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思考の訓練をずっとしてる

例えば混雑している駅を歩いていて、前の人がスマホを見てキュッと立ち止まる。後ろを歩いてるぼくは、ぶつかりそうになる。瞬間的にちょっとムカつく。

だけどその瞬間息を吸って考える。
もしかしたら突然歩けなくなってしまったのかもしれない。
歩けないくらいショックな知らせを受けたのかもしれない。
足が痛いのかもしれない。
ぼくがキレていい理由はないかもしれない。
そう考えるように意識している。

瞬間的にムカついてしまいそうな時は、一呼吸置いて「そうではないかもしれない」場合のことを考える。これは訓練だと思うから、生活の全てにおいてこの考え方を徹底するように努めている。

この思考訓練みたいなものはけっこう長い間続けているのだけれど、
いまだに瞬間的にムカついてしまう。

この前も、混雑する駅で前の人にぶつかりそうになった。
「ハア?」と思ってしまった。
そしてその瞬間「自分だってこの前まで、突然歩けなくなったりしたじゃないか」と思い出して、その「ハア?」はカバンにしまった。

うつ気味でつらかった時は、特に理由なく歩みが止まってしまうことがあった。理由なく止まってしばらく頭をたたいていたり、その場で泣いちゃったりしていた。自分だって止まってしまっていたのに。自分が元気になったからといって、歩き続けられる方の視点からしか見られなくなるの、とても加害者だな、と思う。

どんな時でもそう。
なんだか理解できない時、
自分の辞書に載っていない言葉が飛び出した時、
頭にカッと血が昇ってしまう時、
いや、そうじゃないのかもしれないと一呼吸置く余裕が欲しい。そして願わくば「それでもいいよ」といつでも許していたい。

ただ、全てを許すことには危険も伴う。
危ないことには瞬間的に怒ったほうがいいこともある。怒ることを忘れると怒れなくなる。正しくムカつくことも大事なのだ。
ああ、怒りを出したりしまったり、生きるって疲れるしめんどくさいね。
でも怒りを出したりしまったり、並べたり並べ直したり、磨いたり壊したりして生きていこうね。

考えるということ、
生きるということ、
頭と心の筋トレをするんだ。

いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。