち、双極性障害Ⅱ型で精神障害者手帳2級所持。パニックと適応障害あり。障害年金2級受給中の46歳男性です。妻と小6男児の3人暮らし。子も発達障害で療育手帳持ちです。以上、前提説明終わり!多分答えの出ない、どう生きていくかの話をするよ!40秒で支度しな!

今までの話とか

2004年、28歳の時に体調不良が多発。内科やら色々と受診した結果、IT系職場での過労とプライベートの心労が原因と判明し、精神科へ。なんやかんやで、投薬治療を続け暫くの間は平穏な日々を送る。

2009年、結婚した直後に再発。半年ほど休職するも回復の兆しが見られずにそのまま退職。2010年を丸々回復に充てる。2011年になり、精神障害者手帳を取得し、障害者雇用枠で就職活動を始める。半年程かかったものの、契約社員として社会復帰。時給が最低賃金でしたが。

子供が生まれた直後、更に福祉支援も何も知らないので、収支がたちいかなくなり、1年半で入力が主な発信ありのコールセンターへ転職。最初のリーダーが合わなくて大変でしたが、その後は人間関係にも恵まれて5年半の間勤務。これは、同じ職場での自己最長記録。しかしながら、後から入ってきたパートのおばちゃんに煙たがれた結果、嫌がらせを受けて退職。

次は人と極力関わりたくなかったので、軽トラックの配送業へ。冷凍・冷蔵食品の運搬で働く。勤務時間も週40時間ぐらいで超ホワイトだったのですが、収入が低いため生活に苦しむ。当時の職場で仲良くしていた女性社員から「中型免許持っているんだから8トン車乗れば収入上がるよー」という情報を鵜呑みにして、転職。

新しい運送会社の給料、確かに上がりました。倍近かったです。しかし、勤務は週6日。70時間労働で更に夜勤という環境の中、働き続けることが出来るはずもなく、1ヶ月でパニック障害発動。体育会系の雰囲気も合わず、半年で退職。この頃、ようやく発達検査を受けて発達障害持ちと判明。

「次はデスクワークで得意なパソコン技能が活かせる職場へ、障害者雇用でいこう!」と心に誓い、就労移行支援施設へ。
わたし「3ヶ月でなんとかして!」
担当者「頑張ります!」
と始めたものの、世はコロナウイルスによるパンデミックがこの世の春を謳歌しておりました。そんな時勢に、40代男性精神障害者。パニック持ちを雇用する会社など無く。面接で「ホント、精神障害者なんて困るんだよね。何を考えてるか分からないし」と言われ、担当者と泣きながら帰った日もありました。長期戦が必要だった気がしますが、すぐに家計もピンチを迎え、その場しのぎに運送業へのUターンをすることに。

そこもご多分に漏れず体育会系だった上、指導者との相性がとにかく悪く。ルート配送なので、早く荷物を運ばないといけないのは理解できるけど、早くするために「シートベルトなんかするな!」は流石に。交通法規違反ですし、そこまでして働きたくない。結局2週間でパニック障害を発症して退職。最短記録でした。

本当に「来月の家賃が払えない……」と悩んでいたところ、当時小4の息子が、通っている放課後等デイサービスの管理者に話を通してくれて、福祉施設で運転手兼事務員として働くことに。送迎等の運転は特に問題なくこなせたのですが、初めての事務職が大変で、大変で。仕事内容は多岐にわたるし、マニュアルはないし、時間には追われるし。最後は机に頭を打ち付けて15針ぐらい縫う怪我をし、薬を大量摂取して救急搬送されてそのまま一泊。もちろん退職となりました。

家族揃って実家へ戻ったので、家賃問題は解消したのですが、無職ではどうにもならず。「少しずつ働こう」と、年末の運送会社で倉庫の高時給バイトを一週間。続いて、自治体のコロナワクチン接種コールセンターへ。ところが、1ヶ月ぐらい経過したぐらいで「モデルナが危険」という情報がメディアから流れ、その対応に8時間苦情電話受けっぱなし。3日で動けなくなりました。もちろん退職です。

いよいよ履歴書の職歴欄も書ききれなくなり、体調的にも「あー、もう普通の仕事は出来ないんだなぁ……」と思っていた矢先、前に務めていた福祉施設の職員から「障害年金を受け取って、就労継続支援作業所で働いたら何とかなるよ」という情報を貰いました。え?障害者手帳を受け取って10年以上経つけど、初めて知ったよ。

気合を入れて、年金受給の話を進め、職場も就労継続支援A型作業所への雇用が決まりました。時折、パニック障害が出て大変だけど、何とか何とか……。という矢先、今度はコロナ罹患です。物理的に通所できなくなり、その後も在宅勤務になる。すると、在宅なのに仕事量が少ないからオンとオフの切替ができなくなり、体調を崩す。摂取する薬の量も増え続け、フラフラして仕事も出来ないので、作業所を退職の上、減薬のために入院することに。

