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節税が良いこととは限らない

こんにちは。
社会福祉士、精神保健福祉士のぽこです。


◇「節税」の葛藤


今日は、私が最近感じている「節税への葛藤」についてお話しします。

・救護施設の指導員

私は、救護施設という施設で指導員として働いています。
救護施設は、生活保護を受けている人が自立して生活できるようになるための施設です。
住居の確保、安心して医療を受けられるようにすること、園内作業や金銭管理、生活訓練などを提供しています。
施設での支援を通して、いずれは地域で生活できるようになる。
そのようなゴールを目指して入所する施設です。

そのような特性から、入居するご利用者は全員生活保護による保護を受けてます。
そして私は指導員という立場上、入居者全員の収支を把握しています。
簡単にお金について説明すると、まず入居者に対して、行政から「救護施設の入所料」が加わった金額が保護費として入金されます。
その中から、施設が利用料として食費や人件費を頂く流れです。
指導員という立場の職員は全員、毎月一人の利用者に対して行政からいくら入るのか、そこからいくらが本人のお小遣いや、施設の利用料になるのかを把握しています。

・税金から出ている保護費

ご利用者の中には、所持金が10万円を切っている人もいれば、100万円近い人もいます。
預貯金が多いと保護費の支給が止まることもありますが、そうすると本人が自立した生活を送るのに貯金が不十分になってしまいます。
そのため、保護を継続するためにあえて大きな買い物を促しています。
毛布を買ったり、テレビを買ったり・・・
大きな買い物をすることで預貯金を減らし、保護を継続してもらう。
そんな工夫(?)をしながら、今でも入居者全員が保護費を受け取っています。

・毎月一人当たり何十万という金額

また、ご利用者の収入は保護費だけではありません。
障害年金、働いていた方だと厚生年金や企業年金、時には低所得者向けの支援給付金など臨時で入るものもあります。
それらを考えると、ご利用者一人につき社会保障費として入ってくる金額は、一般のサラリーマンの手取りを悠に超えています
その現状に気づいた時、私は「私たちの税金」「使われている」という感覚に陥りました。

・誰のお金?

しかしよく考えてみると、そもそも「私たちの税金」という考え方に疑問が出てきます。
確かに、私が働いて稼いだお金の中から支払っています。
しかし、お金について考えたとき、そもそもお金とは誰のものでもないのでは?と思ったのです。
働いた対価として、”自分が生活するために必要な物品を手にするための手段”をもらっている。
それだけなら、私は”生活するために必要な物品”さえ手にしていれば、それで十分なのではないか。
そう思ったのです。

少しでも利益(=入ってくるもの、得るもの)を多く
少しでも損(=払うもの、出るもの)を少なく

損得に囚われていると自覚した瞬間です。
そもそも、お金は社会全体、国全体をフローする存在なのです。
何も、自分のところにとどまっている必要はありません。

・税の恩恵を思い出す


税金を払っていると思うと、その払う金額を少しでも少なくしようと思ってしまいます。
黙って無思考に支払い続けるのが良いとは言いませんが、支払っている金額を無思考にただ少なくしようとするのもまた、本来あるべき姿ではないように思います。
私たちはみんな少なからず、税金や社会保障費で恩恵を受けています。
社会全体をフローする存在である”お金”。
それを自分のところに留めておくことが正しいことなのか。
そんな疑問が湧き出てきました。
社会全体で”生活を豊かにする資源”を受け取ることの方が、自分のところにお金を留めとくことよりも大切なのではないでしょうか。
今まで「節税」と聞くと飛びついていた私ですが、「税金は無駄なお金だ」とは限らないのだと改めて気付きました。

払うものは減らす、得るものは増やす。
そんな単純思考にとらわれず、今自分は何をするために、自分が持っている何と交換しようとしているのか?と問い掛けながらお金を流したいと思います。

木曜日。週の後半に差し掛かりました。
今日も心地よく過ごしましょう💐
では、また。

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