【保育者に聞く!vol.3】まっちぃ さん

◆​ まっちぃさん(男性・30代)
学校卒業後、幼稚園や保育園での勤務をされてきたまっちぃさん。若くして園長も経験されており、Twitterで繋がった保育士さんに会いに行くなど、とても向上心に溢れています。「理想の保育」の実現のために前進をし続ける保育士さんです。

―これまでの経歴を教えてください。

4年生の大学を卒業した後に、2年間幼稚園で勤めていました。その後、一旦アパレルの会社に数か月間所属しましたが、社会人4年目の時に、また株式会社の認可保育園に勤め始めました。その園では、2年目から園長としての役割を担い始めたのですが、正式に園長になったのは3年目です。さらに、4年目の半年間だけ務めて、労働問題が発生してしまったので、交渉をしましたが解決せず、退職することになりました。今年の1月からは、また別の株式会社に入社したのですが、事情があって6月に退職し、今は保育についての色んな情報収集などを行っています。


―大学の時は、なぜ保育を学ぼうと思ったのでしょうか。

学校は保育科だったのですが、小学校か保育コースが選べたので、保育コースにしました。小さい頃から小学校までピアノを習っていて、辞めてからも自己流で続けていたので、活かせないかな、と。それから、英語が苦手だったので、学力的に教員は難しいと思いました。あとは、教員の就職率があまり高くなかったというのと、やはり男性保育士というのが珍しいので、良いかな、って。

でも、大学は、なんとなく進学しちゃったんですよね。知り合いの先輩の進学先、みたいな感じで。それで1年目の授業で、保育の奥深さに尻込みしたというか。それまでは「遊ぶだけ」ってイメージだったんですが、学校と違って子ども用の教材があるわけではないから、内容を自分で考えないといけないことを考えると、自ら作り出す難しさがあるなって思って。しかも、大学4年の時の幼稚園実習で、結構、担当の先生から冷たい扱いを受けたんですよね。あとは、大学4年生になる前の春休みの3.11で被災したときに、実習先の園の職員や子どもと一晩を過ごしたりした経験から、責任の重さを痛感して「自分にはムリだな」って思っちゃって。結局、保育者になるつもりはなくなってしまって、就活をしませんでした。そのときは、服は好きだったので、卒業したらとりあえずアパレルのバイトを探そうかなって思っていました。


―それでも、卒業後は幼稚園に入られたんですね。

たまたま、大学から紹介されたところを見学に行ったら、「すぐ採用」ってなりました。そこは、こじんまりした規模の幼稚園で、気負わずにできそうだったので、とりあえずやってみて、合うかどうか見定めてもいいかなって思っていました。ただ、仕事が多くて、一緒に働いていた先輩の指導スタイルが自分に合わないという環境で続けていたのですが、父親が病気になったことなどをきっかけに、結局2年で退職をしました。


―それからアパレルに移られたんですね。

はい、そうです。直接的なきっかけは、客として通っていたお店のスタッフが産休に入るってことで人を募集をしているときですね。元々、自分の知り合いがモデルやっていて、アパレルに興味があったのと、アパレルはその人らしさのセンスの仕事だからやってみたかったっていう理由です。あと、店長さんが、小学校教諭をやっていた母の教え子だったから、という縁もありました。アパレルは、半年ぐらい勤めました。アパレルに勤めている間に父が亡くなりまして、それがまた保育者になろうと思った大きなきっかけになりました。


―お父様が亡くなられたことで、どのような変化があったのでしょうか。

父の葬式のときに、父の教育者としての偉大さというか、そういうのを感じて。亡くなる前に大震災で被災したときに、近くの町に仮住まいをしていたんですが、その間に実家を立て直して、地元に戻ってきたんですね。でも、家の住所とかが分からなくなっていて、どこにいるかとか、生きているかとか、お互いにあやふやになっていました。でも、父が亡くなった時に新聞にお知らせを出したのを、みんなが見たり噂で聞いて駆け付けてくれて。父は県内の様々なところにも着任していたのですが、遠方からも駆けつけてくださった方がいたりとか、20年前とか30年前の教え子とか、その保護者さんとか、部下とか同僚とかが来てくれていて。

1番大きかったのは、葬式に遠くからいらしてくれたご家族がいて。男の子と女の子の姉弟だったんですけど、父はその女の子の小学校の校長をやっていたことがあって。普通、担任とかだったら行くと思いますけど、校長ってなかなか接点ないじゃないですか。それなのに来てくれている、っていうのが珍しいですよね。しかも、行きたいって言っていたのがお姉ちゃんじゃなくて、弟さんだったみたいで、幼稚園の行事の来賓で来てくれたという接点があったようです。自分にとっては、そんなに遊んでもらって記憶とかもなくて、父親って感じで慕ってなかったんですけど、その件があってからは仕事人というか、そういう面での尊敬ができました。関わった人を大事にしていたんだなって。その意思を引き継ぎたいなって思いました。


