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巨人の肩の上で車輪の再発明をする【エッセイ】

緑茶を飲もうと三角ティーバッグを小袋から取り出し紐を伸ばそうとしたら、紐から先端の紙片から全部とれてしまった。押しつぶされてのっぺりとした格好の物体を左の人差し指と親指でつまんだまま固まった。
小学児童の頃に味わったあの……つい昆虫を可愛がり過ぎて脚がもげてしまったような……あの罪悪感と喪失感におそわれしばし呆然としていた。
いろんな思いが脳内を駆け巡る。
紐をくいくいっとすればこの三角ティーバッグは湯の中で四面体としてのびのびとふるまっていただろうに。緑茶成分もじゅうぶん滲出してお茶気も発揮できていただろうに。
先端の紙片ごと指が底に届かないステンレスサーモタンブラーの中に落としてしまったときの苛立ちとはまた違った奇妙な感覚に支配された。
「仕方ない……」
懺悔と後悔と開き直りの入り混じった複雑な感情を抱えた独り言をつぶやき、熱湯を注いだ。湯気がメガネをほんのり曇らすと、突然「車輪の再発明」と「巨人の上に立つ」という言葉が舞い降りた。

「車輪の再発明」は、既に解明された問題に対して無意味に新たな解決策を探す行為を指し、知識の共有不足や既存の知識を活用する能力の不足を示している。すでに存在し、広く知られているアイデア、製品、サービスを、無駄に一からやり直すことを指す。もともとは、車輪は人類が発明した最も基本的で重要な発明品の一つであり、その設計を改善する余地がほとんどないにも関わらず、それを改良しようとする試みを揶揄するものだ。
「過去を知る者は未来を制す」また「効率は賢明さの本質である」といった格言に相当するものだろう。無駄を省き、効率的、能率的に目標に向かって進むことの価値を伝えている。

一方、「巨人の上に立つ」「巨人の肩に乗る」とは、先人たちの遺した知識や成果を基にして新たな高みを目指す姿勢を表す。これは過去の業績を尊重し、それを踏み台にしてさらなる革新を追求することの重要性を説くものだ。

巨人の肩の上にのる矮人」ラテン語: nani gigantum umeris insidentes)という言葉は、西洋のメタファーであり、現代の解釈では、先人の積み重ねた発見に基づいて何かを発見することを指す。「巨人の肩の上に立つ」、「巨人の肩に座る」、「巨人の肩に登る」、「巨人の肩に乗る小人」、「巨人の肩に立つ侏儒」などの形でも使われる。

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この言葉の起源は、12世紀の神学者ベルナール・ド・シャルトルに遡る。彼は「私たちは巨人の肩の上に乗っている」と述べ、自身の時代の学問が古代の偉大な思想家たちの業績に負っていることを表現した。

我々[現代人]は巨人[古代人]の肩の上に立つ小人のようなものであり、それゆえ我々は昔より多くのものを、より遠くのものを見ることができるのだとシャルトルのベルナルドゥスはよく言ったものだった。そしてこれは我々の視力の精確さや我々の身体の優秀さによるものでは全くなく、巨人の大きさによって上に運ばれ高められているからなのだ。
[ソールズベリーのヨハネス]

Troyan, Scott D., Medieval Rhetoric: A Casebook, London, Routledge, 2004, p. 10.

後に、この概念は科学の分野でも広く引用されるようになり、特にアイザック・ニュートンが「もし私が遠くを見渡せたのなら、それは巨人の肩の上に立っていたからだ」と述べたことで有名になった。

科学者アイザック・ニュートンが1676年にロバート・フックに宛てた書簡]の以下の一節で知られるようになった。
私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に立っていたからです。(英語: If I have seen further it is by standing on yᵉ sholders of Giants.

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過去の知識や成果を踏み台として、新しい高みを目指すべきということ。また、自分一人の力だけでなく、他人の知恵や経験を積極的に取り入れることの重要性も示している。

「車輪の再発明」「巨人の上に立つ」は、過去の知識や成果をどのように受け入れ、活用するかという点で明確になる。車輪の再発明を避け、巨人の肩の上に立つためには、まず過去の知識を受け入れ、理解することが必要だ。そして、その上で創造性を発揮し、新しいアイデアや解決策を生み出すことが求められる。重要なのは、過去の知識を盲目的に受け入れるのではなく、批判的に評価し、現代の課題に適合させる能力を持つことだ。このバランスを見つけることが、真の技術的革新を生み出す鍵となる。

結局のところ、「車輪の再発明」を避け、「巨人の上に立つ」ためには、過去を尊重し、現在を深く理解し、未来に目を向ける必要がある。過去の教訓と成果を活かしながら、新たな地平を開拓できる。自らの潜在能力を最大限に引き出し、人類の知識と文化の蓄積に貢献できるのだ。

たしかに。過去の知識や成果を重んじ、活用することには意義がある。しかし、それに固執することなく、新しいアイデアや解決策を追求することも同じくらい重要ではないだろうか。革新的な思考とは、過去と現在を繋ぐ架け橋でありつつ、未来への道を拓く勇気と創造力のことである。

「車輪の再発明」については、一見無駄に見えるこの行為が、新しい角度から問題に取り組むことで、より良い解決法を見つけ出す機会を提供することがある。異なる解決策がその状況や要求に合致し、新たな知見や技術進歩を促すことがあるからだ。このため、車輪を再び発明することは、探求と創造の火を灯し、未踏の領域へと進むきっかけとなり得る。

一方、「巨人の上に立つ」という方法は、過去の成果に過度に依存することで、思考が硬直し創造性が損なわれるリスクをはらんでいる。既存の枠組みに固執することで、新たな革新を見出すことが難しくなることがある。歴史上の成果が現代の問題に常に適しているわけではなく、古い情報に基づく行動が新たな問題を引き起こすこともある。

加えて、既知の知識や手法に頼ることは、文化的多様性や異なる視点への配慮を欠くことにつながるかもしれない。異なる背景を持つ人々がそれぞれの解決策やアイデアを持ち寄ることで、より豊かで多様な革新が生まれる可能性がある。この視点からすれば、常に既存の「巨人」に頼るのではなく、新しい「巨人」を生み出すことの重要性も見逃せない。

ステンレスサーモタンブラーの下に紙片ごと落ちるティーバッグの紐

三角ティーバッグの紐が切れたことがきっかけで考えさせられたこの件から導かれる適切な思考態度は、過去の知識や成果を尊重し活用することと、新しいアイデアや解決策への開放性を兼ね備えることのバランスにある。
過去の教訓を踏まえつつ、新たな視点やアイデアを追求する柔軟性が求められる。
これにより、不要な「車輪の再発明」を避けながら、新しい可能性を探ることが可能となる。また、過去の成功体験に固執せず、新しい挑戦にも積極的に取り組むことが技術的革新を促す。
文化的な多様性や異なる視点の尊重を通じて、より広範な解決策が生まれる可能性が高まる。異なる背景を持つ人々の意見を取り入れることで、予想外の革新的な成果を得ることがある。

過去と現在の有益な要素を組み合わせ、未来に対して開かれた姿勢を維持する。このようなバランスの取れたアプローチを通じて、持続可能な成長と進歩を実現することができるだろう。

ティーバッグという発明は手軽にお茶できるという楽ちん生活に貢献してきたが、そろそろ、紐付きのティーバッグから卒業して、革新的なアイデアをもつ巨人が顕れてもいい頃だと思う今日このごろ。

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