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【決断】教員を退職します

皆さん、どうも。ひらぶーです。今回はいきなり本題に入ります。

1.退職を決断したきっかけ

 今や転職が当たり前になっている時代で、それに便乗しているように見えますが、思いに思いを重ねて決断したことですので、長くなるかもしれませんが学校教育界の現状をお伝えするとともに私の思いを述べさせてください。

学校で一斉教育している場合ではない

 これは赴任した学校で最初に思ったことです。講師時代も含めた3年間で最近の子供の実態について2つお話しします。
 1つは「学力の二極化」です。テストの点数で、中位層が少なく、上位と下位が明確に分かれています。特に数学・英語は顕著で、50~60点台がほとんどいません。理由はさまざま考えられますが、このような実態で少人数指導ができないことが残念です。
 もう1つは「家庭環境の複雑化」です。父が働き、母が専業主婦の時代はとっくに終わり、片親や共働きの家庭が多数派を占めています。そのような状況下で家庭の役割が学校に押し寄せるようになり、生活指導で指導する範囲が教員としての範疇を超えたり(例えば、休日のトラブルで親が子供を指導しない・できないこと など)やPTA活動の参加が消極的になって来たりしています。
 他にも、インクルーシブ教育や特別支援教育等の「〇〇教育」が多すぎて、現場がしなければならない教育が増えすぎて飽和状態になっています。今でこそメディアで取り上げられ認知されていますが、それでも改革が成功するのは先の話になりそうです。これから30~40年学校教育に携われるとは到底思えませんでした。

全体の奉仕者になれない自分の性格

 教員に限らず、公務員は「全体の奉仕者」であって「一部の奉仕者」であってはいけないことが法律で定められています。
 教員でいうと、どんな子どもにも最低限の教育を施さないといけないわけです。特に義務教育段階の子どもには、不登校の子でも他人に迷惑をかけるような子でも、卒業をさせてあげないといけないのです。
 しかし、私は困っている子や頑張っている子を支援指導しようとはなりますが、そうでない子には支援指導したくありません。つまり、他人に迷惑をかけ指導されたのに何の反省もしないような悪ガキに、あれこれ教えてあげようとはならないのです。全体の奉仕者であれば、このような子でも指導しなければいけません。私は強い口調で怒鳴るような指導はしません。それは、困って分からない上での行動だったのか、過ちを犯して反省しているかを見極めて諭すように指導したいからです。迷惑かけて申し訳ないという気持ちがない人に教えることなどありません。後悔するのは本人なのです。自分の身を削ってまでエネルギーを注ぎたくない相手に尽くしたくないのです。この「困っている人・頑張っている人を支援したい」という思いは、後ほどお話しする内容につながりますので、よければ覚えておいてくださいね。

教員の勤務実態

 教員はブラックだと世間に言われ何年も経過しました。教職員の勤務状況は改善傾向にありますが、微々たるものです。昔の教員は「聖職」と言われ、保護者でさえも「先生の言うことは絶対」と思っており、今では即体罰認定されるようなことがまかり通っていました。もちろんそれがいいことではありませんが、ここでは触れないでおきません。ですが、そのおかげで身体的に疲れることはあっても、自分で決めたことを即実践できるので精神面ではラクだったと思います。しかし、今は「保護者の意向に沿う」学校経営になっており、子どものトラブルに対して教員の自己判断で行うことはできず、保護者に確認や報告をしないといけません。このように様々なことに気を遣わないといけない毎日の生活に疲れてしまいます。そもそも「保護者のいうことに従う」と関係性が逆転しきっている学校教育にも疑問です。保護者の言うことに従う割に、家庭でしてほしいことをしてもらえないのが謎です。

2.退職までの計画・その後の展望

 退職を決断すると、退職する日までにしておくことや不確定な今後について考えないといけないことが沢山ありますが、私の計画をお話しします。

いつ退職するのか

 すぐに退職するのは難しいのが教員の世界です。年度末の3月で退職するのがベターですが、いかんせん貯金が無いのですぐに退職できません。転職に成功した場合の引っ越しや、準備のためにお金を費やすことがあるかもしれないので、ある程度は確保しておきたいものです。ということで、今年度や来年度はお金のために働きたいです。よって、

