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幼い頃に聞く先生の言葉って300kgくらいに感じる時ありますよね😩

お世話になってます。なゆたと申します。
何本かは自分が福祉の仕事に就いたきっかけについて、自己紹介的に書いていきたいと思いますので、お付き合いいただけたらうれしいです。

前回の記事、5歳の頃のお話から数年が経ち、小学校に入学した以降のお話になります。

発端

小学校では、学区内に友達がいて、自分たちで遊びに行くことができるようになり、お互いの家を行き来することがでてきました。
夏休み期間中に、同級生がうちの施設に遊びにくることがありました。
父が営んでいた施設は障がい者の方を対象として日中活動を行う施設で、平日の昼間に活動していました。その為、夏休みの平日の昼間に遊びにくるとなると利用者の方々と一緒に過ごすことになります。

私は自分だけの知っている友達と、学校の友達の邂逅によって、きっとみんな仲良くなって祭りが始まると思い、嬉しくなりました。

(少しズレちゃうけど、友達同士の集まりにみんなが知らない友達連れてくる人って、なんでそんなことするんだろうちょっと難しいなと思うけど、こういう心理だったんですかね、、自分もやってしまっていて反省してます、、)

変遷

低学年の頃は、私が思い描いたように、みんなで仲良くなり、一緒に日中活動をして楽しく過ごし、またくるね!なんて優しい言葉が交わされて、大満足でした。人間が後付けで作った境界線なんて全く存在せず、現在の社会とは全く異なって、流行り物のように「ボーダレス」「多様性」という言葉を使って本来当たり前のものを崇め奉り、扇動されやすい人々を煽るような魂胆など微塵もない空間でした。

それが3年生くらいの頃からうちに遊びにくるようになった子たちは以前から通ってくれていた子たちとは異なり、関わる時に戸惑いが大きいように見えました。
話しかけられても何も返さずに口籠ることが多く、打ち解けることは少なくなってしまいました。
後日、うちで遊ぼうよ!と誘っても、んーーいいかな。と、釣れない感じに様変わりして、溝ができたような気がしました。

高学年になってから遊びにくるようになった子は「オレはそういうの気にしないし偏見とかないからさ!」と言っていました。なんでわざわざそんなこと言ったのか、意味はわからずに、だけどなんとなく心に引っかかりながら遊ぶようになりました。

悲しい話になっちゃった

そんな中、学校の道徳の授業で福祉を扱う回がありました。高齢者福祉の回、スポーツ選手が病院や施設を訪れてボランティアをする回など、私が知らない福祉の形もあるんだなぁと新しい発見がありました。

福祉の授業の中には障がい者分野に関する回もありました。内容は、車椅子の方がバスに乗れなかったというエピソードをどう感じるかというものでした。
みんなで感想を出し合う段階ではいろいろな意見が出た方がいいし、みんなで考えて話し合いをしていました。白熱した議論が交わされ、ひと段落したときに、

「かわいそうな人には手を差し伸べてあげましょう」


という先生の一言で授業が締め括られました。

この言葉を聞いて、長年の友達を貶されたような気持ちになりました。高学年になってから遊びにくるようになった子の言動も、利用者の方々を かわいそうな人 と括っていたのかな、「偏見とかないから!」という言葉が、偏見がある前提でないと生み出されない言葉だということに気付かされました。

それ以来学校から足が遠のきました。
そんな空気感の中にいると自分の価値観が歪んでしまうような恐怖感がありました。

こうして社会と自分のギャップに苦しみ、無邪気な小児でいられる期間は終わり、生気のない半目の思春期中学生になっていきました、、

次回 不登校に陥ってからどのような中学生に変わっていくのか福祉を通して書いていければと思いますので、お読みくださるお優しい方お待ちしております
ありがとうございました。



今回の文章は特に暗いですね!下心丸出しの人が行く飲食店より暗くて嫌ですね、、


これで明るくなりましたね⭕️


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