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ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』覚え書き

リタイアメント後の生活は毎日が日曜日、一日24時間、365日何をやるのも自由。
この自由な時間を持て余す人も多いと聞くが、私はそのような感覚を抱いた事はない。
5時半の起床から11時半の就寝に至るまで、日々の生活は読書が中心に回っており、多くの時間が読書に費やされているが、それでも時間は足りない。
例えばドストエフスキーの著作だけとってみても、その浩瀚な量の作品群を何度となく熟読玩味するのには多大な時間を要する。
私が早期リタイアした理由の一つが、読書の時間を優先したいことにあった。

ドストエフスキー、チェーホフ、カミュ、道元、三島由紀夫、金子光晴。
10代半ばからの長い読書遍歴の末、思考活動の拠り所として私が辿り着いたのがこれらの作家であり思想家だ。
おそらく99%の人にとっては一切興味のないことだろうが、これらの書物の覚え書きを自分の為の記録として、今後折に触れて文字に起こしていきたい。

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』覚書

「この世のだれもが、何よりもまず人生を愛すべきだと、僕は思いますよ。」
「人生の意味より、人生そのものを愛せ、というわけか?」
「絶対そうですよ。論理より先に愛することです。絶対に論理より先でなけりゃ。」

飲み屋で交わされたアリョーシャとイワンの会話を聞くと、20世紀実存主義に連なる思想である、形而上学の限界や思考の身体性を想起させる。人生の意味=形而上学よりも、人生そのもの=感覚の受容機関としての身体が重要であり、喜怒哀楽全ての感覚を精一杯受け入れる事こそが、人生の意味を考える事よりも優先されなければならない。

そして人間がそのように生きる時、
「人生はお前に数多くの不幸をもたらすけれど、お前はその不幸によって幸福になり、人生を祝福し、ほかの人々にも祝福させるようになるのだ。」
と、不幸でさえもやがて幸福へと止揚される、生の弁証法がゾシマ長老により語られる。

10代から20代にかけての私は、哲学、文学の書物を読み漁り、袋小路に追い詰められたような精神的圧迫に喘ぎながら暮らしていた。それは当にキルケゴールの云う「死に至る病」でもあった。
そんな時期に光明を与えてくれた思想の一つが、カミュやマルローの実存主義的思考であったりする訳だが、その源流となる思想がドストエフスキーの作品に明白に表出されているのは自然な事だろう。

( 話は逸れるが、ドストエフスキーの思想が20世紀の思想家に与えた影響の重要性を見るとき、私はワグナーが20世紀の音楽家に与えたそれとの歴史の符号を面白く思う。
1821年に生まれたドストエフスキー、1813年に生まれたワグナー。同時代に生まれた文学と音楽の巨星。
ドストエフスキーがそうであったように、もしワグナーの音楽がなかったら、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、シェーンベルグは生まれなかったかもしれないし、そこから更に変化を遂げた現代音楽の景色はかなり違ったものになっていたに違いない。)

「生きていたいよ、だから俺は論理に反してでも生きているのさ。たとえこの世の秩序を信じないにせよ、俺にとっちゃ、《春先に萌え出る粘っこい若葉》が貴重なんだ。青い空が貴重なんだよ。」
とイワンが語る時、『異邦人』のムルソーを想い出さずにはいられない。
昼下がり、太陽が照りつける埃に塗れた港を「疾走に伴うあの狂気じみた衝動」に駆られて走り抜けて、生の充溢感に満たされたムルソーを。
イワンの《春先に萌え出る粘っこい若葉、青い空》とは当にカミュにとっての《アルジェの強烈な太陽と海》ではなかったか。

ムルソーに先んじて、焼けるが如き生への希求(春先に萌え出る粘っこい若葉への渇望)の立場を、ミーチャは高らかに宣言している。
「たとえ人間的な幻滅のあらゆる恐ろしさに打ちのめされたとしても、それでもやはり生きていきたいし、いったんこの大杯に口をつけた以上、すっかり飲み干すまでは口を離すものか!」

私はこれらの思想を啓示として、形而上学の限界を徐々に知ることとなった。
そこから自分自身の身体、またその身体に不可分に結び付けられている「時間」の重要性に目覚めていく。
身体は形而上学では捉えきることが出来ない、当にそれはベルグソン的直感に満ちている。
そしてその直感はまた、百尺竿頭に一歩を進めるが如き、思考から身体への冒険であり跳躍でもある。

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