―それで、アパレルから認可保育園に移られたんですね。

はい、最初は地元の公務員を目指していたのですが、2次試験で落ちちゃって、普通に一般の保育園で空いていたところに応募したら、採用になりました。この園では、2年目から園長をすることになりました。といっても、認可園だったので研修を受けないと園長になれなかったので、最初は肩書は副園長で、次の年に園長になりました。他にも職員はいたのですが、退職が多くて、結果的に候補者が自分しか残ってなかったというか。入って1年で保育のことも会社のこともよく分かってないこともあるし、27歳でしたからね、年上の方にどんな反応されるかなーみたいな不安はありましたが、給料も上がるって話もあったので、そのことも含めて引き受けようと思いました。あと、入って最初は色々教えてもらおうって思っていたんですけど、実際は自分が大学で習ったことを教えることが多くて。幼稚園の時に先輩に教えてもらってきたことを、皆なに伝えることが多かったので、もっと上の立場で、そういうのを伝えて質を上げていきたいと思いました。

園長をやってみて意外だったのは、市内の園の園長先生たちがフレンドリーで、分からないことをたくさん教えていただきましたし、市役所の人からも親身になって教えて頂けたとか、サポートがありました。負担は大きかったですが、経験にはなりました。


―実際に、質を上げる取り組みはできましたか?

そのころ、新しい人たちが入って、仲は良かったんですが、価値観のかみ合わせというか、そこがうまくいかなかったかもしれないです。例えばトイレに入った時にサンダルを揃えて脱がないとか、そういう丁寧さとか。あと、差し入れもらってみんなで食べていいよってなることがあるじゃないですか。そこに、均等にお菓子を分けたがる人と、勝手に1人でガツガツ食べるタイプがいて、気づかいっていう点で噛み合わなかったり、そういうのはありましたね。それから、複数の園での合同行事も多くて、準備とかをやるってときに、丁寧な人と、そこそこでいいんじゃないかっていう人がいたりとか。

あとは、仕事の基礎みたいなところですね。会議のやり方とか、仕事の期限を守るとか、報・連・相とか、休み方とか。期日に遅れたのに「遅れました」だけで済ませちゃうとか、そういのは結構ありました。だからせめて基礎だけは合わせて「最低限のクオリティは持とう」ということで、マニュアルをみんなで一緒に作ることにしました。身だしなみとか、おむつ替えの仕方とか、衛生面のこととか。こだわりたかった保育の質の向上っていうところには、手を加えられなかったかもしれないです。


​―差し支えない範囲で、その園を退職された経緯を教えてください。

園長になったときに監査があって、それをきっかけに、それまではお金の管理のことを何も知らずに事務の方に任せっぱなしになっていたことに気づきました。そうして園のお金の流れなどを理解していくにつれて、自分の処遇に納得がいかないようなところにも気づきまして。それから、自分の園だけじゃなくて他の事業所の現場も人手不足なのに、新規園を出すみたいな話もあり、「どうやって運営するんだろう」みたいなもあって、そういうのが重なったあたりから、労働条件を改善してもらうように会社と交渉しようと思いました。労働組合の人たちとも話しながら、交渉する準備を進めたんですが、いざ「やろう」としたときにそれまで一緒に準備していたメンバーが協力をしてくれなくて、個人で交渉をすることになってしまって。結局、去年の9月に交渉を始めて、10月に退職しました。正直、そのころは残業も多くて、体調も崩してましたね。


―それ以降、現在まではどのような活動をされていますか。

去年の10月ぐらいなんですけど、大学の時に色々教えてくださっていた有名な保育者の方にお声がけいただいて、その方の園を見学しに埼玉県に行きました。その方の園や、他の園を見学したときに、うちの県の園と全然違うやって思って。見学した園は、いい意味で「管理をしてない」って思いました。強制してない、というか。あと、子どもに対して叱っていることもなくて、それまでは子どもに「こうしなさい」とかって叱ることが多かったので。それを見て、「なんで地元の県にこういう保育をしている園はないんだろうか」って思って。

そのあとに、地元の転職フェアで知り合った人とその話をしたら、「それやろうよ」ってなって、地元の保育園の質をあげたいと思っていたので、4月から新規園を立ち上げる予定だったということもあって、その会社に1月から入りました。いざ4月に開園して、やりたかった保育をやろうとしたら、あとから入った職員から理解が得られなくて。その他にも、開園前から新規園に入職する予定だった方が辞退したり、開園に向けた物資のやりとりが上手くいかなかったりなんかで不信感が募ってしまって、処遇も当初の話と違っていたなどの問題があって、夏前に退職しました。

