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厳しくも体温のある事実たち

FACTFULNESS を読んで体内を満たしたこの感情を
言葉にして残さなければという熱が久しぶりにこみ上げた。

読み終えた瞬間にいつものノートとボールペンを探す。
そういう時に限って全然見つからないものだ。

せっかく見つけて広げたノートは読後の私の熱で埋めるにはあまりに狭く
家にある一番大きくもたかがしれているA4のコピー用紙を引っ張り出した。

・・・

ちっぽけな広い世界で
今でもどこかで何かが少しずつ変わっていたり
どこにいようが、生活が全く違っていようが
世界の見え方、みんなの物差し、喜び、怒り、幸せは
同じように表現されるけれど
おんなじようにはかることができないということ。

その物差しは少しのエゴで
判断を鈍らせるようにできていて
知らず知らずのうちに自分を守りながら
いろいろなことを歪ませている。

「正しさ」という言葉でさえ、誰にとって?と鋭利に投げかけてくる。

何も知らなかった私と、
ある意味で何も知らないみんなの愛すべき毎日と一緒に
この世界はたえず前に動き続けていて

キラキラしていると思っていたその人の知らない夜が
本当は苦かったり、
貧しいものと決めつけていたその人が毎日の機微に喜びを知っていたり
朝、目が覚めて天気がいいと喜びを感じるいろんなみんなたちがいるんだと思うと
少し誇らしい気持ちになって
そっと、抱きしめたくなった。

・・・
人には、大きな統計的な数字を自分と関係することと思えない
(例えば、自分の利益を顧みずに目の前の迷子を助けても、遠い場所の子どもたちに寄付できないみたいな。)
厄介で不合理な性質があるらしい。

それでもファクトフルネスが教えてくるその数字たちは
厳しくて、そこに確かに体温があった。

癖のある自分たちの性質をもう少し疑いながら
ときに頼って愛してもいいんじゃないかな

遠いような、すぐそこにあるような誰かの現実と
一人ひとりの感情の大きさに温かい涙が流れた。

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#読書の秋2020
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