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推しの熱愛結婚だって立派な失恋なんよ

突然の知らせにより、昨日は私にとって特別な日になってしまった。

と言っても決していい意味ではない。私にとっては相当に悪い意味で、現在その日にちすら悪夢の記念日として覚えてしまいそうな心境である。


私にはここ2年弱、身近な存在でひそかに心の支えとする異性がいたのだが…その彼に新たな恋人ができたのだ。

私が直接告げてもらった訳ではなく、彼のSNSの投稿により敏感に察知してしまった。間違えようがなかった。ずっと日々大切に大切に見守ってきたのだから…!!

(あっすいません怖がらないでください)


さて、日々更新されるニュースの中でもいつも突然に入ってくる有名人の熱愛・結婚報道。そのタイミングはいつだって寝耳に水、こちらの状況などお構いなしだ。

直近でも、絶大な人気を誇ってきたアイドル同士の結婚が話題となったばかり。彼らのファン達は今どうしているだろうか。

これまでもそういった人々の気持ちを想像できていたつもりでいたが、やはり実際に体感してみると身に染みて気持ちがわかるものである。痛い。

同士たちよ。息をしているか。



推しとはなにか

芸能人で誰々が好きだと熱っぽく語る人を見て「芸能人になぜそんなに入れ込めるのかわからない」と呆れる人がいる。

さらには「推しという言葉に嫌悪を感じる」と言う人も…そんな人にちょっとだけ聞いてほしい。

たしかに昨今のような “推しがいること” が当然のような風潮にうんざりするのもわかる。冷静でいられるあなたには、推しに熱を上げて一喜一憂する者が浮かれているようで滑稽に思えてしまうかもしれない。


実は、「推し」「ファン」という区分けは、現実の自分より相手を上に据えた哀しくも謙虚な線引きでもある。

実際にどうこうなったりは到底できないのはわかってる、でも恋焦がれ慕っていたい。

夢に浸っていたい。つまり心のどこかでは、これは捕えようのない幻なのだとわかっている。己の立場をわきまえた、覚悟の想いでもある。

では「本当に相手を想っているのなら相手が幸せなら嬉しいはずではないか」と思われるのはもっともである。それについては次の項目で説明していきたい。



推しが熱愛、そのとき心はどのようになるか


シンプルに、失恋と同じと言って過言ではない。

中には「自分のことのように嬉しい」気持ちになる天使のようなファンも存在するが、大多数のハートは一撃即死、ブレイキングである。

そうなってしまうともはや「推し」ではなく「ガチ恋※1」「リアコ※2」対象だったのではないか?と言われてしまいそうだが、実際そのラインは人それぞれ。実にあやふやなものである。

※1…ガチ(本当)の恋 ※2…リアルな恋の略



ときめき、恋というものは多くの人にとって心の大部分を占めるもの。生きるエネルギーでもある。


朝起きた時、夜寝る前、日常のふとした時。とくに辛い時や楽しい気持ちになれない時、私たちは胸の中の存在に勇気をもらい日常に立ち向かっている。

楽しいばかりとはいかない人生において、自らを奮い立たせる活力を見出すこと。それは生き物として健全な活動ではないだろうか。

“私の” 大事な心の支え…そう、厄介なのがここ。

英語で書けば必ず「my」が付くだろう想い…つまり多かれ少なかれ独占欲が生じている。これが推しへの失恋において重要なポイントとなる。


推しの熱愛を知る、それはつまり『心の支えとする存在の、心の支えの存在に直面する』こと…うーん?? いや、ややこしいな…。


「ファンが大事」という言葉や自分に向けられていた優しさ以上の気持ちが特定の人物に独占されている。その現実が突きつけられる。すなわち私だけの都合のいい世界、ブレイキング。

これがペットの犬や猫の話だったらほのぼの…で終わるところだが、人間であるとどうしてもそうはいかない。たぶん相手と自分が人間同士で対等になるため、残酷なほど比較がしやすいからだ。

自分の想いを寄せる相手には、別の相手がいる。それは完全なる喪失体験である。


胸の中の部屋が、ある日突然に空っぽになるようなものかもしれない。支えとしていた存在が突如として消えてしまった…そんな淋しさだ。

私たちは今この瞬間から、なにを支えとして生きていけばいいのだろうか。世界の見え方すらも前日までとがらりと変わってしまうのだ。



想定される二次障害

心は思った以上に身体に直結している。

失恋した際に感じる心の痛み、それは物理的な胸の痛みにも繋がる(ふしぎだね!)。

他には具体的に下記のような症状が出る。

  • 体調不良(腹痛、頭痛、吐き気など)

  • 食欲不振

  • 無気力

  • 眠れない・寝過ぎてしまう

ほぼ病気だが、生きるエネルギーがなくなってしまったのだから自然なことかもしれない。


私の場合で言えば、いま食欲が全然ない。

普段どんな体調不良でも滅多に減ることのない私の食欲が、完全にやられてしまっている。

昨日はちいさめのおにぎり2個と、柔らかいフォーを…半分も食べられなかった。そしておやつを食べなかった日はどれぐらいぶりだろうか。


私の身体は心に従い、まるで生きることを拒否しているようだ。しばらくはしんどい気分に襲われるだろうが、そのうち必ず立ち直れる。かつて何度か経験してきたこと。

豆腐メンタルの私でも、歳とともに着実にこういったケースに慣れていっており、メンタルコントロールも上達している。あとは時薬だ。

どこか、恐れている日がいつ来るのかと怯える日々から解放されたようにも感じる。不思議と安堵のような気持ちも混ざっているのだ。



推しに失恋した人の見守り方

このように、失恋イコールほぼ身体の病。
たかが失恋でしょと、どうか笑わないでほしい。

ライフイベントにおいて人がストレスを感じる出来事ランキングの上位には、愛する者の死や離別など、そのほとんどに愛情そしてその喪失が絡んでくる。


衝撃には必ず、回復に段階が必要となる。いきなり明るく振舞おうとしても無理がたたって逆効果ということも。

わかりやすく例えようとするなら

  1. 弔い

  2. 成仏

  3. 生まれ変わり(GOAL)

のようなプロセスが必要だと私は思う。


これはある種の、死への向き合い方だ。

現実を受け入れられず、この段階とは違う方向へ向かい呪霊と化してしまう場合もある。辛いが、やはり傷を癒やすためには腰を据えてこのプロセスと向き合った方が回復は早い。


心の強い人には「アホな…」と思われてしまうかもしれないが、私は大切な者を失った時の休暇は公に認められるべきだと思う。

失恋休暇、ペットロス休暇、パートナーの浮気休暇……いや、ぜんぜん笑いごとなんかじゃない。

逆に、人間にとってこんなに大きな出来事など他にあるだろうか。生きるための源泉となるエネルギーを失くしているのだから。

もちろん仕事をしていた方が気が紛れる人もいると思うが、立ち直る方法は人それぞれだ。


だから、いま推しの熱愛で落ち込んでいる人があなたの周りにいたら……別に気持ちがわからなくてもいい。どうか呆れないで、笑わないでほしい。

できたらでいい。そっと寄り添って、静かにその気持ちを認めてあげてほしい。


今まさに辛い人はどうか無理をしないで、まずは「長い間お疲れ様」と自分を思いきり労わってあげてほしい。痛みが深ければ深いほど、これまで真摯に想ってきたという証なのだから。

たくさんの喜びと笑顔をくれた推しに、きっとまた純粋に感謝の気持ちを抱けるようになるだろう。


時間が経てば、また動ける日が来る。

私たちは皆、いつだって光の方へ向かおうともがく生き物なのだから。



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