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受験指導と私。

学校に勤めていたときもそうだったとはいえ、やはりそれを専門にしてやる受験指導は、まるで私にとっては魔力で惹きつけられるほどのおもしろさがある。

今年、久しぶりに、ああ、受験指導が成功した!と思えた。

難関大に・・・、進学校に・・・、という話ではない。

難関大に入れたければ、進学校に行かせたければ、優秀な生徒さんを集めれば、勝手に合格してくるだろう。

ときに、小さな塾なので、勘違いして、ここで一番だから、優遇されて当たり前、的なことをされる方がいらして、昨年、私は、ご遠慮していただいた。

こんな小さな範囲で、ここで一番だから、進学校に行ってるから、うちの子のおかげで、生徒さんがたくさん集まるでしょ・・・、的な話だった。うちの子が東大に行ったら、この塾一杯になりますよ・・・、と言われたときには、唖然とした。いっぱいになったら、手を掛けられなくなって、ある意味困るのだ。必要な人のところに、この塾の存在を知ってもらって、それこそ、人生がひっくり返るほどの経験をしていただきたいのである。

おかしなもので、それぞれの塾には立ち位置があって、私はもちろん、できる子を教えるのも面白いけれど、できれば、幾分危ないか・・・?と思われる受験に立ち会って、思い切り頑張らせて、まるで押し込むように、最後の期間に思い切り伸ばして、合格を勝ち取らせるような指導が好みである。

だから、レベル的にはどのレベルでもいい。最難関だったら、面白いと言えば言える。こちらのもっているものを総動員して教えるわけだから。

けど、どこかで躓いて、どうしても勉強ができなくなっていた子を勉強再開させて、受験できるようにまで持って行って、見事合格!などというドラマのある受験が私は大好きである。

面談を重ね、ときに賭けに出る。

今、ここでこの子にこれ言って、通じるかな?とか

親御さんに理解していただけるだろうか・・・?

などと考えるが、必死で言った言葉は、大抵通じる。

合格してから、その合格するポイントを思い出すとき、大抵、その、ポイントになった出来事がある。

私の一喝!の場合もある。

ほかの人が、怖くて言えないような言葉を、私は言ってしまう。

時には、ちょっとは親御さんの立場も考えなさいよ・・・!とえらく世間的な話もする。

時には、いくら自分の状態を理解している人間相手にでも、そんな風にしていたら、誤解ばかりされて、どんどん生きにくくなるでしょ!?

など。

でも、大抵は、まるでその言葉に背中に筋一本入れられたように、その後はシャン!とし出す。

勉強に対する姿勢も変わる。

大抵辛くも合格してくる試験の場合、そういうエピソードが私の中にはある。覚えている。


コロナとは、ちょっと違うところで、コロナの前年から、この塾の在り方、方向性を探ってきていた。

今年、もしかしたら、これかな?というものに、少し辿り着けたかな?と感じている。

それから、実務の整理ができつつある。見えてきたのである。


明日、チラシを出す。

いやでいやで仕方がなく、でも、2回、納得のないままチラシを出した。

でも、今回の文章を読んだ人からは、今までのは、先生の意志が決まっていない感じがしたけれど、しっかり先生の意志が伝わってきます、と言われた。

やっと、こうしていきたい、という方針ができてきたようである。もちろんニーズもあるから、私の思い通りにはならないにしても、こうすれば合格、ということが明確に見えてきたのである。

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