令和6年3月末もしくは令和7年3月末

に退職しようと思っています。今の学校が1年目ですので、2年か3年して退職する流れですね。教職年数でいうと、4年か5年です。結構早いですが、これ以上学校教育に身をささげることが出来ないし、この先怪しいので早めに身を引きます。

退職まで何をするか

 転職をするために、教員免許と自動車免許だけだと、転職業界はあまり有利ではありません。急速な情報化や私の趣味を踏まえ、まずは情報系の資格取得に挑戦しようと思います。調べてみると、MOSや日商PC検定、情報処理技術者試験などたくさんあって迷いますが、将来自分がしたい仕事を考えて資格取得にチャレンジしようと思います。また、簿記などの起業に必要な勉強もしようかと考えています。教員免許更新制度もなくなり、いざとなれば講師として教育界に復帰できますので、後ろ盾のある安心感のもと、チャレンジできるので気が楽です。

退職後の計画

 学校教育(一斉教育)の限界を感じたきっかけでもあり、最近私が注目しているテーマは「子どもの貧困」です。これは学校の教師で解決できる話ではありませんし、地域人材で賄える話でもありません。特に、平日の朝夜や休日の食事などの栄養面や、落ち着いて自宅学習に取り組むための環境面が整っていない家庭が多いです。これらが改善されないと、いくら学校が良く機能しても子どもの適切な発達・学力向上は達成されません。特に私の住んでいる宮崎県は、平均所得の低さや離婚率の高さが特徴的ですので、宮崎の子どもたちを救うには、放課後や休日のサポートが必要だと考えました。現時点で私にできることは少ないので、これから多くのことにチャレンジして夢実現に向けていきたいと思います。

3.退職を決断して変わったこと

 ここまでご覧いただき、ありがとうございました。個人的な話が多く、共感できることが少なかったかもしれません。ただ、学校教育に関するニュースが世間で飛び交う中、現場で子どもたちと向き合う中で教育そのものや学校教育についてあらためて考えさせられました。そして、自分は退職して教員ではない立場から子どもたちを支えていきたいと考えました。まだあまり言っていませんが、両親や校長からは「本音を言うと教員をしてほしいが、あなたの人生なので応援する」と言われました。私は教科の指導力はあまりない気がしますが、自然と学校に来てもらう学級づくりだけは得意です。不登校傾向の生徒も学校に来させる自信はあります。ですが、自分の人生ですので寄り道をさせてください。

退職を決断してから変わった教育観

 令和キッズは我々と育ち方が大きく変わっています。地域と関わる機会が私たちに比べはるかに少なく、コロナの流行で今までの常識が新しく塗り替えられました。そのため、これまでと全く異なる考え方が現れると思います。そのため学校教育では「気づかせる指導」「よい言動を一緒に考える指導」の2つが必要だと思います。そのため私が叱責するのは、自他の命に関わる行為と他人を傷つけるおそれのある言動の2つに限定し、それ以外は怒りをぐっとこらえて諭すような指導を心がけています。小さいころから失敗を恐れてチャレンジしない子が増えてきています。気づかせて自然と行動できるような指導をするべきではないかと提言します。

仕事に対する考え方の変化

 どれだけ仕事をしても給料は変わらない教員の給与システムを考えると、無駄な仕事はせずさっさと帰るほうがいいことに気づきます。例えばテストが終わるとすぐ丸付けをして翌日に返却する方がいますが、わざわざ夜遅くまで残ってする必要はないと思います。2,3日後でもそんなに変わらないです。
 また、仕事を溜めすぎないようにするにはどうすればいいか試行錯誤するようになります。スケジュールやタスク管理はアナログとデジタルのどちらがいいのか、メモ書きは付箋なのか電子メモパッドなのか、など仕事の効率を重視するようになります。どの業界でも仕事の効率は早いに越したことはないでしょうから。

4.今回のオチ

 今回は、私の身の上話でした。貴重な時間、私にお付き合い頂きありがとうございました。学校について覚えていることは、皆勤賞だった中学校で毎日楽しみだったのが給食だということです。給食のために学校に行っているようなものでした。「食育」という教育分野があるようですが、毎日口にするものですから、確かに重要な分野ですよね。
 子どもたちを支えたいという気持ちは教員であろうがなかろうが関係ないと思います。地域の宝である子どもたちを支えるような人になりたいと思います。次の投稿は、転職の報告かな。お楽しみに。ほなまた。

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