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ユーラシア横断の旅⑧ 〜カラコルの温泉編〜

ビシュケクでの無為な日々もまた一興であったが、いい加減重い腰を上げようと街を移動することにした。目指す先はカラコル。琵琶湖の9倍の大きさのイシク・クル湖を超えた先にある田舎町だ。
ビシュケクのホステルでは番組制作をしているというタジキスタン人のカメラマンとディレクターの二人組と仲良くなり、毎晩夕食を一緒に食べていた。
狭いバスでは大量の荷物が迷惑になると踏んで、5日間過ごしたホステルを出てすぐにタクシーを拾ったが、とんだぼったくりタクシーで1000円も取られてしまった。やはりタクシーはホステルに呼んでもらった方が確実だ。カラコルまではバスで700円ほど。ぼったくりタクシーよりも安くて腹が立つ。6時間ほどするとカラコルだ。

予約していたホステルにはカナダ人の旅行者がいたが、やはりオフシーズンのため客は少ない。彼はトレッキングを目的に来たそうで、ワインと、チーズを固めた様な保存食を頂いた。ワインはともかくチーズは酷く塩辛い。ワインの肴にしてもどうかしている。遊牧民の貴重な塩分ということで有り難みを噛み締めて酷い顔をしながら食べた。
結局そのホステルにも二泊し、カラコルコーヒーという旅行者に人気の喫茶店で暇をつぶす日々を送った。決して店員さんが可愛いからという不純な動機ではない。
そしてまたこれではいけないと腰を上げる。地球の歩き方をパラパラと捲り、アルティン・アラシャンという場所を目指すことにした。こいつは海抜3000mにある温泉地で、カラコルの街から5、6時間歩けば着くらしい。こいつはいい。
到達する方法はいくつかあるようだが、ホステルの兄ちゃんに教えてもらった「350番のバスで着いた先から歩くルート」を選んだ。それがどのルートよりも最悪のルートだということは、この時はまだ知る由もなかった。


バスを降りた先は見事に何もなく、少し歩くと微かに民家が少し。それを過ぎるとまた何もない山道へ。山道の横手には常に川が流れていて、この川に沿って歩いていけばいつか着くらしい。時刻は15時。6時間で着くのなら日没まで歩いて3時間。一晩テントを張って翌日半分歩けばいい。
歩き始めて数分でホステルに荷物を預けておけばよかったと後悔した。後ろのザックと前のリュック、合わせて15キロ以上はあるだろうか。一眼レフなどどうせ使わないのに。
最初の数キロまではそれなりにすれ違う人も居たが、しばらく歩くと誰もいない山道が続く様になる。


雪の積もっていない石を見つけては座り、カラコルで買っておいたリンゴを齧った。正直なところこの辺の記憶があまりない。16時くらいまでは景色に感動して一人で騒いでいたことを何となく覚えているが、17時以降はなんとか日没までに雪の少ない、車道から離れた野営地を見つけようと必死で歩いただけだ。
川を橋で渡った先に小さな松の林を見つけて、そこにテントを張ることにした。時刻はすでに18時、急いで焚き火の準備をするが雪の水分を含んだ枯れ木はなかなか火が付かない。仕方ないので夜の内は火を諦めテントを組み立てるが、すでに周りは暗い。それでもなんとか設営に成功した。
土が凍っていてペグは刺せなかったが、流石モンベルムーンライトである。月明かりでも設営できるとの触れ込みは伊達じゃない。
ザックはテントの外に出し、その他の荷物はテントの中に押し込み早く寝袋の中に入ることにした。食料はリンゴとカラコルのパン屋で買ったパン。流石パン屋のパンは美味い。寒くて味などよくわからないが。
夜が深まるにつれどんどん気温は低くなり、眠るのも難しいほど寒い。靴下にダウンパンツにジーパンに、アウターまで着た状態で寝袋に包まっていても尚寒い。命の危険すら感じる。きっと気温は-10度を更に下回っている。テントから顔を出して空を見上げるとこれがあの世かと思えるほどの満天の星空。たまに意識を失っては起きるのを繰り返し、その度外の音がやけに響いて恐ろしい。
外の音と言ってもほとんど川の音だけだが、それがなにか動物の鳴き声の様にも聞こえる。テントの外にクマやシカなんかがいる様な気配がし、得体の知れない何かに見つめられている様な恐怖を感じる。時計を確認すると、ほんの数分だと思っていたのに何時間も経っている。いつしか意識を失い、気がつくと朝になっていた。


テントの中は霜だらけで、ペットボトルの水は完全に凍っていた。マウンテンブーツも凍ってしまい、履くのに1時間は掛かった。昨晩失敗した焚き火は今度は成功し、お湯を沸かしてコーヒーを飲む。
ようやく落ち着いて、死ぬかと思ったと思わず叫ぶ。グレートユーコンレースなんか目じゃないぜ。
またリンゴを齧るが、シャーベット状になっていて歯が痛い。完全に日が昇ると気温も上がり、ようやくまともに動ける様になった。そろそろ歩こう。


