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にゅんさんの「「通貨」とは?- 理論と言語体系」を読んで

 かねてより、不勉強な僕はMMTに対しある違和感を感じ続けていたのだけれど、にゅんさんの新しい記事を読み、これが氷解した。

 「MMTは現代の経済を形而上学的に語っていやしないか?」
 この疑問に対するにゅんさんの回答を一言にまとめると、MMTは括弧付きの真実を述べるパースペクティブの一つだということだ。にゅんさん曰く、これに最も自覚的なのがビル・ミッチェルなのだという。

 紙幣や高貨という形で「通貨」を発行する権力主体からすれば、「独自の地域通貨」は「通貨」と見なされない。
 一般の人間のパースペクティブになるとここに「預金」が加わる。
 「金融市場のディーラーたち」の目線になると、権力主体が直接発行した紙幣および高貨と、「国債」「預金」を一緒くたに扱うことになる。

 こうした立場の違いがあるから、既存の経済学とは全く言語体系の異なる理論が生まれてきたというわけだ。


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