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140万文字の不法所持 - 後編 喪失の自家発電 【1000文字小説 #009】

「──それにしたって、どうして1,400,000文字も書くことができたんだ? 400 字詰めの原稿用紙だと……3500枚分だぞ?」

 彼女は怪訝な顔、と言うよりもはや見下した表情で僕を見た。
「わかってないんだから」

「何を?」

「それは400字の原稿用紙にびっしり文字を埋めた場合でしょ? 同じ文字数でも、改行とかセリフが多ければ、もっと増えるわ」

「ぐぬぬぅ」

「下手したら、5000枚か、それ以上になるかも」

「何が君をそうさせたんだ。原動力は」

「情熱というにはあまりにも……強いて言うなら、喪失感、ね」

「喪失感んんん!?」

 「喪失感」なんて大真面目に口にするんで、僕はのけぞった。喪失感に意識的になるだけでも、この社会から積極的に不適合になろうとする、闇を感じてしまう。というか、僕と言う恋人がありながら、人知れず喪失感を募らせていたなんて……憤りや屈辱感が込み上げる。

「あなたに出会う、1年前に、母が死んだのよ」

「それは、もう6年は前になるだろ?」

 たまに聞く彼女の子供の頃の話は、毒親とは言えないまでも、人並みに摩擦の多かったことが伺われた。彼女を翻弄した母の死は、人生のターニングポイントであったことは確かだ。

「……今にして思えば、3年前に、ポンが死んだでしょ?」

 ポンというのは、彼女が飼っていた、タヌキに似てなくもないキジトラ猫のことだ。老衰だった。

「“やりきった”とか、カラッと言ってたじゃないか」

「あの時は、動物だし、猫で21歳まで生きて、大往生だと思ってたんだけど。考えてみれば、家族の誰よりも時間を共にしてきたんだから……。ポンを送り出した後から、自分の中に言葉が溢れてきて、どうにも止められなくなっちゃったのよねえ」

「ふうん……」

 僕はやはり複雑だった。親や猫が彼女に与えてきたものを、僕は与えられている気がしないのだ。なにより、喪失が創作意欲に転化されるというのなら、僕たちの関係性だって、彼女がより強い喪失感を感じるため……失うために、今まさに作り上げているのではないか。そうでないと、誰が言えるだろう。

「君には、子供である……物語の世界と、ソーシツが、必要なんだな」
 僕は湧き上がってくるいろいろな感情を飲み込んで、やっと言った。なにをどう拗らせていようと、それでもどんな彼女でも好きだ。僕はこの違法に物語を隠し持って生きている恋人を愛し続けるのだ。

 彼女の顔を、物語の束が下からレフ版のように照らして、ほの明るい。明るいのは、彼女が閃いたからでもあった。

「ちょっと待って……。ねえ、私、やっぱり、これをどこかに出すわ」

「出すって?」

 まさか、警察に出頭するとか言い出すのか?

「ネットか、Kindleとかに。もういっそ、noteでもいいけど」

「なんだって? どういうことだ? いやさすがに、140万文字をポンて載せるのは、何かのテロだと思われやしないか」

「テロでもなんでもいい。もう私は、これを、私じゃない、誰かのものとして自分から切り離すことにする!」

「ま、まさか」

「それで、その喪失を糧に、また新しい物語を紡ぐわ。それだって、また捨ててやる。そうやって、喪失を自家発電しながら、私は作ることと共に生きるの!」

 彼女の顔は、聖絵画のように天を仰いで輝いた。



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