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マクロ経済学はきっと面白い。不景気、バブル、株価の数学分析の論理を知る。(容疑者ケインズ)

小島寛之さん著「容疑者ケインズ」を読みました。

学生時代よりもニュースを毎日きちんと読んだり、わからないことを調べたりする習慣ができたので、お金の本質は何か、景気が悪いとはどういう事なのか、なぜ経済は成長を続けなければいけないのか、といった事が気になるようになりました。

今一度、経済学を学びたい想いが湧いてきて、この本を手に取りました。

著者は、数理経済学や意見決定理論を専門とする帝京大学の大学教授です。Web雑誌での長期連載に加筆修正して作られたのがこの一冊です。

今回は本の面白かった部分を簡単にまとめたいと思います。

もくじ
1.貨幣の性質が引き起こす悲劇
2.バブルはいつ崩壊するのか
3.株取引で企業分析ではなく株価の傾向分析だけする人が存在する理由

1.貨幣の性質が引き起こす悲劇

経済学を学んだことがある人は誰もが一度は聞いたことがあるだろうが、貨幣には3つの機能がある。

①交換手段
物々交換のように、お互いに欲しいモノと与えたいモノは一致しづらい。貨幣が存在することで、欲しいモノと与えたいモノが一致しなくても、貨幣とモノの交換が成立しやすくなる。その結果、社会全体の交換が活発になる。

②価値尺度
世の中で流通している財やサービスの値段、価値のものさしとしての機能。

③貯蔵手段
将来、必要なモノを手に入れる権利を貯蔵する機能。例えば、魚を売りたい人が魚よりはるかに高いダイヤモンドを手に入れるために魚を蓄えていたら腐ってしまうが、小まめに魚を販売して貨幣を貯蔵することでスムーズに取引が成立する。

このような貨幣の役割の③貯蔵手段としての欲割に関連して、貨幣は「何を購入するかの決断を先延ばし可能にする」という機能がある。

今すぐ物々交換しなくても良い状態になったため、貨幣がなければ存在していたであろう、「将来ダイヤモンドを買う権利」の購入という取引が消滅する。物々交換時代に魚と「ダイヤモンドを買う権利」を交換することで、ダイヤモンド屋さんは毎日魚を食べていたが、貨幣の登場により魚屋さんは魚と「貨幣」を交換するようになる。そうすると、ダイヤモンド屋さんはダイヤモンドが完成するまで魚も貨幣も手に入れることができずに餓死する。最終的には、魚屋さんも魚を買ってくれる人が減少し、取引が非常に不活発な状態になる。

貨幣が貯蔵手段として「購入の先延ばしを可能にする」という機能は、便利な機能でもあるが、あまりにも皆が購入を先延ばしにし続けると社会全体での交換が縮小してしまうという危うさも持っている。

2.バブルはいつ崩壊するのか

1980年代日本でも全国の土地価格が上昇したように、バブル期には本来の価値以上に価格が引き上げられる。そして、それはある時突然崩壊する。バブル崩壊に関するある面白い論文が紹介されていた。その論文では、バブル崩壊は価格がピークに達した時ではなく、価格の偏りがピークに達した時におこるという主張を「ジニ係数」を使用して説明している。

ジニ係数とは、所得格差を表す指標で0~1の値を取る。ジニ係数が大きいほど格差が激しいことを表している。それは同時に、「偏り」が大きいことを表すため、偏りに関する指標としてバブル崩壊を説明するためにジニ係数が使用されていた。

論文によると、土地価格がまんべんなく上昇している際はバブル崩壊せず、土地価格が偏って上昇するとバブルが崩壊すると主張しているようだ。

傾きの指標として、ジニ係数を使ってバブル崩壊を説明する論理は面白いなと思った。

※同内容のWeb記事はコチラ

3.株取引で企業分析ではなく株価の傾向分析だけする人が存在する理由

投資家たちが株価の動きを分析するために、企業分析ではなく、株価自体の推移を数学的に分析することは少なくないという。周囲の分析と行動の結果を分析して行動している人たちが存在するということだ。

企業の実態ではなく、株価の傾向を数学的に分析するという手法はなんだか不思議に思える。

本書では、なぜ企業分析ではなく傾向分析を行う人が存在するかがわかりやすく説明されていた。自分が投資家の一人だとして、もし他の全員が企業分析をして分析結果を出したとすれば、他の全員が出した結果を利用すれば自分が分析するコストを削減し正しい結果を得られるために合理的である。一夫で、他の全員が企業分析をしておらず正しい分析結果に行きついていないとしたら自分だけが企業分析をして正しい結果を得るのが合理的である。このように、全員が分析する場合にはその結果にフリーライドし、全員が分析しない場合には自分だけ分析をして正しい結果を得ることが合理的なので、全員がこの前提に基づいて行動するとすれば、ある程度の人が他の人の分析結果にフリーライドするという状態に均衡すると言える。まさにそれが、数学的な傾向分析をする人が一定数いるという状態だ。

これは、宿題や課題の提出時の状況も同様に考えることができるという例も挙げられていて、深く納得した。宿題や課題をきちんと解く人が多数だが、誰かの答えを映して提出する人が一定数いる。全員が解くならばフリーライドが合理的だし、全員が解かなければ自分で解くのが合理的。したがって、両者の中間で一定数がフリーライドするという状態に均衡するのだ。

この理論はわかりやすくて、面白いなと思った。

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この本を読んで、マクロ経済学、ケインズについてもう少し学んでみたくなった。

本書の最後で紹介されていたオススメ本リストの中にあった、「スティグリッツマクロ経済学」を今度は読んでみようと思う。