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【シェア】見えない多様性@GEWEL

1.足を運ぶきっかけ

ダイバーシティ&インクルージョンをテーマにした活動をされている、NPO法人GEWELさん(http://www.gewel.org/)のイベントへ行って来ました。

セッションテーマは『見えない多様性』で、児童養護施設出身、摂食障害経験者、性被害経験者など、視覚的には分からない多様な背景を持つ皆さんによるパネルディスカッションです。

以前、保育士さん向けに「児童養護」の勉強会を企画したときに、ゲストとしてお招きした田中麗華さん(@tanaka_reika)も登壇することや、運営に関わるご友人の誘いもあってお邪魔しました。

2.それぞれの多様性

視覚的に見えない特徴や背景があるからこそ、何気ないコミュニケーションで傷付けてしまうことがある……このセッションの課題感は、そんなところにあります。

過食症の方にはダイエットの話は苦しかったり、児童養護施設で過ごす方には家族の話が辛かったり、意図せず、伝える側の"普通"の価値観が、相手の多様性を受容しない結果になることもある。これは、程度の大小を問わず、日常の中でも起こりうることですよね。

今回ご登壇された皆さんからは、そんな「見えない多様性」がもたらす苦しさや、その解消の糸口に繋がるお話を頂きました。

①摂食障害

「普通に学校行って、普通に新卒で就職して…一見すると、普通に過ごしてきたかのように見えると思います」

約5年にわたり過食症・拒食症を経験した竹口さんは、冒頭、そんなことを言いました。視覚的に「ガリガリの体型」であったときも、まだ自分自身では「太っている」と感じていたそうです。

自分自身ではコントロールできないその症状は、それ以外が「普通」であるからこそ、かえって理解されにくいのかもしれません。特に、「食」という身近なものであるがゆえに、本人の気持ちの問題のして捉えられてしまうようです。「気持ち悪い」「自分で勝手になったんでしょ」と、心ない言葉も浴びせられ、辛い思いをされたそうです。

私自身、認知する限り、摂食障害の経験を持つ方は初めてお会いしました。しかし、摂食障害は特に若い女性を中心に、一定数の経験者がおり、決して「テレビの向こう側の話ではない」と言います。

そのような実態の理解が、コミュニケーションの食い違いを軽減する小さな一歩になりそうです。

※ ご自身の経験を発信しNHK障害福祉賞を受賞された竹口さんの記事はコチラ

②性被害

卜沢さんは、ご自身の被害経験を発信されている方です。そのなかで感じたことは、「性被害者はこうあるべき、ってカテゴリー化されることは不本意」ということ。例えば、「被害者なのに、なんでスカートはくの」という意見はその典型です。

近い友人には早めに打ち明けていたという卜沢さん。しかし、社会に発信する場合、先述ののカテゴリーの問題から、「性被害は# の1つ」と言います。

他の方の経験もそうですが、あくまで彼女をつくる多様な経験・価値観の1つに過ぎないわけで、「性被害=卜沢さん」というように、それが可能のすべてであるかのように認知されるのは本意ではない、という意味。

また、竹口さんと同様、「自分の生活とは関係ない世界の話」ではなく、身近にもそういう背景を持つ方がいることを知ることが重要と感じてらっしゃるとのことです。

③児童養護施設出身

児童養護施設で過ごした経験のある田中さんは、「生い立ちに関係なく、誰でも好きな"じぶん"になれる」というメッセージを発信しており、福祉系モデルとしても活躍しています。

児童養護施設出身の方は、自己肯定感が低いことが多い。そんな意識が、田中さんの活動に繋がっています。

彼女も、活動の中で「児童養護施設ってこういうものでしょ」というカテゴライズをされるときがあるといいます。実態に触れる機会がない人は、メディアの影響などにより、場合により誤ったイメージがついていることもあります。

また、SNSでも多く発信をする田中さんは、「多様性に溢れていて発信しにくい」と感じることもあるとか。相手がどう思うかを考えることは重要ですが、気にかけすぎると何も言えなくなる、ということは、他のお二人も同感のようでした。

3.感じたこと

「見えない多様性」というテーマでしたが、よくよく考えると人間の属性や経験なんて「ほぼ見えない」ことですよね。目の色、肌の色、背の高さ、車椅子に乗ってる、杖を付いてる……そんな目に見える特徴は、星の数ほどある多様性のうちごく僅か。

では、なぜ「見えない」中でも摂食障害や性被害が特異に感じてしまうのかと言えば、自分の過去の経験や価値観では上手く受容できないからなのだとと思います。

それは、先入観であり、知識不足であり、もしくはメディアなどによる誤った理解であって、そういったものとのギャップが引き起こしてしまう違和感というか。

よくよく考えると、「目に見える多様性」の方がよっぽど厄介なのでは、と思ったりもします。LGBTは典型ですよね、外見上が「男性だ」と思っても、本当にそうとは限らない。脳ミソの性能には限界があるので、過去の経験からパターン化・一般化して物事を捉えるのは仕方なのないことですが、そうではなかったときに受容できる価値観の柔軟さが必要なのだと思います。

それにしても、本当に皆さんの勇気ある発信には大拍手です!

4.保育との繋がりを考えてみた

発達論上の細かい学説は置いといて、人間の人格形成にとって乳幼児期が重要なのは間違いないと思ってます。彼ら彼女らの五感に届く情報に基づき、真っ白なキャンパスに多彩な価値観が描かれていく。このときに確立した価値観は、成長しても根っこはあまり変化しないのでは。

共に過ごす時間の多い保育士や親を含む保育者の関わりは、とりわけ重要ですよね。極端な話、あなたが「男の子は女の子しか好きになってはいけない」と思っていれば、それが子どもに伝わり、将来的に彼は深く悩むかもしれません。

また、保育士と親との関わりも同じです。顔を合わせるお父さん・お母さんだけでなく、預かる子どもやその兄弟姉妹など、その家族にも多様な価値観があります。

田中さんの話ではありませんが、すべてを気にしすぎるとコミュニケーションが進まないのも確かです。でも、自分の価値観に基づく自分のコミュニケーションに対して、相手がどう感じるか、長~い子どもの人生にどんな影響があるかは常に考えたいですね!

(おわり)

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