入院した病院は、電子機器への管理が厳しく、昼間しかスマホを見ることが出来ませんでした。夕方以降は詰所へ預ける。積んでいた電子書籍を読もうと、タブレットも持っていったのに、「持ち込み禁止です」と言われ何も出来ず。メモ帳に下手な絵を書いたり、ノートへ日記を書いたりしていたのですが……
減薬は一向に始まらない
貯めていた電子書籍は読めない
個室とはいえ他の患者が気になる
と、精神的に居続けることが苦痛になっていき、一週間を前にして無理やり退院しました。

退院後、すぐ就労継続支援B型作業所へ通えるように話を進める。なるべく通いやすくて、気楽なところにしました。そして、現在に至ります。

現状のお話

先程も書いたように、就労継続支援B型作業所に通所中です。B型はジャンルも色々とありますが、内職作業などよりは、通所する習慣付けとコミュニケーションを取ることを重視した感じの作業所です。

通い始めて半年ぐらい過ぎたのですが、困っている事として挙げるならば、

精神障害者ばかりの環境が辛い

ですね。「お前も2級になるほどの精神障害者やろ!」とほうぼうから石が飛んできそうですが、入院時と同じくコミュニケーションをちゃんと取れない人との生活が、とにかくしんどい。コミュニケーションをとらなくても、騒いだりするのが日常茶飯事でしんどい。うるさいのが休憩時だけならともかく、常時なのでしんどい。なるべくスタッフさんといるようにはしていますが、その会話へ無理やり入ってくる人がいるのでしんどい。見学の時は、うるさくする人が居なかったせいか、気付きませんでした。途中で利用者が増えて、雰囲気が激変したのもあるよね。まぁ、これは一般企業でもあるか。

あとは、障害児を持っている親だからなのかもしれませんが、二十歳ぐらいの子が怪我をして「血」と言ったら職員が絆創膏を片手に飛んで来た時に、凄い恐怖を感じました。え……ウチの子も何も出来なくなり、「血が出たから絆創膏を下さい」すら言えなくなるの?……と。

結局、そのあたりがストレスとして重くのしかかり、毎日の通所が出来なくなりました。在宅作業という形で毎日作業をしているのですが、実はこのnoteを書くことが作業として認められています。いいんか?これ、完全に趣味やぞ……。それに在宅作業だと、「毎日通っている」と言えないので、今後の就労に支障が。

そんな感じで、通所すればストレスで体調悪化。在宅だと余計に先が見えなくなる……という閉塞感に陥っております。ここまでして、今の作業所に通う意義とは?理由とは?なるべく通所しようと頑張りますが、3日目には動けなくなって在宅作業になっちゃうんですよね。しかも正直な話、1ヶ月のB型作業所での工賃は、1万円近い利用料で消えます。改めて書き出してみると、益々通っている理由がわからない。

「このままじゃいかん!」とA型作業所も探してみたのですが、
半年前に精神科入院歴あり
パニック障害の症状が出る可能性がある
あたりが、重くのしかかっているのか、契約には至らず。かつ、作業所によっては単純な内職が多くて。別に仕事だから何でも良いのですが、体験で行っている自分の半分ぐらいの作業量をこなして「よく出来たね!」と言われる利用者さん……。正直言って、申し訳なくて。もしかしなくても、就労継続支援作業所に居てはいけない人間なのでは?

約束の丘はどこ?

いきなりのヴィジュアル系な単語ですが、本当に今後どうすれば良いのか。思いつく限り書き出してみると……

  1. 新しい就労継続支援B型作業所を探す

  2. A型作業所へ通えるよう、今は我慢する

  3. 就労移行支援事業所で障害者雇用を目指す

  4. 障害を隠して、週20時間程度の仕事に就く

  5. 障害を隠して、週40時間程度の仕事に就く

  6. データ入力等の仕事を内職的にネットで受ける

思いつく限りの割には現実的な気がしますが、このあたりかな?障害者雇用でフルタイム働くならともかく、4までは恐らく障害年金2級範囲内なので、収入と体力的な負担の割合が丁度よいのかも。A型作業所+障害年金で20万円前後の収入は確保できるしね。下手にフルタイム働くより、良い収入な気が。どうなってるの?ニッポン。

そんなわけで、「まともに働けなくなったら、途方もなく困るよ」という回顧録と現状報告でした。あと視えない未来。とはいえ、仕事は一人あたりの量が増えて複雑になる一方だし、適応しようと頑張った結果、体を壊す人は後を絶たないので、これから働く人や学生の皆さんは、決して無理せずに生きましょう。精神壊したら、趣味も楽しめなくなるよ!


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