見出し画像

うっかり海外文学の日本語訳を写経した結果

 3月半ばから小説写経を試みている。小説写経というもの、基本的には文章力を上げたり、使える語彙を増やしたり、作家のテクニックを盗む目的が強いので、大概は文章力に定評のある日本人作家を選ぶものだと思う。

 私は何を思ったのか海外作家でやってしまった。今日はそういう話だ。


小説写経の基本情報

小説写経とは何か

 読んで字のごとく、小説をそのまま写しとるトレーニングのことだ。トレーニングではなくて、作品に特別な思い入れがあって試みる場合もある。今まで、『聖書(が小説かどうかは置いておいて)』や『失われた時を求めて(ギネス認定されている長編小説)』を写経した人がいるという話を知っている。

小説写経の方法

 人によってさまざまだ。パソコンで打ち込む人もいれば、ノートに手書きする人もいるだろう。私は、自分の作品を推敲目的でプリントアウトしたA4用紙が大量にあるので、裏紙を利用している。下画像のようにWordに書き取り用のテンプレートを作成して、罫線を薄いグレーで印刷したものを使っている。

何を思ったかダークモード
小説内での1行を、写経でも1行としている

作業時間

 1日15分程度で良いとされているので、私もそれくらいの気持ちで気楽にやっている。だいたい30分とか、1ページ書き取ったらきりのいい段落でやめるとか、「めちゃくちゃがんばった!」という気持ちが起こらないくらいの省エネで少しずつ取り組んでいる。大抵は朝起きてまだぼーっとしている時にやったり、他の作業のエンジンが入りにくい、でもとりあえず何かをしなきゃ、という焦りを埋めるための手段として利用している。

写経に使う本

 大概は文豪による名作が用いられる。今まで明確に「この小説が誰にでもおすすめ」という話は聞いたことがない。自分の好きな作家でないと続かないからだろう。しかし短編の方が起承転結が汲み取りやすいし、一作品終わるのも早くて達成感が得やすい、というコツのようなものはある。

 なんとなく小説写経をやってみたいなと思い始めたころ、短編と聞いて私はピンときた。

 ……テッド・チャンがいいんじゃないか?

 テッド・チャンは研ぎ澄まされた短編SFで有名な作家である。

 当然、迷いがなかったわけではない。チャンは台湾系アメリカ人作家で原語は英語だ。英文の写経をするつもりはなかった。日本人作家が練りに練った日本語を写しとることこそが写経が写経たる所以なのではないか? 日本語訳ってつまりは翻訳者の日本語だろ?

それでもテッド・チャンを選んだ理由

 一番大きな理由は、作品の難解さだ。チャンの世界がすごいとはわかっていても、8割くらいは理解できた気がしなかったからだ。感動した。何が凄いのかすらもよくわからなかった。わからない部分がどこなのかもわからなかった。一時一句写しとってみれば、どこが難解だったのかも見えてくるのではないか? 日本語訳に意味がないなら、そもそも英語を日本語に訳する意味すらないじゃないか。

 おそらく、私が写し取りたかったのは「言語」よりも「ストーリーの構造」の部分だったのではないだろうか。兎にも角にも、やってみないことには何もわからない。笑いたい奴は笑うがいい。

小説写経のメリット

ストーリー分析と違ってルーチン化しやすい

 チャンの小説に興味を持ち始めた当初は、写経ではなくてストーリー分析を行なっていた。ノートに登場人物や場面を自分なりに整理していく作業である。これは書き取りの要素と分析の要素が相まって、かなり頭を使った。研究としてはいいと思うが、とにかく手をつける、という意味では紙に書き取っていくだけでいい写経の方が習慣化しやすいと思う。書き取った文面にアンダーラインを引いたりマルで囲ったりしてもいいのだ。

