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140万文字の不法所持 【1000文字小説 #006】

 14万文字数を超える未発表散文所持については、散文取締法24条の2において罰則が規定される。みだりに所持し、存在を隠匿し、公表しない場合は七年以下の懲役及び2百万円以下の罰金に処す── (散文取締法)


「──で、どうするんですか、これ」
 僕は、厚さ……もはや高さと言ってもいい……20cmはあろうかというコピー用紙の自家製本を前に途方に暮れた。その向こうで彼女は神妙な顔でいる。

「本当に……どこにも出してないの? noteとか」僕は言った。

「noteに140万文字も載せて、誰も読むわけないじゃん」と彼女。

「カクヨムとか」

「ラノベじゃないもん」

「小説家になろう、とか」

「異世界転生ものじゃないもん……ファンタジーではあるけど」

「なら、どっかの賞に出せばいいでしょ」

「文字数がとっくに規定オーバーよ」

「序盤だけ送るとか」

「制限内で仕上げられないアマチュアだと思われるみたいだよ」

「調べたんだ」

「一応ね」

「とにかく……このままだと散文所持法違反だ。未発表の140万文字を隠し持ってるなんて……。同人のブックフェアに出せばいいんじゃないの?」

「印刷代だけですごいことになるもん」

「小出しにすればいいだろ。シリーズ化してさ」

「ちょくちょく直したいところが出てくるの。今だって改定中なんだから」

「なら、kindleはどう? 電子書籍なら」

「キャッチーなビジネスとかライフスタイルものしか読んでもらえないよ」

「キャッチーじゃないのか」

「ポップは目指したわ」

「公表したっていう、既成事実だけでいいんだよ。とにかく、140万文字も隠し持ってるなんてやばいよ」

「知ってる? 文庫本一冊で大体14万文字らしいわよ」

「その10倍? 文豪か? とにかく、ネットの大海に流すか、編集者の目に触れさえすればいいんだ」

「自分のためだけに物語を持つのが何でいけないの? 他の人に迷惑かけてるわけじゃない。物語を作るようになってから、あなたにも、前より丸くなったねって、言われるようになったわ」

「でも、前より上の空でいることも増えたよ。前の君は日常生活をせっせと切り売りしてたじゃないか」

「これはもう、ただの物語とか、文字のかたまりじゃない。私の子供よ。私はこの物語を受胎して、たった一人で産んだの。最後までこの子を育ててみせるわ!」

「そんなのはただの自己満足だ。世間の評価に揉まれて、作品は磨かれるんだ」

「違うわ! この作品を書くのに、どれだけの腰痛と頭痛と脱毛と不眠に悩まされたと思ってるの? 書くことは痛みだったわ!」

「じゃあなおさら、それだけ苦心して産んだ子供を、多くの人に見せて、知ってもらったら?」

「いやよ! これはもう私の家、私の世界なの! 私の出ていくところであり、帰っていくところだわ! 私はこの世界で生きていくの!」

「さっき、これは”自分の子供だ”って言ったよな?」

「言ったわ。子供であり、世界なのよ!」

 僕は錯乱して嗚咽を漏らす恋人を前にして、なぜ散文取締法(俗に14法)ができたのか、理解した気がした。

「物語」は人を狂わせる。もしそれをたった一人で抱えることになったなら、僕たちが網の目のようにつながりを作る社会から、個人をぷっつり切り離してしまうほどの危険性を持っているのだ。



後編


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