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夜泣きのエッセイ

作品を作る前の自分

 現在は物語作品を「書き上げること」をテーマにマガジンを書いているが、作り上げるべき作品に取り掛かる前段階の自分には一定のパターンがある。

 何を作るか、作りたいものの骨子もはっきりとはわからない状態の中で、「何かを言いたい」衝動が先にどんどん膨らんでいく。ある程度膨らみ切ったところで作品としてまとまりのあるものの構想が見えてくる。構想が見えてくると、他に何をしていてもそわそわし、発想のほとんどが作品の方に引っ張られていく。

 「書き上げるまで」というマガジンが書きたくなったのも、その前段階の自分によるものだったと思う。この衝動を自覚したのはつい数年前だ。それより以前は周囲の人に対して無性にヒリヒリしたり、blogだとかSNSに思いの丈を連投したりなど、自分の取り扱い方法に困ったものだった。どんなに暴れようと、結局のところ誰のためでもなくて、自分の世界に入ってく前哨戦のようなものなのに。今回は衝動を利用して一つの表現ができたので、自分をコントロールできるようになってきた気がする。

 赤ん坊は「寝る」という行為に入っていくのが怖くて夜泣きをする、と言うのを聞いがことがある。制作というのはある種の長い夢想、瞑想、酩酊状態なので、そこに向かっていく感覚が怖くて悪あがきをしたくなるのかもしれない。

 人によっては、毎日コツコツと、10分なり30分なり1時間なりを積み上げて制作を行うことができるらしい。私は今は無職なので時間の自由がきくが、もし仕事が決まってしまえば、そう言った時間の使い方も必要になってくるだろう。

書き上げてよかったこと

 まだこの「書き上げるまで」マガジンを終える気はないが、次の作品が書きたくなったので、エネルギー配分が変わってくるように思う。

 作品を書き上げて良かったことは告げておきたい。

1. 書き上げた人の視点で創作世界を見ることができる

 自分が書き上げただけに、物語を書き上げることについての情報が集まってくる。どこかでつまづいて書き上げるのをやめてしまっていたら、セリフとかプロットとか、つまづいたことについての情報ばかりを集めてしまったような気がする。

 それだけに、書き上げた人々が口々に言うように、書き上げることが最重要命題だ。今書いていることが今の自分が持っていることの全てで、書き上げてしまうのが惜しいような気がしても、絶対に次やることが見つかるものだから……それが書くことではなかったとしても。

2. 足がかりができる

 小説ではないが、20代前半のときに創作コンテストでほどほどにいい賞をいただいたことがある。なんでそれを足がかりにクリエイターにならなかったのかと言えば、つまるところクリエイターになりたいわけではなかった、なる心と生活の準備が整ってなかったことに尽きるが、クリエイターとして一度名乗りを上げれば、クリエイター周りのチャンスや成長があったかもしれないとは考える。

 クリエイターにならなかった私は、それでも自分の持ち味でできる限りの経験は積めたと思っている。受賞を機に上京したし、小さい会社にだけれど就職できた。もっと仕掛けられたかもしれないとは思うが、環境が変わることに弱い自分にとって、十年以上東京でやっていけて、ビジネスというものを知り、今は作ることに集中できる環境が整えられたのだから、後悔はない。
 後悔はない上で、あの頃の反省を活かすために、どんな小さな足がかりでも踏み出して次に繋げろと、内に引きこもりがちな自分に言い聞かせている。

 私の次の足がかりは以下のようなことだ。

  1. 小説教室に通う(技術を上げたいし、作る人に会いたい)

  2. 文章量の少ない作品を作って新人賞に出す

 書き続けるにあたっては、同人誌を発行したり、ネットで発表したりなどの方法は残されていると思うが、それは再就職先が決まってからでもいいと思っている。
 今はまだ数ヶ月以上作るためだけの時間が残されているので、その中であと2段階くらいはレベルアップしたい。



 何者でもないアラフォー女性が、35万文字の物語を完成させるためにやった全努力をマガジンにまとめています。少しでも面白いと思っていただけたら、スキ&フォローを頂けますと嬉しいです。


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