見出し画像

その振袖は若い男に似合う。

成人式にちなんで、振袖の話題を、一つ。

前から気になっていたことがあって、それは江戸時代の若衆は振袖を着ていたということだ。

今では振袖=未婚の女性という図式が常識だが、贅沢着物が庶民にも浸透した江戸時代にあってはそうでもなかったらしい。

男が振袖を着るのは、今の常識に当てはめてみると、女装ということになる。

でも当時、若衆には違和感なく振袖が似合ったということなのだろうか。

服飾に疎い自分にはあまり説明できないが、興味はある。

そこで今回は美術作品などを通じて、若衆と振袖の関係についてちょっと考えてみたい。


大津絵の鷹匠、そして藤娘。想像が肥大化した男女のセックスシンボルだ。

自分がそもそも若衆の振袖というものに気づいたのは、大津絵を通してである。

鷹匠という絶滅寸前の職業。それは当時の人々にとっても、ミステリアスなお仕事だったに違いない。

実際はブ男が鷹匠をしていたとしても、心のどこかで鷹を操る男は若くてかっこよくなくてはならないと思っていた。

そうして、庶民の絵・大津絵に鷹匠という奇妙な図像が出来た。

大津というのは交通の要衝だから、交通網の発達した江戸時代にあっては文物の波及も早かった。もちろん大津絵も例外でない。

寛政後期、1800年ごろにはもう江戸で鷹匠を扱った浮世絵が描かれている。

そして現代の我々にも鷹匠=イケメンという構図はすんなりと入ってくる。

忍者漫画・NARUTOの二枚目ダークヒーロー、うちはサスケもそういえば鷹にはこだわりがあった気がする。

さすがにサスケに振袖は似合わないが、彼のイメージの源泉には江戸の若衆文化があるのではないか。


勝川春章の《桜下詠歌図》。
振袖帯刀の若衆、彼を見る13人の女性。

私たちは振袖を「かわいい」という言葉と結びつける。

でもやっぱりそれは成人式や七五三という現代流に染まっている証なのではないか。

では江戸時代、振袖はどういう言葉で語られるのか。

上の絵を見ていただきたいのだが、少年の振袖に特に注目。

荒い画像で見えにくいが、源氏香の文様が入っている。源氏香も今では女性的なイメージで語られるが、たぶん当時はジェンダーレスに風雅や古典の象徴だったのだろう。

この振袖は、彼が月代を剃る時には短く仕立て直される。つまり源氏香の文様はなくなり、紋付に変ずるのだ。

文から武へ。青年から大人へ。振袖にはそんなイメージがあるのかもしれない。


鈴木春信の錦絵には、性の境をまぎわらした美しい男女が。

鈴木春信という、現在の浮世絵を創始した絵師がいる。

彼の画風や世界観は後世にあまり受け継がれなかったが、相当な影響を与えている。

春信の絵の特徴、それはどっちが女性でどっちが男性か分からないような中性性だ。

男性はほとんどが月代を剃らない少年であり、交情する少女と顔立ちが似通っている。

まるでそれは同性愛の倒錯した耽美な世界のようであるが、決して下品に落ちていかないのが春信絵画の凄みだ。

春信の興味は多分女性にも男性にもない。二人の情愛から生まれる、青春の淡い記憶を我々に届けることだと思う。


振袖 白茶縮緬地梅樹衝立鷹模様

トーハクには不思議な着物がある。

重要文化財にも指定されているこちらの友禅だ。

友禅染といったら無論女性の着物しかなかろう。そう思って昔の着物を見ていると、思わぬ落とし穴にはまる。

先にも書いたように、若衆も振袖を着る。例外的とはいえ、その可能性を頭に入れておかないといけない。

着物はサイズではなく、文様でジェンダーは決まるから、まずは文様を見てアレ?と思ったらその違和感を信じた方が良さそう。

上のトーハクの着物もそうだ。

鷹の文様が似合うこんな色気ムンムンの着物、江戸の女性にはいないだろう。

さりとて、これを着られる絶世の美少年も、なかなか想像し難い。

我々のイメージを超えられる人物だけがこれを纏ったのだろうか。(IKKOさんかなぁ…)


鬼一法眼三略巻で牛若丸に扮する中村莟玉(右)

一瞬だけ、若衆が歌舞伎をやる時代があった。

まだ團十郎も勘三郎も初代が生まれる前の、350年以上前の話だ。

歌舞伎はまだまだ芸術ではなく、風俗に程近かっただろう。

その代わり若衆たちはうんと若くて可愛かったろうなと勝手に想像する。

今の歌舞伎だと若い俳優が女方をやり、老けると立役をやるのが普通だ。(おじいちゃんの立女形は勘弁して…)

今の若い女方では、米吉や新悟という良い俳優がいるけども、自分は莟玉(かんぎょく)という女方が好きだ。

演技は正直ピンとこないが、いるだけで可愛くて清涼剤になる。

ホントに可愛い、でも男の子。そんな不思議な方がいるのを知って自分は歌舞伎にハマった。

写真は女方ではなく、立役の牛若。振袖を引くのはパパ(養父)の梅玉。

莟玉はりりしい若衆役もいい。顔だけでナンバーワンを決めてしまうのは、芸の歌舞伎には邪道だけども、いいじゃないか。

この前亡くなった坂田藤十郎も若い頃は絶世の美女だったし、今の菊之助だって二十歳ごろは紫の着物の似合うエロチックさだったから。


磯田湖竜斎の柱絵に描かれた振袖の若衆

そろそろ話をまとめる方向へいきたい。

今の常識を江戸時代に当てはめるのはあまりに危険すぎる。

だからこそ振袖は女性だけのものではなかったのだと思った方がいい。

いきなり浮世絵に振袖の若衆がでてきて「男の娘!」と言ってしまっては可哀想ではないか。

でも、例外もあるかもしれない。

トップ画像、これは北斎の描いた恋文を練る振袖姿をした若衆の姿だけども、送る相手は男だ。つまり同性愛ということ。その姿は恋する乙女のよう。というかオネエマンっぽい。

初代瀬川菊之丞という女方は普段でも女装していたそうだし、名優・六代目中村歌右衛門は心までも女性のように物腰柔らかくふるまっていたそうだ。

我々には想像力がある。美しい少年を見た時、彼にジェンダーレスな可愛い服装をしてほしいと思うのは皆の欲望だ。

美しい若衆は居難し。そうなったとき駆使するのは創造力。浮世絵に描かれた振袖の少年たちだけが今となっては残る。

最後に質問と、ご提案。

美しい男子は好きですか?

もし振袖を見る機会があったら、思い出してあげてください、彼らのことも。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?