見出し画像

「贈りもの」と、あげる気持ち、もらう気持ち。


贈りものを選ぶこと。

先日投稿されていた星野うみ。さんのこちらの文章を読んですごく共感した。


贈り物で失敗したこと、私もいっぱいある。
私が大体失敗する時は、”やりすぎた”時。
無駄に、というかちょっと想像し過ぎたり、自分の中で勝手に盛り上がって相手がどんな物が欲しいかな、どんなものだと喜んでもらえるかなと考えた結果、こうだったらこうじゃない?嬉しいんじゃない?が加速しすぎて気がついたら私があげたいだけの自分本位みたいな贈り物になっていた時。

微妙な反応を素直に表に出す人もいれば、とりあえずながらもありがとうと笑ってくれる人もいる。
だけど大体その一瞬で、それが本当にその人にとって「当たり」だったかがわかる。


私は贈りものをあげるのが好きだ。
何かを見ながら相手のことを考えている時間がなんとなく好きだし、私もうみさんと一緒で、その人が選んでいる時に自分のことを考えてくれたのかと思うと嬉しいなと思う。

「贈りもの好き」が一番嬉しいのは、贈ったものがその相手にとって本当に欲しい物だったり嬉しいもので、かつ意外で「えーなんでわかったの〜?」というような反応が返ってきた時だと思う。
正解なんてないのだが「やっぱりこれにしてよかった〜」とか「わ〜いあってた〜」と思う。相手が喜んでくれるのも嬉しいが、自分の想像と相手の欲しいものが一致していて嬉しい気持ちもあると思う。(こういうところが自分本位でもある)


絶妙な反応をされたこともあるし、自分ももらったものに「おぉ...コレは...」と思った時もあるので、もらったものが相手にとって必ずしも嬉しいものではない場合もあることももちろんわかっている。
本当にいらないものだった時、困ることも。
贈りものの難しさや楽しさについては、過去にも書いたことがある。


考え出すとなかなか難しい「贈りもの」ではあるが、それでも私は大切な人には何かを贈りたくなるし、贈ったり贈られたりするのが人付き合いだと思っている。

今まで経験した「ちょっと違ったな〜」や「喜んでもらえてよかったな〜」を経て、私達は人に何かを贈る時のポイントを学んだり、一緒に喜んだりして、贈りものマスター(?)になっていくのだとも思う。

何か称号をつける時はついつい安直に「マスター」をつけがちな私。



ところで、私にはすごく印象深かった「贈りもの」の思い出がある。
それは、昔付き合っていた人に財布を贈った時のこと。
私はレザークラフトで、手作りの革の財布を作った。

ここから先は

1,182字

サポート、嬉しいです。小躍りして喜びます^^ いただいたサポートで銭湯と周辺にある居酒屋さんに行って、素敵なお店を紹介する記事を書きます。♨🍺♨