見出し画像

もしも僕が「あのお方」だったら

※全文無料でお読み頂けます

 最初、「もしも僕が南洲翁だったら」という題にする予定だった。傲岸不遜にも程がある。世が世なら右翼の方に軽く嗜められることもあるのかもしれない。ただ僕は、「お茶代」の「もしもわたしが◯◯だったら」という課題を目にした時、思わず翁のことを想起せずにはいられなかった。

 なぜあの時あの状況で、立ち上がらなくてはならなかったのか。西南戦争へ至る翁の思考を完璧に説明できる人間などいないだろう。生き永らえている我々に許されているのは精々、解釈することぐらいだ。

 「古今無雙の英雄」の気掛かりは、役割を失った士族たちの行く末だった。近代国家としての基礎を築くためには、学制のほか徴兵令をも施行し、ナショナル・アイデンティティを仮構することが急務であった。しかし、いかんせん改革が急激すぎた。

 「四民平等」は国民皆兵と切り離して考えられず、それは武士という身分の大衆化を意味する。当然士族は我慢ならない。改革に反対派は付き物だ。敗戦後の「55年体制」に対し、全学連や全共闘といった形で反米ナショナリズムが噴出したのと同様に。

 もちろん今になって明治維新を否定するつもりなど毛頭なく、仮に否定したところで机上の空論にしかならないだろう。西郷ほどの賢人ならば、己が携わった徴兵令の施行を受け入れていたことは疑いようもない。それでもなお、立ち上がる理由があるとするならば何なのか。

 平家物語や太平記をはじめ、日本の歴史は事あるごとに「滅びの歌」によって彩られてきた。他の古典に比べアポロン的に見えるあの古今集とて、懐風藻・万葉集などに現れている「ますらをぶり」への抑圧を前提としている。「仮名序」において貫之は「女神男神」や「下照姫」のほか、地上での歌の始原として「素戔嗚尊」の名を挙げる。僕はここに、もはや存在を許されない荒魂に対する、弔いの意思を読み取るのである。

 そうして血みどろのすさびは、言の葉によって文化へと昇華される。文化にとっての第一の役割は、失われたものへの思慕を歌いあげることに他ならないのではないか? 文化を通して人々は喪失を反芻し、生まれた感情を分かち合い、共同性を創り上げる。

 南洲翁がこのようなことを考えていたのかは不明であり、単なる妄想にすぎない。しかし翁の行動を振り返り、現代の眼差しからその意味を考える時、この「悲劇の共有」という視座は必須に思われる。悲劇が避けられるべきものであることは間違いない。だからこそ、そこに崇高さが宿り、より多くの人々の心を打つのである。

 そもそも悲劇は避けられるものなのだろうか。無数の人間の意思が生み出す時代のダイナミズムを、果たして変更などできるのだろうか。それに刃向かったところで自分自身という余計な犠牲が増えるだけであり、時代の要請を斥けることなど不可能だろう。要請が生まれるに至った背景を変えられると、「その期」に及んで考える人などいないだろう。

 人間には何かからの自由を欲する意思とは逆に、心のどこかで必然を求めているに違いない。運命や時代の要請といったものを一身に背負い、体現する者を人は英雄と呼ぶのだろう。中には英雄に憧れる者もいるのだろうが、その運命は悲惨だ。それでも彼らは時代のうねりの中に身を捧げる時、ある充実を覚えたのではないか。この充実を、僕は南洲翁の「もうここらでよか」という最期の言葉に見いだすのである。

 翁の文字通り必死の決断には、あの「敬天愛人」という言葉と響き合うものがあり、ある種の宗教性すら感ぜられる。「天」に対して、決して恥じることのない行いとは何なのか——翁の決断は、このような「天」をめぐる神学的な問いに対する解答に思われる。——もちろんこれらは全て空想である。人間の最期には、それまでの人生の全てを集約し、象徴させるような、不可思議な力があるということだ。

 ここまで滔々と論じておきながら恐縮だが、僕は翁の決断を過ちとはさらさら思わないし、仮に自分が同じ立場だったとして、覆すべきだとも考えないだろう。僕のような軟弱者が、傑物と同じように判断を下せるとは当然思わない。それでも、運命を愛する権利は自分にもあることをここで述べておきたいのである。

その他リンク

火野さんが生まれ変わったらなりたい有名人or歴史上の人物とは·····まさかの西郷どん!?
❝文化を通して人々は喪失を反芻し、生まれた感情を分かち合い、共同性を創り上げる。❞
という美しい一文は、「本能の壊れた動物(岸田秀)である人間の欲望を惹起する装置として、

つまりは不能化した欲望に対する補償(ユング)として、人間は文化を形成してきた」というフロイトの恐るべき逆説と響き合う視座ですね
それにしても、南洲翁の最期の言葉が「もうここらでよか」というのは素晴らしいですねえ·····

ここから先は

0字

¥ 100

よろしければサポートお願い致します! 頂いたサポートは新しいコンテンツ作りに使わせていただきます