山道に戻って暫く歩くと、後ろから走ってきたトラックに乗ってけと声をかけられ、有り難く乗って行くことにする。これがまた古いもので、雪に引っかかる度エンストを起こすのでギアをガチャガチャ動かし、クラッチをガンガン踏み、外からエンジンをブンブン回して進む。助手席の足元にはガソリン入りのポリタンク。下手すりゃ死ぬ。
あり得ないほど揺れるが2、30分ほど乗せてもらい、車は仕事場へ。林業に使うトラックらしい。お礼にリンゴをあげるが、車の中に煙草の箱と手袋を落としてきたことに気づく。やけに高くついてしまった。
昨日の寝床では疲れが上手く取れなかったようで、休みの回数も増える。おまけに序盤と比べて坂が増えてきた。新雪を溶かしてコーヒーを沸かしたりしてみるが疲れは取れないし、坂はどんどんキツくなる。後半になると30度はあるかという急勾配で、雪が深く積もって歩き辛い。
何が徒歩で5、6時間だ。トレイルランニングで、って書いといてくれよ。歩いても歩いても山道は続き、地球の歩き方はアスリート向けに書いてるんじゃねぇのと恨み言を叫び続ける。時刻はそろそろ16時ほど。6時間などとっくの昔に過ぎている。

ずっと登り坂だったのが急に下りになり、視界が良くなると大きな山と、建物が見えた。アラシャンだ!妙に笑えてきてしまって荷物を投げて雪に寝転がってハハハと乾いた笑いを空に投げた。起き上がると膝も笑っている。笑えない事態である。

最後の気力を振り絞り人影が見える建物にたどり着くと、ピンク色のダウンを着たおっさんに手招きされ、暖炉の前でお茶を貰った。歩いてきたと言うとクレイジーマン!と言われるし、他の女性にも嘘でしょ?遠すぎでしょう!と驚かれる。ホラァ!誰も徒歩で来ないじゃん!なんで徒歩推奨なんだよ地球の歩き方さんよォ!
気が抜けると腹が減ってしまってしょうがない。ビシュケクからの他の客に日本人?俺日本文化好きなんだよハハだなんて言われるが腹が減ってそれどころではない。腹減ったと訴えるとパンとチーズとチョコクッキーと、穀物のスープに羊肉の串焼きを貰う。
どうせだから温泉でも行こう。温泉は川沿いに何個か湯船が用意してあり、基本的に無料だ。


湯船に向かう途中に温泉から出てきたウォッカの酒ビンを3本持った唇が青紫色のロシア人に絡まれ、「お前も温泉で飲もうぜ!」とベロンベロン。死ぬぞお前。彼の連れに温泉はあっちだからなと教えてもらい、一人で温泉を楽しむことにした。コンクリート製の雑な湯船だがお湯は38度か9度。適温だ。舐めてみると塩の味も鉄の味もしない。1時間ほどお湯に浸かると体も温かい。流石温泉である。

温泉はここから少し離れた源泉から川沿いにパイプを伝って溜めているらしく、そんな雑な方法なのに適温になっているとは驚きである。源泉かけ流しというより垂れ流しに近い。

保養所に戻るとさっきのロシア人グループ。手巻き煙草を吸っている。お前も吸うか?と渡され口に咥えた所で「それマリファナな」マリファナかよ!と思わず日本語で突っ込み煙草を返すとみんな爆笑している。青紫色の唇の彼にウォッカを貰い、「嫁さんと赤ん坊の息子とで旅行に来たんだけど俺だけここに残ってウォッカ飲んでるんだよガハハ!」凄いな君。

いつしか彼らは街に帰り、客は自分一人になった。
ここは電気もガスも水道も通っておらず、夜になると太陽光発電で貯めた小さな電気と暖炉の火しか明かりがない。トイレは川沿いに立てられたボットンで、長年溜めた茶色いブツが山になっている。
そもそもここは人という人が住む場所ではなく、保養所の管理人と併設された気象観測所の職員しか居ないそうだ。
住んでいる人が居るのなら写真でも撮ろうと踏んでいたが、住んでいないのであればまあいいかという気持ちになった。何より体が限界でそれどころではない。

夕食に昼に頂いたスープを貰うが、夕方にガツガツ食べたせいであまり食べられない。とにかく疲れているのでまだ9時くらいだが寝てしまおう。簡素なベッドだがテントよりはマシだ。温かくて涙が出る。
相当疲れていたのかすぐに眠り、起きると朝9時だった。12時間も寝ていたのか。霜焼けや赤切れは温泉のおかげか一晩で治り、その代わり筋肉痛で身体がバキバキである。

ロシア人グループはジープで帰ったようなので保養所のスタッフに頼んでみると、カラコルについた際出発時に聞いていた金額の倍を要求されて結構な喧嘩になった。たまたま通りがかった警察に話すが英語が通じず、向こうの言い分が通ってしまい仕方なく払った。
全く。死に場所を探す猫の様な旅である。

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