そこから、理論だけじゃなくて、いい保育を実践できているところを見たいと思って、9月にtwitterで色んな人と繋がり始めて、10月に東京に行こうというのを計画しました。見学で1園行って、ひおっきーさん含めて6人と会いました。他の保育者がどんな保育感でやってるかも聞きたくて、自分の保育感の裏付けをしたいって感じですかね。

ベースに、自分の中のスタンダードの軸を確立したいっていうのがあって。結構、「保育に正解はない」とか言いつつも、やっぱり書類1つでも「あれは違う、これは正しい」っていうのがあるじゃないですか。それがみんなの共通理解でいられれば、クオリティも均一になって、子どもたちも安心できるし、保育者側も食い違いみたいなのがなくなるかなと思って。その上で、そのスタンダードを超える「より良い保育」って、どんなもので、現実的にどこまでできるんだろうっていうのを見極めたいなと思って。例えば、園庭はなくてもフロアでここまでの質はいけるよねとか、園庭があればここまでは求められるよねとか。結構、働いていると、「うち、園庭ないから」とかって、言い訳っぽくなるときもあるんですけど、「園庭はないけどここまでは努力できる」っていうようにしたいな、と思って。

結果的に、色んな方に会ってみて、他の業界出身の方で保育業界に携わってる方とかにも会って、保育って他からも注目されてるんだな、ということを感じました。いかに「保育」というものを社会に発信するか、っていうのはとても重要なんだな、というのが気づいたことです。


―今後はどんなことしたいと思っていますか?

実は、保育は1つの手段だなと思い始めています。例えば、保育はまだまだ女性が多いし、給料が低いですけど、これは、昔から「子守は女性がタダでやってきたもの」っていう考え方を引きずってると思っています。そういう、女性の活躍とかも含めて、もっといい社会にしていくということの1つの手段として、保育に関わりたいと思ってます。

自分の考えとして、保育園は社会のミニチュア版と捉えているので、そこで主体性や多様性を育める理想的な環境を実現することが、いい社会の実現に繋がると思っています。

それから、フリーランスにも興味があって、保育園に所属して働くということだけだと収入に上限ができてしまうので、保育園で働きながらフリーランスでも働いて稼いで、というのが理想ですね。かつ、保育園の人件費の運用をしっかり理解するために、保育園を運営している人と繋がって話を聞いたりして、ゆくゆくは、そういう理想を実現できる園を自分で作れたらいいなと思っています。あとは、仲間の保育士さんがやられている、保育士をサポートできるデジタルコンテンツの立ち上げなどを手伝えたらなとか、地元のイノベーションのための街づくりと融合した保育園づくりもいいなとか、保育園という枠を飛び出して活動できたらなと思っています。


―そういう活動をされていて、どのような点にやりがいを感じますか?

これまで知らなかった領域が広がっているというか、自分っていう人間の枠が増えているという感じはしますね。「地元の県にもちゃんとやってる園があるんだ」っていうことも知らなかったし、twitterでつながった人に紹介してもらって、園を運営している人と知り合ったりとか、自分で動いたからこそそういう縁があったというか。前までは、「成功しなきゃ」と思ってたんですけど、最近はあまり他者からの評価を求めなくなってきて、挑戦したら挑戦しただけ何かしら得るものがあるので、「できたか、できなかったか」よりも、そこから何を得たかに価値を見出せるようになってきました。それこそ、昔の自分だったら、知らない保育士さんと会うのも、断られたらすぐ諦めちゃったというか、むしろ声すら掛けなかったかもしれないですよね。不快にさせるんじゃないかっていうか、保守的だったので。そこが変わったからこそ、つながりがもてたというか。


―最後に、他の保育士さんに向けて一言お願いします。

twitterで知り合った人と話してたりすると、社会への発信をしなきゃとか、専門性を確立しなきゃとか思ってたんですけど、まずは「楽しむ」ことを大切にしてもいいんじゃないかと思うようになりました。保育園に来て楽しく過ごせるだけでも、意味があるんじゃないか、って考え始めていて。まずは、ありのままの自分でいられる安心感が大事なんじゃないかと。だから、保育士さんに言うとしたら、仕事としてだけじゃなくて、「そこに存在する1人として楽しんで過ごせてますか」っていうのですかね。別に子どもと遊ぶのが好きなだけだったら、他の仕事で稼いでボランティアするだけでもその人の目的は達成できるわけですよね。でもそんな中で保育士を選んでるわけですから、だったら、稼ぐことも重要だけど、先に「楽しく生きる」っていうのがあって、+αで、そこに対価が付いてくるっていうのがいいかなって。もちろん、プロとして専門性を持つことは大事なんですけどね。専門性がないとお金を求めてはいけないと思いますし。でも、そこに固執してたら、根本的に「わくわく」を大切にすることを忘れてしまうのかな、と思います。その「わくわく」を、子どもと共に過ごす中で、子どもに直接見せて、感じてもらって、伝えていくのが、保育士の役目なのかな、と思っています。

(おわり)

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(ひおっきー)

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