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タナトスくん

 周囲のひとがnoteに日々のことを書いているのを読むのが好きで、自分もやってみようと思った。
 文章を書くのは昔から(たぶん)得意なのだが、そのぶん身構えてしまうというか、きちんとしたものに仕上げなければ...という気持ちが先に出てしまって、いつも疲れる。(これを書き始めたそばからやれ構成が、意味が、伏線が、と頭の中のうるさいやつがもう騒ぎ出している)。
 なのでなるべく、心算のうえでは適当に、自分の気持ちに正直に書く訓練としてみている。
 あと、ちょうど昨日、年単位で会っていなかった知り合いに授業で会って、昔インスタに投稿した詩を褒められるということがあって嬉しかったので、その記念ということでもあるはず。(たぶん)

 わたしの頭の中にはいくつものうるさいやつが住んでいて、さながら喧しいテレビ討論番組のようになっている。
 パンクだといいながらその実自分に都合の良い言葉を喚き散らしているだけのやつ。
 リアリズムだといいながらその実破滅的な妄想を垂れ流しているだけのやつ。
 理路整然と物事を見ているようでいてその実空回りしているやつ。
 いつもなんにでもとにかく恐怖に震えている過去の自分の残滓。
 それと、「タナトスくん」。

タナトス
(Thanatos)
[1] ギリシア神話で、死を擬人化した神の名。
[2] フロイトの精神分析用語で、死の本能、死の衝動。生の本能であるエロスに対して用いられる。

(精選版 日本国語大辞典「タナトス」の解説 - コトバンク)

 タナトスくんを今日は紹介しようと思う。
 タナトスくんは、わたしの希死念慮の擬人化キャラである。
 わたしがタナトスくんと出会ったのはたぶんかなり小さいころだと思う。
 ドッジボールが怖かったのを覚えている。コートの端で身を縮めている間、わたしは自分自身の存在を消し去りたいという衝動に駆られていた。(という記憶がある。真実かはさておき)
 タナトスくんはそういうときに、たぶん、わたしと友達になった。
 そのときのタナトスくんは、わたし同様にまだ子供で、自分のことをうまくコントロールできなかったから、わたしのことを飲み込んでどんどん大きくなっていってしまった。
 そういうときわたしはタナトスくんだった。タナトスくんは「いなくなりたい」ということしか思っていなかった。だからわたしがタナトスくんだったときにはいつでもわたしは「いなかった」。
 この場所にわたしはいない。存在していない。
 それはとても楽だった。いろいろなこと、苦しさとか悲しみとか孤独感とか、あとなんなのかわからない痛みとか、そういうもの(当時はまだ名前すら知らなかったもの)から、タナトスくんはわたしを逃がしてくれた。
 幼かったわたしにとって、タナトスくんは唯一の友達だったのかもしれない。

 背が伸びて声も低くなったころ、わたしはタナトスくんにすっかり飲み込まれたまま日々を過ごすようになっていた。
 アイデンティティとか友人関係とか、「キャラ」とか、人間が大きくなるといろいろめんどくさいことが発生し始める。
 タナトスくんには「いなくなりたい」ことしか頭になかったから、これにはとても驚いたと思う。
 いろいろ悩んだあげく、タナトスくんは全部をモノマネすることにした。
 クラスの中での振る舞い方はテレビを見て学んだ。嫌なことを言われた時の切り返し方もバラエティ番組に教えてもらった。あらゆる質問にどのように返せばどういう反応が返ってきて、周りにどのように思ってもらえるのか、周囲を見て研究した。
 タナトスくん=わたしはたまたまモノマネがうまかったので、そうやって作り上げた人格はどんどん大きくなって、いつしかひとりでに(何も考えなくても)動くようになった。
 タナトスくんはわたしの名前、正確にはそれをもじったニックネームを名乗って、人当たりのいいモノマネ自動機械になった。

 わたしは安心していたんだと思う。タナトスくんはどんどんいろんなことを覚えていって、わたしは彼に任せておけばなにもしなくていい。傷つく必要も、悲しむ必要もない。
 それはとても心地よかった。自分が、あの最悪なドッジボールのコートの端ではなく、みんなの輪の中にいるように思えたからだと思う。

 高校生になったころ、タナトスくんの自動機械は24時間、大忙しで駆動していた。
 学校。部活。音楽。作詞、作曲、練習、スタジオ。談笑、人間模様、応対。世間体。印象。キャラ作り。
 ある年の暮れに、タナトスくんは突如としてぶっ壊れた。

 その瞬間、わたしは突如として、タナトスくんがわたしから遠ざけてくれていたすべてのものと相対した。

 それからというもの、彼が堰き止めてくれていたあらゆる感情が、荒波になってわたしをひっきりなしに襲っていた。
 どうしていいかわからなかった。それをなんとかする術は、わたしの代わりにタナトスくんがすべて担ってくれるはずだった。
 虚しさ、怒り、悲しみ、疲労、あらゆる種類の感情が急激に押し寄せては返っていく。
 それだけではなかった。タナトスくんが担っていたあらゆる機能なしでわたしは世界を渡り歩かなければならないのだった。
 はじめのころは壊れた自動機械が誤作動したりもしたが、それもなくなるといよいよ自分ひとりですべてを捌かなければならない。
 わたしはたったひとりだということを強く感じた。たぶん、ずっとそうだったけど、タナトスくんが気づかないようにしてくれていただけだった。

 雪の降る街に移り住んで、しばらくしてわたしはカウンセリングを受け始めた。
 カウンセリングでは自分の心の中にいるものたちと対話をするような瞬間がある。
 虚しさ、怒り、悲しみ、疲労。馴染みの顔ぶれと、じっくり向き合って話を聞く。こちらも言葉を返す。
 そうしていくうちに、胸の奥につねにある痛みがあるのに気がついた。
 それに近づいていくと、いつもある情景が浮かぶ。
 校庭に白線で描かれたドッジボールのコート。
 あのとき、わたしが感じていた孤独や、苦しさや、もっといろいろなものが、まだまるごと残っていた。
 そっと触れてみる。きみはいい子。大丈夫。
 大丈夫。きみはいい子。

 タナトスくんはといえば、大学2年の頃にしれっと戻ってきていた。
 そのときはまた強烈に最強だったので、わたしを飲み込んでかなりギリギリのところまで行っていた。
 だけど、カウンセリングをしていくにつれて少しずつ彼とも話ができるようになってきた。
 わたしは彼にいろいろなことを伝えた。幼いころの自分を守ってくれていたことへの感謝。わたしが、彼なしでもある程度やっていけるまでに成長したこと。彼もまた傷ついていたこと、それにわたしが寄り添えなかったことへの謝罪。
 時間をかけて、ゆっくりとわたしとタナトスくんは和解していった。

 今では朝起きると、きょうは大体どのくらい死にたい日か、というのがわかる。
 それに合わせて変えられるときはスケジュールを変えたり、メガネにするかコンタクトレンズか選んだり、どうしようもないときは部屋で眠ったり。
 タナトスくんはわたしの心のなかにどしっと座って、その日ごとの「いなくなりたさ」を教えてくれる。
 暴走することはたまーにあるけど。
 まあでも、わりといい関係でやれていると思う。


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