手書きの場合、漢字の修練にもなる

 私は作品づくりの第一稿はノートに手書きする。アイデアは紙にメモにしてどんどん溜めていく。本格的に物語制作を始めた当初、紙とインクの作業は気に入っていたが、仕事ではペーパーレスのパソコン作業にどっぷり浸かっていたため、また私生活ではスマホに慣れていたため、漢字がぜんぜん出てこなくなっていた。
 手書きの写経を始めて漢字を書くようになり、普段のノートでも漢字が出てきやすくなった。

作家の作品を自分が書いてるような、妙な充足感がある

 文面を写しとっていると、ふわっと、自分が作品を書き上げているような、嬉しいようなくすぐったいような感覚にとらわれるときがある。小学生のときの漢字の書き取りのような苦行感はない。

海外小説写経を続けた結果

テッド・チャンの変遷を味わえる

 チャンは一冊目の短編集『あなたの人生の物語』と二冊目『息吹』との間に17年(たしか)の開きがあるくらい、作品数の少ない稀有な作家だ。『あなたの〜』でほとばしっている才能は一言でいうと「強烈」だ。対して『息吹』はいい感じに円熟みというか「侘び寂び」を感じる。私は『息吹』が好きである。味わいに気がつくのも書き取りをしてまで読み込んだ結果だと思う。もしかしたら訳者の個性である可能性も否定できないが。

漢字を“開く”部分は参考になる

 邦訳とはいえ、こうしたら読みやすかろう、という翻訳者や編集者の配慮は盛り込まれているはずで、チャンの邦訳は適度なところで漢字に変換できる言葉をひらがなにしてあったり(漢字を“開く”という)して読みやすく、柔らかくなっている。たとえば以下のように。

作り上げていく → つくりあげていく
言いました → いいました
同じように → おなじように

 こういった部分はルールがあるのだろうか?

書き写してみてもやっぱりよくわらない文面、というものがある

 これはチャンの描写によるものなのか、邦訳によるのもなのかはわからないが、読み込んでみてもやっぱりよくわからない、という部分が特定できてスッキリした。

英文の写経をしてみたくなる

 「この部分は原語ではどのように表現されているんだろう」という興味が芽生える。
 カズオ・イシグロの『クララとお日さま』を原語で読んだことがあるが、小説冒頭が『When we were new(私たちが新品だったころ、みたいな意味)』で始まっていて、4語で全ての状況を表していてすごいと思った記憶がある。きっとチャンの小説でもそういったことが起こっているはずだ。

 英文の写経となってくると、自分が写経をする意味、といったところが、いよいよ理想的な日本文体の模索ではなくて、違った方向性に走り出していくはずで、通常目指されるべき写経の目的からは外れる不安をやわらげるために、目的意識を自分の中でちゃんと持っておきたい。
 私はどこを目指しているのか?

まずは始めるだけで目的の9割は達成している

写経対象じゃない小説に対しても、洞察が深まる

 写経は究極の遅読と言われることがある。一つの作品を深く読み込んだ経験は、他の作品鑑賞についても発揮される。深読みができるようになるし、深読みをした経験が増えると、ひるがえって、読むのが早くもなる。

 やるからにはできる限りその15分を有意義にしたい、という気持ちのゆえに、自分にとって最大限の効果を生むお手本小説は何か、に立ち止まっていたが、行為が自分に何をもたらすのかは、やってみないと本当にわからない。

 自分でやってみた気づきでもって、短編ではなく長編に挑戦するもよし、日本語の小説に切り替えるもよし、海外小説の原文に挑戦してみる、という展開に広がってくるのだと思う。私はジャンルがずれると知りつつも、いっそ墨香銅臭でも写経してみたい気持ちになっている。

 小説写経に興味がある方は、まずは大好きな作品でとにかく始めてみると良いと思う。 



 何者でもないアラフォー女性が、35万文字の物語を完成させるため、作品を作り続けるための全努力をマガジンにまとめています。少しでも面白いと思っていただけたら、スキ&フォローを頂けますと嬉しいです。
▼導入記事はこちら

▼文体について考え始めた記事



この記事が参加している募集

SF小説が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?